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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

雪中行軍、松尾寺山へ。その①

2024-03-21 09:24:00 | 近江の史跡
松尾寺山砦は西坂集落からの松尾寺への参詣道の途中の峠付近の尾根にあります。
松尾寺山へは醒井養鱒場や鎌刃城方面などいくつかハイキング道があります。



今回は鎌刃城駐車場から西坂集落へ向かい参詣道を登山しました。

駐車場から徒歩約20分で
西坂の登山口に。

鉄塔
丁石があるので迷うことはないが、
この付近から雪が‥

予定では西坂砦を探索するつもりだったがやめた。

雪中行軍。
今思うと引き返すべきだった

とりあえずひたすら登ることに。

ここが松尾寺山と八葉山方面(鎌刃城跡)
との分岐の鞍部。
「地藏峠」


ここを登れば松尾寺山山頂だが
積雪であきらめる。



で、このあと反対側の松尾寺山砦を探索することにした

その2に続く


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今朝の我が家の庭


お彼岸に雪が降った☃

あーサブー

馬《●▲●》助ヒヒーン♪



















長尾護国寺遺跡とセツブンソウ

2024-03-02 17:31:00 | 近江の史跡
米原市大久保。
伊吹山の尾根の裾野に「長尾護国寺」がある。正式には「惣持寺」。
古代、四十九坊の巨大寺院でした。
その痕跡が残っていて巡拝コースとして整備されてます。


なので、セツブンソウを鑑賞しつつ史跡巡りをしました。

駐車場は寺の前にもあります。

長尾坂へ



遺跡図




この下に段曲輪群(坊)が広がってたようです。

墓地の上の段に旧毘沙門堂(本堂)があった

登りました
背後に


背後の尾根のさらに上にも段曲輪がありそうだが、ここで断念。
下山しました。

そして、

この梅林の曲輪の斜面に
この場所を何度も通過した。
梅林はすぐにわかったが、セツブンソウに全く気づかず
近くの見学者に教えてもらって
ようやく見ることができた。

群生してるが、あまりにも小さすぎて見逃してました。
我が輩の目は節穴だと悟った

以上おしまい

近くに「大久保のセツブンソウ群生地」






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彦根城金亀公園、井伊直弼公像と梅の木
今、見頃です。

現在彦根城天守は改装中で入れません。
その代わりに佐和口多門櫓が公開されてます。

本丸、西の丸には行けます


馬《●▲●》助ヒヒーン♪




































賢木神社(彦根市安清町)

2024-02-21 14:17:00 | 近江の史跡
我が輩、今まで数千回、70年という歳月にこの神社の横を通りました。
通っただけです。

で、今回生まれて初めて正式に参拝しました。
眼医者に行くついでに立ち寄ったという次第‥

【賢木神社】
場所は彦根駅から徒歩約7分ほど。
神社の北側に鉄道を越える陸橋道路があるため、国道8号線や名神高速彦根インターから彦根城へ向かう人は左手下に神社を見下ろす感じになります。

そんなわけで賢木神社という名前も「さかき」という読み方も今回初めて知りました。
て、おい!


由緒書。
神社庁のホムペの由緒によると

以下転載
『現境内地に、金剛寺宝珠院と称する寺があり、その一隅に神明宮という小社があった。元禄七年、彦根藩主直治、家老西郷和泉に命じ坂田郡宇賀町の大神宮を神明宮に勧請、社殿を造営させたのを以て創始とする。明治九年十月村社に加列。』

とある。

現在、JR坂田駅の線路をまたがるように坂田神明宮があります。
境内に線路があるため撮り鉄さんの撮影スポットにもなってる。
彦根井伊家の信任篤く保護されてました。
この宇賀野神明宮を勧請したようです。

そういえば、両親が『神明(シンメイ)さんのお祭り』と呼んでたのを思い出した。
この神社のことだったのですね。

今ようやく知りましたよ😅

彦根藩主直治(直興)は幕府の大老になった人で、幕末の直弼の高祖父になります。

家老の西郷は家康から木俣とともに目付として彦根藩を支えた人。
彦根城内、大手門へ行く手前の元裁判所横に大きな西郷家長屋門が今もありますよ。



天明3年の常夜灯。
背後の道路が陸橋で、左へ行けば彦根城へ。

横に駐車スペースあるが駐禁になってます。なんでかな?

