つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

私の日本

2012-02-28 04:15:25 | スポーツ
サッカーキリン杯チャレンジカップは、日本が3-1で
アイスランドに勝った。

まあ、試合については色々思うところはあったが、
今回は、そのことには触れないでおこうと思う。

それより日本代表監督ザッケローニ監督について是非とも
触れておきたい…。

来日してから綴ったザック監督の手記
「私の日本」VOL.1~10を10話まで全部読んだ。

その中には、日本代表への思いが切々と綴られてあったが、
そればかりではなく、サッカーを離れた日本のこと、故郷の
イタリアのことなどが書かれてあった。

ザックの日本への想いを知るにつれ、この監督が並々ならぬ
思いで監督として取り組んでいるのがわかる。

特に第一回目、日本代表監督のオファーを受けた時の
「運命の国」には感動した。日本代表の監督をやるなどと夢にも
思わなかった頃、たまたま知人を介して前代表監督岡田隆史氏
の訪問を受けて話す機会があったこともあって、前回のW杯では
日本チームが気になってTVの前で応援していたそうである。
そして、パラグアイにPK戦で敗れたときは、一家全員でガックリと
したそうである。

それから間もなく、「日本代表監督に…」とオファーを受けたそうだが、
相手の話が終わらないうちにOKの返事をしそうになった旨語っていた。

そこに、運命的なものを感じたこと、周りと協調しながら
事を進める自分の性格が日本人気質に合っていたこと、
日本が非常に住みやすいと思えたことなどなど…。

日本に対する想いが熱く語られていた。元々好感を
抱いていたが、益々ザッケローニ監督のファンになってしまった…。

ザックジャパンを応援しましょう。
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久々の歯医者

2012-02-25 08:02:46 | 健康

「ズッキーン!」と右上奥歯に痛みが走った。それに最近冷たいものを
食べるとヤケにしみるではないか。「ヤバイ!虫歯と知覚過敏が
同時に来たか」と愕然とした。

実は、3か月に1度の検診の連絡が来ていたのに、当日用事ができて、
キャンセルしてそれっきり半年以上になっていたのだ。

というわけで、久々に歯医者に行った…。

以前担当していた妙齢の歯科衛生女士は退職したとの
ことを告げられ、新しい…こちらはキリリとしていたが、モナリザの
微笑をたたえた歯科衛生女史という雰囲気の方に名刺を渡された。

「きれいな歯ですねえ」例の千年の恋もオジャンにしてしまいそうな
大口開けポーズをとらされての一言である。

まあ、歯科衛生女史にそう言われては、気分の悪かろうはずはない
…が、このポーズなのだ。つくづく歯科衛生女史との恋は難しかろうと
関係のない老婆心ながら思うのだった。(笑)

「痛くて、沁みるんですね」と言うと、何やら小道具を取り出し、
痛い時は言ってください」と歯をつつきはじめた。

「これが○番」コンコン「これが×番」コンコン「これが△番コンコン
「どうですか?」「痛くないです。」「今度はエアーを吹きつけますので、
沁みたら手を挙げてください」と言ってシューシューと吹きつけていく…。

これも何ともないのである。電話予約を入れた時はけっこうな痛みを
感じていたので、それ相応の覚悟はしていたのだ。

まあ、猛烈な腹痛に襲われて、病院に行ったら治っていた
というような感じだった。一瞬女史の表情に「何しにきたの?」

というような沈黙の間合いが生まれたが、すぐにモナリザに戻って、
「確認のためにレントゲン撮りましょうね」と言って撮ったが、
やはり異常はなかった…。

じゃあ、あの痛さと、しみるのは何だったのか…多少釈然としない
わたしに、「体調の悪い時など、歯の中の神経が腫れて
それが圧迫されて痛い時があるので、しばらく様子をみてください」
とモナリザのままに、女史はおっしゃったのである。

その後、歯垢をきれいさっぱりと取り除いてくれ、口中美人となって
歯医者を後にした。

ままよ…いずれにしろ、健康で丈夫な歯だというお墨付きを
いただいたようなものではないか。口中を一なめまわすと、
キュキュとしたスッキリ感が舌先に伝わる。

意気揚々とまではいかなかったが、軽やかな気分で
家路についたのだった…。

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ハイ

2012-02-21 21:40:27 | 絵・まんが

“ランナーズハイ”という言葉をご存じだろうか。

マラソンなど走っていて、限界寸前に味あう、一種の陶酔感の
ようなもののことである。

わたしは残念ながら味わったことはないのだが、どうやらその正体は、
体内に極度のストレスがかかったときに脳下垂体あたりから分泌される
脳内モルヒネのような、エンドルフィンという物質によって起こる現象の
ようだ。

以前、マラソンをやっていたお方に聞いたところ、そのランナーズハイ
味わいたさにマラソンがやりたいのだというのを聞いたことがある。

確かに、わたしなどのように、マラソンを苦痛以外に感じないものに
とっては、毎日走っている人を見て、あんな苦行にも似たことを
続ける人の気が知れず、七不思議の一つだったのだ。

そこで、「まてよ…」と密かに思ったのが、あの苦行の裏にはきっと
得も言われぬ恍惚感が潜んでいるのではないか…という
推測だったのである。案の定、それが、ランナーズハイだったのだ。

そして、先日お笑いタレントのHしゃんが、TVで語っていたが、
売れない時代3年間で4日しかお笑いの仕事がなかった時が
あったという。しかし、お笑いで客に受けた時、ランナーズハイ
に似た陶酔感を感じて、それが忘れられずにお笑いが
辞められなかった旨語っていた。

