つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

いまこの時を

2006-06-30 23:24:43 | つらつら思うこと
ある医者が病で余命数ヶ月と告げられた時、
路傍の石さえ輝いて見えるようになったという。
こんな実話に基づいたドラマを見たことがある。
人生のカウントダウンに入った時、生きている今、を
大切に思うようになったのである。
私はすでに人生の折り返し地点を過ぎ、最終コーナーを
意識する年齢になっている。
自分のラストランのカウントダウンに入った時、
私にも路傍の石は輝くのだろうか。
少なくとも現在、今、この時、を意識し始めている。
同年代の周りの人を見渡しても、意識はあるものの、
日々の生活に追われ、常に今を考えているようには思えない。
私は“今”を常に意識し、生きていることを楽しみたい!
と考えるようになった。
しかし世の中は過酷だ、一歩家を出れば七人の敵と
戦わなければならない。
どうしたら楽しめるのか、と考えた時
その七人の敵との戦いをを楽しまなければならないことになる。
そうなのだ、必死で戦っていると意外に楽しくなることに気づいた。
楽しむというのは何でも「ワハハ」
と愉快になることではなく、何でも真正面に受け止め、
必死に取り組むことだと思えるようになった。
苦しい時は必死で苦しみ、悲しい時は必死に悲しむ。
「オレは生きてることを愉しむんだあ~」と心底で思いつつ、
今人生やってます。
「にじり踏む刻一刻をかたつむり」issei
そんな思いの時作った一句です。
はてさて、我に路傍の石は輝くのか…。

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詩人と画人

2006-06-24 08:13:44 | 絵・まんが
「詩のボクシング」というのがある。
たまたま見たのがNHKの教育番組だったが、
詩人がボクシングのリングに上がり、
両コーナーに分かれて互いの「詩」で、
戦うというものだ。その愛知県代表が林本ひろみさんだった。
彼女は見事に一回戦を突破して奮闘した。
我が家は、一丸となって今回のワールドカップ日本代表のように、
彼女を応援した。
そんな彼女が主催する「ポエムでお茶しましょう」
という、「ポエ茶」にご招待を受けた。
もともと詩に、そして詩人に、まっとうでない
においをプンプン感じ、シンパシーを持っていた私は、
興味津々で覗かせてもらった。
当時「G茶屋」というアート喫茶みたいなところで、
私も作品を展示させてもらっている場所だった。
店内に7~8名詩人らしき人たちが居て、
林本さんが司会進行みたいなことをしつつ、
本人も詩の朗読に参加していた。
やはり驚いたのは、詩人たちの変身ぶりである。
和やかに談笑していた人が、朗読し始めると、
別人になってしまうのである。妙齢ナ女性が、
いきなり床に這いつくばってペロペロ舌を
出したり、ジっと俯いてた男性が絶叫して朗読したり、
さながら一人芝居を見ているようだった。
もともと詩のボクシングもこのような感じなので、
そんなに驚くほどのことはないと思うのだが、
やはりライブでの至近距離で見ると体感的迫力が違うようである。
絵描き体質と自認する私は、こりゃかなり違うなあ、と思った。
彼らは詩を言霊として発し、その詩魂が乗り移った様に
体現する。総身で表現するのだ。私は内心その迫力に
たじろいでいたが、その違いに面白さも感じていた。
その後絵描き仲間に「ポエ茶」を紹介したら行ったらしく、
「どう、詩の朗読参加してみたら?」と水を向けてみると、
「とんでもない、とても人前であんなこと…」と
完全に尻込みしていた。これは絵描き仲間としてよくわかるのである。
絵描きも詩人も基本的には、内蔵する心の叫びを
どうにか表現したいと思っているのだ。
詩人はそれを言霊と総身で体現し、絵描きは
筆に託して無言で表現する。この決定的な違いを感じた。
もちろん無言で書くだけの詩人もいるだろう、
雄叫びをあげて描く絵描きもいるだろう。
しかし、本質はそう間違ってはいないと思う。
私は詩人に一種の狂気(これはまったくいい意味で)を
感じ、私が忘れていた自分の中の狂気をふと、思い出させて
くれたのだった。「ああオレの純真な狂気よ、どこに行っちまったんだ、
どこに落としてきたんだ、」
近頃こんな探し物をしたりするのだ。
それにしても、詩も体現し、絵も高レベルで描き、工作物も
達者に作る林本さんて、一体何者?
ン~~~とにかくスゴイ。
コメント (2)
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思ひ出ぼろぼろ「恥のうわぬり」

