つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

いよいよ搬入

2011-03-31 05:07:22 | ちょっとした出来事
有給を取って、いよいよギャラリー喫茶「奈邪」に展示作品を搬入した。

身内を伴っての「奈邪」への道すがら、佐奈川沿いを車で走ったが、
あの何キロにも渡る桜並木は、まだほとんど開花していず、寂しげに枯れ枝を
累々並べていた。

しかしながら、川べりを彩る菜の花は、一足先に黄金色を敷き詰めていた。

久しぶりに見るマスターは元気そうで何よりだった。ヤボ用で遅くなった道中
腹ペコになっていたので、サンドイッチを頼んで、おいしいモカと奈邪ブレンドで、
いただいた。も~ほんとにサンドイッチもコーヒーもおいしかったです~。

マスターには、この前摘んだ八朔の形のいいのを選んで、おすそ分けしたのだが、
すぐに、もっとりっぱなグレープフルーツのお返しがあって、苦笑いしてしまった。
そして買う予定であったモカコーヒーまで袋ごといただいたのである。
(ほんとにありがとうございました)(泣)

例のポストカード売り上げ金を震災募金にしたい旨の話をすると、快く承諾して
くれたのだった。

1時間ほどお邪魔して会計をお願いすると、「奈邪」までの交通費だと言って
固辞されてしまったのだ。(も~そんなにされるとほんとコマリマスヨ、マスター)。
それぐらいのお金はいつでも用意してますので、お気づかい無用にお願いしますネ。

それでなくても、我が拙作を展示させていただいているのですから、こちらが
お礼をしたいぐらいなのですよ。

帰り際マスターが「佐奈川の桜はまだだけど、そこの桜ケ丘ミュージアムの薄墨桜は
今が満開ですよ、見ていかれたら」というのである。

「わかりました、帰りに寄ってみます」と言って「奈邪」を出た後、寄ってみると、
なるほど、ミュージアムに隣りあう公園に、桜が咲き誇っていた。

普通の桜より花弁が小さく思えたが、正直薄墨桜と普通の桜の区別はつきにくかった。
しかしながら、いずれの桜もきれいで、子供が遊びまわっている中、母親らしき
グループがレジャーシートに腰を下ろして、早くも花見をしていた。

わたしらも、公園を一巡りして、薄墨桜を堪能させてもらった。PM6時近くの空は、
夕陽を半分山に沈め、残照が晴天の空を染め上げている、薄墨桜とのコラボレーションを
眼裏に仕舞い込み、豊川を後にした。

マスター、拙作ですが、ハートは籠っていると自負しています。我が不肖の子らを
よろしくお願いします。


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黄金の恵み

2011-03-27 03:10:04 | 食べ物
「〇日は暇だから行こうか」会社の上司からの誘いである。

昨年、同僚と二人上司に誘われて、八朔をつむぎに行ったのである。
八朔は上司の兄が作っている蜜柑畑の周りに、さして手入れもせず、
ついでの様に実っているらしいのだが、この八朔がすばらしくおいしかったのである。

それで、わたしが「今年は行かないの?」と催促していたのだ。
上司によると、昨年お兄さんが亡くなり、今年はまったく手入れしてなく、
ほったらかしにしていたのと、昨年よく実ったのとで今年は実のつきが少ない
ということだった。どうやら一年おきらしいのだ。味もイマイチだと言う。

目ぼしいのは、もうつむいでしまったが、まだ手の届かない高い所のは
残っているというので、行くことになった。

今回は昨年の同僚Iくんと変わり、Yくんが同行した。わたしは高い所と聞いて
釣竿を持参したが、ほとんど役に立たなかった。

しかし、けっこう落ちているのがあって、拾って回るとそれなりの数に
なったのである。時折場所を移動し、他種のネーブルやデコポンらしきものなど
つむぐ事が出来た。

「今度南側に回ってみようか」という上司の呼びかけで野道を隔てた場所へと
移動すると、すばらしい実りの木があった。大きく粒ぞろいで、いわゆる
売り物になりそうなりっぱな八朔だ。

しかし、けっこう高いところになっているので、ちょっとてこずりそうである。
わたしはその木は二人にまかせて、手の届くところにあった小粒のネーブルを狙って
つむいでいた。そのうち「振り落とすで頭に気をつけてよ」という上司の
声が聞こえてきたので行ってみると、木に登った上司がユッサユッサと
木を揺すり出した。

ボトボトと大粒の八朔が空から降ってくる。こりゃあ直撃をくらうとけっこうな
ダメージを受けるのは必死である。木から少し離れてYくんと二人して見守る。
さらにユッサユッサ、ボトボト…。何だか見ているうちに、天が我らにもたらす
黄金の雨の様な気がして、しばし…うっとりと眺めていた。

