つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

犬~なぜか亀

2006-07-29 21:05:52 | 絵・まんが
我が作品に、猫の載ったのはあるが、犬の載ったのがないのに
気がついた。ようし今度は犬を描こうと、思ったとき、
亀好き林本さんから「亀も描いてよう」と、コメントが入った。

「か…亀。」亀を描くのはいいんだが、我が句に、亀の句ってあったかなあと、
つらつら思い返してみると、な何んと、あるではないか。

「名月を亀の鼻面押し上げぬ」
「涸れ池の奈落にうごく亀の甲」

というわけで、亀にも挑戦せざるを得なくなってしまった。
これはこれで楽しみが、増えたわけなのだ。
よーし、いくぞ、犬にに…。
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「犬と猫」どおお~なったんだ

2006-07-28 04:39:21 | 絵・まんが
先日の展示で、猫を描いた作品のポストカードが、
よく出て、改めて猫ファンの多さを知ったのだが。
猫を描くきっかけになったのは、本社に犬のトップブリーダーを
目指す、という人がいて、職場に生まれたばかりの子犬が
並んだ自家製のカレンダーが、張ってあったのだ。
「かわいい~描きたいな~」と眺めていて、
描かせてもらったのがきっかけだった。

ちょと待ってよそれは、犬じゃないかって、まあまあ…。
最初の作品展示の時、その犬の絵をファイルして、置いていたところ、
「犬ばっかりねえ私猫が好きだから、猫の絵も描いてよう」と、
ある女性に言われたのである。これが、本当のきっかけだったのだ。

そういえば、自分の句で、
「「猫呑んで眼(まなこ)を得たり木下闇」
「足元に猫の擦り寄る十三夜」
「赤ちゃんの声に答えしうかれ猫」
など、猫を詠んだ句がけっこうあることに気づいた。

それから猫の本を見、緑地公園に行っては、猫の写真を撮った。
元々身内は猫好きなので、猫の資料は、けっこう家にもあったのだ。

猫も見るとかわいいので、「描きたいなあ~」と創作意欲が湧いてくる。
この創作意欲が湧かないと、全然描く気が起きないのである。

それから猫を描き始めたのである。今では完全に自分の作品の
ジャンルの一つになっている。しかしここにきてふ、と思ったのだが、
犬はどうなったんだ。
「柴犬の途方にくれる秋出水」
「振り返る時雨しぐれし汚れ犬」
「木枯らしに犬の吠えつく胸騒ぎ」
どおお~なったんだ。
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ひさびさの「花とおじさん」あきらめ宣言

2006-07-27 04:28:02 | ちょっとした出来事
会社で急遽草むしりがあった。工場の裏手周りをやったのである。
このところの雨で、なかなか出来ないでいたのだ。
私は当日休みだったので、しばらく見ていなかったあの、
ユリが心配になり、見に行った。

草むしりは、根こそぎとまでは刈っていず、低い草はそのまま
残っていたので、これなら…と、昨年ユリの咲いていた位置を
見てみたが、草はまばらに残っているものの、ユリらしき
ものは、見当たらなかった。

もう7月の末である。もしユリ根が残っていたら、とっくに
芽が出てきているはずである。あ~あやっぱりだめだったか。
私は昨年この場所で、一輪のユリを発見した。ユリはなぜか斜めに傾ぎ、
咲いていた花はブロックに当たって瀕死の状態だった。

私は茎の根元に石を当てて傾ぎを直し、ユリに話しかけて、
励まし続けたが、あえなく、ばらばらに散ってしまったのである。
私のせいで、寿命を縮めてしまったかと、責任を感じ、
ユリ根を信じて今年に期待していたのである。

しかし、その気配さえなく、やむなくここに、
あきらめ宣言をすることにした。残念無念だ~。

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夢のクロダイ

2006-07-26 04:58:49 | ちょっとした出来事
まどろみの中で電話を受けた。「もしもし主人がクロダイを釣ったので
取りに来れます?」「エ、エー釣れたんですか」茶房じゅんのママからである。
先日ママの御主人が「じゅん」に顔を出した際、クロダイ釣りの話で
盛り上がり、釣れたら連絡するという約束をしていたのである。

私は一杯飲んで夕食を済ますせ、一眠りの最中だったのである。
「申し訳ない、もう今夜は一杯飲んじゃって行けないので、
明日行きます。」そう答えて電話を切った。

それにしても約束したのが、一昨日なのである。
しかもこのところの雨は、相変わらず降り続いている。
こんな日に、出かけて釣ったというのである。
こりゃ御主人は名人だ、と確信した。
その証拠と言っては何だが、私は、4度程挑戦して、
まだ一匹も釣り上げていないのである。
ま…ヘタと言ってしまえば、それまでだが。
クロダイは、そう簡単に釣れる魚ではないのである。

翌日仕事の帰り道に「茶房じゅん」へ。
ママが冷蔵庫から、新聞にくるんでビニール包みしてあるクロダイを
出してくれた。ちょっとめくって見せてくれたが、なかなかの型である。

お礼を言って持ち帰り、改めて取り出すと、手尺で40センチ越えている。
早速さばきにかかる。ビニール袋にくるんで鱗を剥がし、頭を
落として三枚におろす。中骨をピンセットで丁寧に取り、
おろした身の皮の部分にサーっと熱湯をかけて氷水に潜らす。
水気を取って、皮のほうから刺身に切っていく。