本殿の他に3社、全部で7神祀られてます


白内障が治りますように、とお祈りしました。

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処方された点眼薬は1ヶ月で無くなるので、毎月通わねばならない。

面倒ですわ。

白内障は早めに手術したほうが良いと言われるが、手術は嫌だし‥

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我が家のシャコバサボテン

昨年に引き続き、
咲きました


庭の
スイセン

これはほっといても毎年咲きます

春間近ですな

馬《●▲●》助ヒヒーン♪










【多羅尾古城】甲賀市

2024-02-16 16:18:00 | 近江の史跡
2024年1月17日
高香山城を探索後、尾根伝いに南下し
多羅尾古城へ向かいました。

西側の道路沿いに岩洞山不動尊の案内板があり、奥へ登山道=参道があります。
その途中から登るのが簡単かも?
本当に登れるのかどうか、確認してませんが‥

尾根を直登
今思うとこんなとこ歩かなくても良かったのに‥

まずはあの山頂へ。

で、山頂に登ると
土塁のような高まりになってるが
何しろ足元が見えない
ここが詰城かな?と思いました。

城跡は山頂の西側尾根にあります。
深い笹薮で足元見えないがとりあえず下りました。

そして、

主郭背後の大堀切なのですが、笹薮で。
これではさっぱりわかりませんね。

堀切を越えて斜面を下ると広い曲輪になってました。
これが主郭。こちらも笹薮ですが‥

高橋成計氏の縄張図によると主郭背後の高い切岸の上は曲輪状になってるようです。櫓台かも?

南側下の腰曲輪から下の民家に降りるのがベストだが、柵が山を取り巻いていてこちらからの下山は無理だと思います。


で、北側斜面を直降しました
降りた場所は「たらおファーム」で柵はありません。

ここから直登するのが簡単だと思います

以上、どこもかしこも笹薮だらけの古城でした

次は多羅尾城山城の巨大な大堀切を見に行きます

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このところの陽気で
我が家の紅梅、ちらほら咲き始めました




馬《●▲●》助ヒヒーン♪




























【高香山城跡】その②主郭

2024-02-01 13:49:00 | 近江の史跡
2024年1月17日
甲賀市信楽町、多羅尾地区、

高香山城探索、いよいよ本丸へ突入します

南の虎口から
山頂へ向かう。
入口付近は笹薮ですが
左手尾根の壊れたトイレを見て

土塁横を入ると

広い削平地となっていてここが、主郭と判断した。
電波塔と休憩所が西北のすみにあります。
主郭が公園として改変されたようですな。

主郭の奥へ進むと

手水鉢
この奥は土壇で低土塁が巡るので櫓台かと思ったが、手水鉢があるということは寺社の建物がここにあったということではないでしょうや?



櫓台と思いし土壇の奥は細尾根土塁が伸びる




東側下の帯曲輪は二段

そして、そして、そして、

堀切があれば間違いなく城跡ですよね。
やった!と思いましたよ。

堀切を越えて北東へ進むと
尾根筋に段曲輪群があり、麓の林道へ降りられるかも?
我が輩は尾根途中で引き返す
南東下の帯曲輪を進み
下山しました。

以上です

全体の概略図

これはあくまでも素人の我が輩の探索記録です。
縄張図が無くて、GPSを頼りに概略図を作成しながらの探索。

主郭以外は笹藪も多いので不確かな部分も多い。

なので、間違いもあるはず。

プロの方や専門家の正式な探索をお願いしたいものです

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この後、尾根伝いに多羅尾古城へ
向かいました


馬《●▲●》助ヒヒーン♪































【高香山城跡】探索する、の巻①

2024-01-28 15:55:00 | 近江の史跡
2024年1月17日
甲賀市信楽地区の城跡探索をした。
甲賀市にはたくさんの城跡が残るが
信楽地区は比較的少ない。
その多くが多羅尾地区に集中する。