2006-06-23 20:58:57 | 思ひ出ぼろぼろ
娘が三歳の時だった。近くの酒屋へ買い物に行くのに
連れて行った。あれこれ買って帰ろうとすると、
店のおばさんがニッコリ笑って、「はいこれ」と
娘にお菓子をあげたのである。私はお礼を言って
店を出てきた。娘はうれしそうにお菓子を
握り締めていた。
しばらくして、また娘を連れてその酒屋へ。
あれこれ買って、レジで会計を済ませて帰ろうと
娘の手を引いたが、動かない、「?」娘を見ると
なにやらやや斜め上方をジッと見つめている。
その目の先には店のおばさんの、なんともいえないような
表情があった。娘の目は睨んでいるような目なのである。
そしてよく見ると、空いているほうの手が
手の平を上に向けおばさんの方に差し出していたのである。
私はそそくさと、娘を連れ出して帰ってきた。
しばらくその店に娘を連れて行けなかったのは
言うまでも無い。ったくもう…
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ちょっとドキドキ

2006-06-22 05:06:45 | 絵・まんが
目的の駅を出ると目の前にあった。
「あいち造形デザイン専門学校」八階建ての
りっぱなビルだ。
ガラス張りの玄関を入ると、生徒たちの作品が
広いフロアーの側壁一杯に張られている。
造形アート科、グラフィックデザイン科、まんが科、
など各科なので、バラエティーに富んで見ごたえがあった。
そこいらのギャラリー顔負けである。
なんとここに私の「はいまん彩」を展示して
くださるというので、下見を兼ねて伺ったわけである。
ここのT教諭は、俳句仲間の旦那さまで、前回展示した
「ギャラリー勝川」に一緒に見に来てくださり、
この身に余る話をいただいたのである。
一階フロアーは、一般にも公開しており、ガラス張りの
外側からはフロアーに張られた作品が見えるようになっている。
展示場所としては文句のないところであるが、
才気溢れた若者たちの目に我が作品はどう映るのか、
ちょっとドキドキなのだ。
展示期間は8月27日(日)~9月15日(金)
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壮年は荒野をめざす

2006-06-20 21:02:29 | 思ひ出ぼろぼろ
その表情は暗かった。
「おれはどうしてここに居るんだ、どうしてこんなところで
働いているんだ」そう顔に書いてあった。
これが我が友F氏との出会いだった。
私は漫画家くずれの中途採用社員、彼もまた
中途で入ってきたドライバーであった。
彼は本社勤務、私は支社の工場で働いていた。
彼はドライバーなので、配送、回収、のとき
支社の工場に寄るのである。
彼と話すようになったのは、本社の休憩室だった。
たまたま魚の話になり、釣りの話になって
話は弾んだ。私は今は釣りを引退したが、かつては
大好きで、釣りの専門誌で沖釣りの実践釣行記の
仕事を十年以上も続けたことがあったのだ。
彼は渓流のフライフィシングをやるそうで、
「オレ格好から入るんだよねえカッコマンだから」と言う。
釣りの種類は違ったが、我らは意気投合した。
以来、本のやりとり、「魚の絵がほしいなあ」と言われれば、
魚の絵を進呈した。
彼はパソコンを自由にあやつり、全体会議などでは、
歯に衣着せぬ発言を堂々と述べた。
彼は珍しく私の目に止まった正真正銘のまっとうな人物だった。
我らは何かのイベントで本社と合流する時、
社員旅行、など、いつも一緒に行動するようになった。
それが割りと、短い間だったので、支社のパートの人などに
「あの人とどうやって知り合ったの?」また本社のパートの人にも
「二人はなんで知ってんの?」と俄かに出来た怪しい?コンビに
興味津々だった。それほど本社と支社の
交流は薄かったのと、漫画家くずれの変なオヤジと
「頭良過ぎて近寄りがたい」と本社事務員に言わしめる
F氏とのコンビは、ちょっと奇異に映った様だった。
我らはたまにお互いの家で飲みあい、
渓流釣りにも連れて行ってもらった。
私が勤め先で出会ったった一人の親しい友人だった。
私は最初に彼を見た暗いイメージの話をしてみると、
「あの時はそうだったな」と苦笑いしつつ認めた。
そのうち彼は内勤に移り、たちまち頭角を現し、
役職も得て、リーダー格になった。
そんな彼が会社をやめた。「このままは楽なんだけどね」
と言っていたのだが…。
壮年は荒野をめざしたのである。
私は彼の決断に反対はしなかったが、寂しく
なるのは間違いなかった。「会えなくなるわけじゃなし、
最低でも年に一度は会って飲もう」と
約束して、送別の飲み会で彼を送った。
その後、数ヶ月後だったかで会って、久々に酒を酌み交わした。
F氏は会社の帰りで、ビシッと決めたスーツとコートが、
すでに似合う人になっていた。
あれから一年経つのか経たないのか…。
「新聞に載ってたねえ」F氏から電話が掛かってきた。「また飲もう」
彼は元気だった。そして私も相変わらず夢を追っかけ回している。
私の前の荒野は、はるかに近くに揺れている。そこに彼の姿も…。
彼とのクロスオーバー人生に乾杯!なの…ダ。

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