わたしは二袋に一杯に詰め込み、Yくんもぶら下げた布袋を一杯にして、「もう入らない」
と、うれしい悲鳴を上げ、まさに意気揚々と引き揚げたのである。

味はと言えば、上司の言うイマイチどころか、酸味,甘味のバランスがよく、瑞々しく
美味しかった。あの小粒のネーブルもより甘くおいしかったのである。文句なし!。

もし、この八朔が御所望だと、親近感覚える方が一声かけてくだされば、
喜んでおすそ分けいたしますですハイ。




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カルボン

2011-03-26 03:22:07 | 食べ物
きょう何か作るか?」と身内の一人に聞くと、決まって「カルボン、カルボン」
と連呼する。

カルボンとは、身内の一人が勝手に言う「カルボナーラ」のことである。
我がヘボ料理のカルボナーラがどういうわけかお気に入りなのだ。お陰でこれだけは
レシピを見ないで作れるようになってしまったのである。

何だかんだ言って休日のたびに作っている。我がカルボンには2種類あって、
クリームを使うやつと使わないやつである。たいがい交互に作っている。
どちらもお気に入りのようだが、どちらかというとクリームを使うのをより好んでいる。

これには理由があって、パスタを平らげた後に残ったクリームスープに、パンを浸けて
食べたいのである。これが抜群の相性の良さで、旨いのだ。

まあ、自分の作った料理が美味しいと言って食べてくれるのはとてもうれしいのだが、
ちと、困ってもいる。というのは、元々カルボナーラというのは、イタリアの炭焼き工が
体力をつけるために注文して作った料理と言われていて、卵の黄身やクリームを使った
濃厚な料理なので、カロリーを気にする今の日本人には向かない料理なのである。

わたしなども、油断をするとすぐに内臓メタボになるタイプなので、正直いいのかなあと
いう思いで作っているところがあるのだ。

しかしながら、「おいしい」という作り手にとって、最もモチベーションの上がる
言葉を発せられると、他愛もなく作ってしまうのである。

我が単純なうれしがり性分の根底をくすぐられてしまうからである。しかし…
「まあいいか…」と、今のとこ成り行きにまかせることにしている。
休みの日、また返事がわかってて聞くんだろうな…。
「きょう何かつくるか?」
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なんてこと…

2011-03-20 06:19:30 | つらつら思うこと
ユッサユッサと横揺れが来て、一緒にいた身内は、何やら声なき声を出して
わたしにすがりついた。「来たか!」わたしはどういうわけか中腰になって
身構えていた。けっこう長く感じたが、数分あるいは数十秒だったのかも知れない。

「来たか」と思ったのは、我が地方にいつ来てもおかしくないと言われてる東海地震の
ことである。身内が恐れたのもそれを感じたからに他ならない。しかし、現実に
起きたのは、御承知の東北関東大震災である。

その日は金曜日であったが、展示準備のための有給を取っていて、自宅にいたのだ。
すぐにTVをつけて地震情報を待った。TVのテロップでは、宮城県北部で震度7という
驚くべき数字が出ていた。「ゲッあんな遠くなのに…」この瞬間恐るべき予感が全身を
よぎった。

16年前の阪神淡路大震災の時も揺れを感じたのだが、今回はもっと遠かった
にもかかわらず大きく揺れたのである。予感は的中し結果は承知の通りである。

間もなくの大津波、CG画像のパニック映画のような映像が連日TVで流され、それが
現実であることを否応なく認識させられてしまうのだった。

津波、崩壊、瓦礫、逃避、死、生、悪夢、…それらが脳裏を果てしなくめぐり、
続けての原発の不具合…。実は、地震報道の時すでに漠然と原発に対する不安を
感じていたのである。それが報じられると、ああ…やっぱり…という思いがどす黒く
湧きあがり、にんげん、おろか、きょうき、チェルノ、いのち…又、いろんな思いが
脳裏を駆け巡るのだった。

それにしてもTVで流される惨状が、自分がぬくぬくと電気炬燵に座っている同じ地続きの
地で起こっているということの不思議さと違和感は、なかなかぬぐい切れなかった。

そんなときに拙作を並べる展示の準備に追われているのである。こんなときにこんなこと
してていいのかという思いと、我が小さな人生でも精一杯生きることは大切なのだという
思いとが交錯して、一種のやるせなさを感じていた。生活は普段と変わらなく過ごして
いたが、その思いは何かの折に顔を出したりしている。被災しなかった人は、きっと皆
どこかに何がしかのやるせなさを背負って、それぞれの人生を生きているのかもしれない。

スーパーで、いくばくかの募金をしてみたが、何か実感が湧かず、わたしににも何か
出来ることはないかと思いはじめていた。

作品展示をするとき、市販のハガキに展示作品をパソコンで印刷したものに値段を
つけて置かせてもらったりしている。200円というあこぎな値段である。
それは、来てくれた友人、知人にコーヒーをおごるためであり、あわよくば打ち上げの
飲み代の足しにしようとの魂胆なのだ。(も~困ったもんだ)

これには、少々じくじたる思いを抱いていたので、今までの罪滅ぼしという
わけではないが、この際「奈邪」のマスターの許可をもらって、この売上金を
全額被災地に送ろうと思い到った。これとていくばくかには違いないのだが、
わたしにできるささやかな気持ちではないかと思えるのだ。

そして、今はただ粛々と黙々と自分に出来る自分の人生を、歩んで行くのを許して
いただこうかと思っている…。


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