多羅尾集落の入口に高香山がある。
標高527mで、山頂は公園のように整備されていて、登山道があり純粋に登山として楽しまれてる。

この高香山、「たかこ」と読む。
城跡としての認識というか知名度はほぼゼロ。
ネット検索しても出てきません
神君伊賀越えで家康公がここを通ったとか?
真偽不明ですが。

しかし、甲賀市からもらった資料には城跡として載ってます。
城跡と認識されてます。

しかし、
後世に大きく改変を受けたためか、
本格的な調査をされていないのかも?

資料の図
↑なお、多羅尾古城の位置は若干ズレてます。
探索した結果、実際の場所はもう少し南の位置でした。

それはともかくとして
高香山城跡へ登ってみることにした、


最寄りのバス停

本数は極めて少ない…

この奥へ

林道、車はここまで。
あとは徒歩のみ。

少し進んで林道と分かれて階段を登る。
なぜかというと、
この先は

で、この階段の所を
南出丸と名付けました。

笹が密生してわかりにくいが


奥のすみに小屋あり


曲輪へ入る坂道。
この曲輪には建物か耕作地があったのかも?

南出丸を降りて階段道を進むと
南虎口付近
突き当たりに土塁あり
左へ進むと民家へ降りられそうな堀底道で、本来の参道あるいは大手道だったのかも?
尾根土塁に沿って右方向を進むと
堀底のような道で
左の尾根土塁の斜面に
その横を進む
ここは帯曲輪だと思う。
右下が林道の終点

この先が主郭です

虎口付近の概略図

壊れたトイレの上の尾根土塁には

丸太の形状物あり。
高香山は公園として整備されたのかな?

堀底道を尾根の西先端へ向かう

下は崖で民家あり
堀底道は参道だったのかも?

ここで引き返したが、
このまま崖道を下れば民家へ行けるこも?

さあ、いよいよ主郭へ向かいます

その②に続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





































沙沙貴神社のロウバイ

2024-01-18 16:50:33 | 近江の史跡
近江八幡市安土町の「沙沙貴神社」は
佐々木氏の氏神、全国佐々木姓の発祥地として知られる。
佐々木じゃなくて沙沙貴というのは、その起源の古さと威厳とややこしさを感じます
地元の古代豪族沙沙貴山君の一族と
佐々木源氏は別の一族で、
いつの頃か途中で合体したのではないか?
と思われるのですが‥


蝋梅が見頃と言うことで
雨のなか見学しました
月末まで見られるそうです。


実は昔は、蝋梅のタネをもらったので畑に植えたのですが、ダメでした。
難しいですね。

ナンジャモンジャの花は春までお待ち下さい


立派な楼門はいつみても素晴らしい



乃木大将も佐々木氏の一族です

馬《●▲●》助ヒヒーン♪









介護5年目

2024-01-12 17:44:48 | 近江の史跡
母が倒れたのが2019年。
なので、介護は5年目となりました。

最初の年は要介護4、
翌年から要介護3に。

ほぼ全介護なのに、なんで3なの?
と不満があった。

介護状態は最初からほとんど変わってない

で、今回は再び要介護4に戻った。

介護度は審査に来た人の裁量次第か?
と疑ってしまう。

先日、医師の定期診察を受けた。
特に変わりなし。
診察代は70円也。

て、1割負担とはいえ、安すぎですな。


我が輩は、点眼薬が無くなったので2回目の眼科へ。

白内障は悪化してなかったので、
再び点眼薬の処方箋をいただく。

1350円也,
1割負担が羨ましい‥

これから毎月、薬をもらうために通わねばならない。
面倒だな。

で、薬局で新しくお薬手帳をつくってもらった。

加齢に伴い、これからも他の薬が必要になるかも?