なるほど…と思った。大体人間なんて、何らかの歓びが無ければ
続けられないに違いないのだ。

そこで、ふ、と思ったのは、我がお絵描きにもそれがあるのか…という
ことである。もちろん描いた絵が多くの人に称賛されれば、大いなる
歓びには違いないのだが、実は、お絵描きにも、あのランナーズハイ
にも似た、快感があることに気付いたのである。

それは、まあ…何かのはずみにも似た、ちょっと手がすべったかんじの
はずが、思わぬ効果を発揮して、思った以上の出来栄えになったり
する時が、たまーにあったりするのだ。それはもう神様がちょっと手を
触ってくれたに違いないというようなとき…得も言われぬ陶酔感の
お絵描きハイが発生するのである…。

しかしながら、これはホントに稀の稀で、なかなか味わえないのが
実情である。

このところ、お絵描きモードには入っていて、日々筆をうごめかして
いるのだが…神の御手に、なかなか触ってはいただけていないのである。トホホ…。

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飛行機の翼を飛魚見てしまう

2012-02-19 05:50:05 | はいまん彩
元来、俳句誌や結社誌などに載っている一句鑑賞というのは、
何やら俳句を説明しているようで、あまり好きではなかったのだが、
わたしなりに、「はいまん彩」についてつぶやいてみたくなってしまった。

時折、作品の紹介がてら、勝手に「はいまん彩の向こう側」を
つぶやきますので、よろしく!


“飛行機の翼を飛魚見てしまう“
                 issei


実際のこの絵には、この一句が筆文字で、書かれている。

今から20年近く前の、初期の頃の作品で、句については
別に言うほどのこともないのだけれど、飛魚が飛行機を
見てしまった、というだけの、そのままの句である。

御承知のように、飛魚という魚は、鰓(えら)ビレが発達していて、
敵に追われたときとかに海面を飛び出て滑空飛行する。
20~30メートルは飛べるのだ。

わたしがまだ子供のころ、小型船に乗っている時、飛魚が
甲板に飛び込んで来て、あわれ甲板の上でパタパタはねていた
記憶がある。ヒレは透明で、きれいなトンボのような感じだった。
以来飛魚は好きな魚になった。

「魚で飛べるのはオレたちだけだぜ」というプライドを持っていたか
どうか実際にはわからないが、(笑)海中海上を見ることができる
希有な魚には違いない。

そんな飛魚にとって、垣間見た飛行機は、どんな存在に
映ったのだろうか…。

ほかに

     鰭(ヒレ)翅に変わりて飛魚(とびお)陽に焼かる
                               issei
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80%

2012-02-18 09:14:22 | つらつら思うこと

考えてみると、ずっと昔からのような気もするが、わたしは
何につけても、ものを決めつけることができないのだ。

どう考えても、あの人がやったに違いないと思っても、100%
断定せず、10~20%は余地を残しておくのである。
その奥には、しょせん人間は、自分を含めすべからく愚かだし、
その愚か者のくだす判断など、どこかしらあやふやなところが
あると…と思っているからである。

結果、怒ることが出来なくなってしまっている気がする。

これでも、若かりし頃は何度か殴り合いのケンカもやったし、
怒りにまかせて怒鳴り合ったこともあったのだ。

しかし、ここ数年とんとそういうことがない。まあ、平和と言えば
平和だが、結局断定ができないので、怒りが爆発しないのだ。

これは、逆に言えば、判断ができていないとも言えるので、
自分は人生をちゃんと歩んできたのか…と、はなはだ情けない
思いをするときがある。

これは、好きか嫌いかの判断の時も発揮され、80%の好き嫌い
判断になり、どんなに好きでも、まま…よと10~20%はブレーキを
掛けるのだ。むろん嫌いでもしかりで、どんなに嫌な奴と思っても、
イヤ…人間どっかにいいとこがあるはずだ…とまた10~20%の
ブレーキを掛けるのだった。

しかし、周りを見渡せば、躊躇なく断定する人も珍しくない。
「あいつは,あーだ」と見られると、とことんそういう態度をとられるし、
嫌われたら最後、悲惨な目にあうことになる。

そういう人をよく見てみると、迷いたくないということがあるようである。
ということは、わたしは常に迷いに晒されていることになる。
つまりは、それが優柔不断な我が人間性となっているのに違いない。

しかしながら、こんなわたしが、ほとほと参りかけたお人もいたのだ。
どうやら嫌われたらしく、何かにつけて嫌みを言ってくるのである。
どこか、いいところが…と探せど探せど、見つけられず、その人に
会うたび気持ちがやさぐれてきて、嫌い度90%を越して
「もう…こいつだけは嫌いだー」と100%宣言をするべく
その人と向き合った。

そして、半ばヤケクソになって、口を衝いて出た言葉は
あろうことか、自分の気持ちとまったく逆の気持で相手を
褒めてしまったのである。

で、どうなったかというと、以来相手は妙にわたしに親しげに
話だし、態度がガラリと変わってしまったのだった。

あまりの豹変ぶりにわたしも驚いてしまったのだが、よくよく考えて
みると、その人は誰からも嫌われ敬遠されていたのだ。親しげに
話している人でも、裏では快く思ってない旨言っていたのである。

今にして思えば、その人は誰からも好かれていないことを
薄々は知っていたのかもしれない。わたしはその人に対して
嫌いというモードは出していなかったと思っていたのだが、
内心敬遠していたので、それを相手は敏感に感じとっていたのだ。

相手が変わると不思議なもので、こちらの気持ちもググーッっと嫌い度%が
下がり始め、ほとんど0になってしまったではないか。(笑)

このことで、自分の内心は相手に伝わり、相手も同じような気持ちに
なるということを知ったのだった。

やっぱり、我が80パー人生は当分変わりそうにない…。
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