ある医者が病で余命数ヶ月と告げられた時、
路傍の石さえ輝いて見えるようになったという。
こんな実話に基づいたドラマを見たことがある。
人生のカウントダウンに入った時、生きている今、を
大切に思うようになったのである。
私はすでに人生の折り返し地点を過ぎ、最終コーナーを
意識する年齢になっている。
自分のラストランのカウントダウンに入った時、
私にも路傍の石は輝くのだろうか。
少なくとも現在、今、この時、を意識し始めている。
同年代の周りの人を見渡しても、意識はあるものの、
日々の生活に追われ、常に今を考えているようには思えない。
私は“今”を常に意識し、生きていることを楽しみたい!
と考えるようになった。
しかし世の中は過酷だ、一歩家を出れば七人の敵と
戦わなければならない。
どうしたら楽しめるのか、と考えた時
その七人の敵との戦いをを楽しまなければならないことになる。
そうなのだ、必死で戦っていると意外に楽しくなることに気づいた。
楽しむというのは何でも「ワハハ」
と愉快になることではなく、何でも真正面に受け止め、
必死に取り組むことだと思えるようになった。
苦しい時は必死で苦しみ、悲しい時は必死に悲しむ。
「オレは生きてることを愉しむんだあ~」と心底で思いつつ、
今人生やってます。
「にじり踏む刻一刻をかたつむり」issei
そんな思いの時作った一句です。
はてさて、我に路傍の石は輝くのか…。
路傍の石さえ輝いて見えるようになったという。
こんな実話に基づいたドラマを見たことがある。
人生のカウントダウンに入った時、生きている今、を
大切に思うようになったのである。
私はすでに人生の折り返し地点を過ぎ、最終コーナーを
意識する年齢になっている。
自分のラストランのカウントダウンに入った時、
私にも路傍の石は輝くのだろうか。
少なくとも現在、今、この時、を意識し始めている。
同年代の周りの人を見渡しても、意識はあるものの、
日々の生活に追われ、常に今を考えているようには思えない。
私は“今”を常に意識し、生きていることを楽しみたい!
と考えるようになった。
しかし世の中は過酷だ、一歩家を出れば七人の敵と
戦わなければならない。
どうしたら楽しめるのか、と考えた時
その七人の敵との戦いをを楽しまなければならないことになる。
そうなのだ、必死で戦っていると意外に楽しくなることに気づいた。
楽しむというのは何でも「ワハハ」
と愉快になることではなく、何でも真正面に受け止め、
必死に取り組むことだと思えるようになった。
苦しい時は必死で苦しみ、悲しい時は必死に悲しむ。
「オレは生きてることを愉しむんだあ~」と心底で思いつつ、
今人生やってます。
「にじり踏む刻一刻をかたつむり」issei
そんな思いの時作った一句です。
はてさて、我に路傍の石は輝くのか…。