薬漬けや‥

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今年初めてのひこにゃん城へ。


桜馬場駐車場から埋木舎、池田屋敷方面を見る
中堀の向かいは尾末屋敷地で江戸時代は曲輪になってました。

しかし、信長の時代は尾末山があり佐和山城を攻めるために信長は付城を築いた。
尾末山砦と呼ばれた。



で、江戸時代になり井伊家は山を崩して尾末曲輪とし屋敷地として中堀と外堀の間の防御としました。
佐和口御門を攻める敵は馬出しのような尾末曲輪に苦しめられることになるのです

馬《●▲●》助ヒヒーン♪









近江大日山城跡(黒津城)を探索した、の巻

2023-12-15 08:06:00 | 近江の史跡
大日山には城跡が残されてる。
甲賀郡の土豪の山岡氏は瀬田の唐橋の近くに瀬田城を築いてます。
本能寺の変の時には山岡氏が瀬田の唐橋を焼いて明智光秀の進撃を妨害したとされる。
大日山城はその南方に位置する。
こちらも山岡氏が築いたそうな。
いつも思うのですが、なんで家康は瀬田川の西北に膳所城を築いたのだろうか?
近江国府があった瀬田城付近は瀬田川が外堀の役目を果たすので、こちらのほうが防御に厚いんだけど…

それはともかく
お堂と神社のある山頂付近が主郭
お堂の背後の上段の北側に三角形土壇あり。


櫓台だったかも?
東側は一直線の土塁との間に堀底のような窪地状になっていて帯曲輪だったかも?



北側の尾根には段曲輪がありました。

下ると
その先に大石。


主郭から西へ移動する
すぐに

笹でわかりにくいが間違いなく堀切です

再び土壇状の曲輪

そして西端へ
登ると
虎口を入る
瀬田川を見下ろす位置にあり、
物見台曲輪と名づけた
虎ロープに従って下ると

井戸の上には段曲輪のような削平地がありました。

このまま下山




約50分ほど探索しました

中腹まで住宅地となり、南郷洗堰のために土取りされたので、どこまでが城跡の遺構か判然としないが、それなりに楽しめました

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

























大日山へ登る

2023-12-15 08:05:00 | 近江の史跡
滋賀県の最高峰は伊吹山。
冬は登れません。
一方、
滋賀県の一番低い山は、大津市の大日山です。129mの高さ。
で、リハビリがてら出かけました。
近くに駐車場ありません。
対岸の南郷公園無料駐車場に停めて南郷洗堰を見学しながら約13分歩くのがいいと思います。



我が輩は電車で向かいました。
起点は石山駅。
湖南アルプス登山口へ向かうバスなら黒津で降りればいいけど、本数は1時間に一本ほど。
なので、本数が多い大石行きのバスに乗りました。

南郷公園横に南郷洗堰バス停があります


対岸へは南郷洗堰を渡る

お笑いギャグで、
喧嘩したら「琵琶湖の水を止めるぞ」と、よく言いますが、
瀬田川の南郷洗堰も琵琶湖疏水も滋賀県の管轄ではない。
だから、滋賀県が勝手に止めたり流したりできないのです


ここは通り抜けできます
旧南郷洗堰は大日山を削って造られた


旧洗堰遺構が少し残ってる



瀬田川沿いを大日山へ向かう

紅葉良し!


住宅地の中に道標



東の登山口。
ここから登ります






実は大日山には城がありました



この後、黒津城跡(大日山城)を探索します


次回に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
がん検診の結果はセーフでしたが、

健康診断の結果は、案の定引っかかりました。

高血圧は毎度のこと。

今回はさらに
眼科検診の項目が追加された。

眼底検査をした時に異常があったようです。
緑内障か?
白内障か?
動脈硬化による異常なのか?

眼科へ行かねばなるまい

馬《●▲●》助ヒヒーン♪