つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

つぶや句

2011-09-04 05:45:28 | 俳句
       春の朝眠れる森の妻起こす

一番最初に作った句である。地元の俳句会に入会したい旨、会長に電話したところ、
「俳句を3句作ってきてください」と女性会長が言ったのである。

「エーいきなり…」俳句のはの字も知らなかったので、とまどっていると、
「五・七・五の中に季語を1つ入れればいいんですよ」と事も無げにおっしゃるのだ。

「はあ…」わたしは生返事をして電話を切ったのだが、そのとき傍でグースカ寝ていた
身内をふと見やり、おとぎ話の「眠れる森の美女」を思い出し、何を血迷ったかおもむろに
「チュッ」とやってみたのだ。で…目を覚ました身内が目の前のわたしも見て「な、何すんの」と
痴漢にでもあったような顔をしたので、こっちもムッとして「起きろ!」と一言。

で、冒頭の一句ができたのである。面白いことにこの句が最初に出席した句会で
会員の一人に選ばれてしまったのだ。以来もう20年以上やっていることになる。

このたび、ホームページのリニューアルということで、更新のために
俳句を洗いだしたのだが、絵の挿入のを含め使えそうなのが400句以上になった。
句会に入って4~5年経ったころは、面白くて月に50句近く作ったこともあったが、
実際に使える句は1割ほどだった。


ものぐさだったわたしは、この日本で一番短い文芸といわれる俳句に
興味を持ったのだ。当時は四コマ漫画家でもあって、四コマの構成基本
起・承・転・結に俳句の五・七・五が近いと思ったのである。

最初は面白くて仕方がなかったのだが、段々その深みにハマって足を
取られるようになり、底なし沼の苦悩も味わうことになる。

しかし、今でも何かの折には一句ひねっているので、長い付き合いとなっているのだ。
わたしの本質は絵描きだと思っているが、人生の最後に残るのは俳句かも…とも思っている。
何せ、手がきかなくなると絵は描けなくなってしまうが、脳が動く限り俳句は
作れるのである。

とは言え、最後になる辞世の一句は、願わくばまだまだ先にしたいところなので、
しばし…日々の中で、つぶや句つもりである。

      棘に袖とられて薔薇の息散らす

                    issei
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