クロダイに限らず、マダイも、この皮付き刺身がうまい。一度おためしあれ。
粗は煮付けにして、捨てるとこなくいただいた。身は甘みがあって
コリコリとした歯応えでおいしかった。けっこう脂ものっていた。

週末の休みに御礼かたがた「茶房じゅん」へ出かけた。
クロダイの絵の入った、暑中見舞いのハガキを手渡し、ひとしきり
ママと話をしていると、マスターがやって来た。

聞けば、私にクロダイをやった日から連続で、釣りに行っているそうで、
昨日は、8尾も釣ったとのこと。「いやーストリンガーが外れちゃて
一匹逃がしちゃったよう」と笑っていた。今年はクロダイの当たり年だという。

今店では、パッチワークの展示中だが、話をしてる間にも
次々と売れていく。店の終了までいたが、まさに飛ぶように売れていった。
「すごいな~」とまた「茶房じゅん」の実力を目の当たりにしたのだった。

クロダイ、本当においしかったです。ありがとうございました。





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「茶房じゅん」の実力

2006-07-22 19:34:24 | 絵・まんが
「茶房じゅん」での展示期間は、7/7~7/18水・木(休)なので、
正味10日間である。例の値段を付けてみた一作に、金額を書いて
一緒に展示することにした。

しかし自分の絵に値段を付けるというのは、やっぱりどうも
落ち着かない。「高あ~」「強気~」と身内が言うように、
私が付けた値段は高いらしい。

なにせ初めてなので、相場だとか皆目わからないのと、
これを必死で「売るんだ!」という気力が弱いため、頭に浮かんだ
値段を、天の啓示と、付けたのである。

それと、前回の「ギャラリー」で、絵がほしいのでポストカード
みたいなのはないのか、という意見を幾つか聞いたので、
カードを作ることにしたが、印刷を頼んだりするのも大変そうで、
どうしようかと、ママに相談したら、「うちのお客さんはこんなんで
作っているよ」と見せてくれたのは、パソコンで印刷したものだった。
「ああこれならうちでも出来る」と急に気が楽になった。

それと自分の作品の中で、どの作品が好評なのか、アンケート的にも
知りたかったので、一枚ずつ作品別に刷ってパッケージして持っていった。

翌日仕事から帰ってくると、身内が、「ママから電話があってポストカード
もう、一枚しか残っていないので追加で刷って持ってきてほしいそうよ」
「え、早っ」9枚刷ってあったのだ。「それから猫ちゃんのと、この指止まれ、
が三枚予約が入ってるんだって」「は~」そうかその二枚が人気あるのか…

私は早速翌日持って行くことにしたが、こうなると残っているという一枚が
気になった。作品はみんな自分の子供のようなものなので、かわいそうに
なったのである。結局今度は29枚も刷って持って行った。

あったあった、なんとあわれに残っていたのは、もう一枚の猫ちゃんだったのだ。
私の作品には猫が登場するのが何枚かあるのだが、今回は一作品だけを展示
していて、残っていたのは展示していなかった作品なのだ。
「ウ~ム…そのせいだけとも、思えないが…」

人気という不思議なものに、考えこんでしまった。
その後、もう一つの猫ちゃんの追加を10枚刷っていったが、
またたく間に売れてしまい、圧倒的人気だった。
ホッとしたのは売れ残っていたもう一つの猫ちゃんが、
4枚刷っていって全部売れたことだった。

今回ポストカードという初めての試みが、大変好評だったので、うれしい限り
なのだが、一番感じたのはこの「茶房じゅん」の力みたいなものだった。

もちろんお客の多さもだが、その質である。お客は、入って来るなり
「ジーっ」と、展示している作品を見ていくのである。
そして、しばしお茶を飲み始めたかと思うと、また「ジ~っ」と一巡り
するのである。ついでに見られるのに慣れてた私は、驚きとともに
緊張したのである。しかしこれは展示している者にとっては最高に
幸せなことなのだった。

さてあの値段を付けた作品だが、見事に売れませんでした。
「ほしいっていう人がいたんだけど、値段が、
自分ではちょっと…と言ってらして」とママ。
そうか一応欲しいという人は居てくれたんだ…。
私はそれを聞けただけで、けっこう満足感を覚えたのだった。

そして展示も無事終わり、搬出のため絵を仕舞っていると、
「あの絵をほしいって言ってた人又来てねえ、
この字どう読むのか聞いてたんだけど、」とママが言うのは、
「シマアジの残像波の打ち均す」の「均す」ならす、である。

そうかまた来て見てくれたのか…。この作品、私は苦労して描いたのだが、
身内に不評で、未発表のあわれな作品なのである。
しかしこの作品の波の絵は、私の作品の中でもかなり上位に来る
いい絵だと思っていたので、大げさに言えば、世に問うために
値段を付けたのである。値段を付けた以上手放すのは覚悟しているので、
私に言ってもらえば、いくらでも相談にのりますデス、ハイ。

手放す作品にとって一番幸せなのは、欲しいと、強く思われているところに
行くことなのだから…。というわけで
「茶房じゅん」での展示は大いなる成果のもとに、終了したのだった。



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