つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

はいまん彩?

2011-05-17 05:22:29 | 絵・まんが
「はいまん彩?」作品展示の度に聞かれている。

そのつど説明をさせていただき、やっぱりわかりにくいかなあと思いつつも、
今までは「ま、いいか」とそのままにしていたのである。
しかし、あまりに毎回聞かれるので、この際見ればわかりやすい、「俳漫彩」と
漢字表示にしようかと思い始めている。

実は、「はいまん彩」というタイトルのマンガの案内みたいなのがあって、
展示するときは必ず感想帳と共に置かせていただいているのだが、これからは
このブログでも図々しく、紹介させていただこうかなあと思うに至りました。

改めましてよろしくお願いいたします。

 「はいまん彩」



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戦友たち

2011-05-11 02:59:44 | 会社
このところ、ちと元気がない…。

というのも、今年あまりにもいろんなことがありすぎて、大いなるショックを受けて
いるからだ。

正月早々インフルエンザで三途の川に片足を突っ込んだかと思うと、3月の
東日本大震災である。生と死、運、不運、明日の運命のわからなさをイヤと
言う程突きつけられたのだ。

そんな中での4月の作品展示。ここでも展示していて何となく感じた孤独感。
5月に入ると、友人知人が相次いで脳梗塞を起こして入院した。
みんな元の工場で働いていた同僚たちなのだ。一緒に同じ釜の飯を食い、
苦楽を共にした言わば、戦友である。そのうちの一人は同期の桜だ。

先日、その同期の桜を見舞いに行ってきた。彼はわたしを見ると、「おお」と
にこやかに笑いかけ、「ちょっと向こうで話そうか」と座っていたベッドから
サッと立ってスッスッとこちらに躊躇なく歩いて来るではないか。彼はそのまま
先に歩いて行って、待合室らしきとこまで案内してくれたのである。

以前と何ら変わらないにこやかな表情は、見た目どこが悪いのかわからないぐらい
だったので、安心したのだが、ご当人は言語に多少不自由さがあるもどかしさを
語ってくれた。確かに、思っていることがスムーズに出にくそうではあったが、
声量は以前と変わりなくよく響き渡った。会話もこちらが先読みして多少カバー
すればちゃんと成立する。

彼はがんばりやで、人の嫌がることでも率先してやっていくタイプで、リーダー的
存在だったのだ。以前マンガ家だったわたしは、会社勤めのノウハウなどまったく
わからなかったので、彼の背中を見て学ばせてもらったのである。

彼は、これまでの経過を話してくれたが、まだまだ他にも心配な症状を抱えていて、
満身創痍のようだ。わたしは彼の負担を考え、早々においとましたが、
帰る道すがら、「人ごとではない」という思いがズシリとのしかかってきていた。
がんばりやの彼は、決して人に弱みを見せないところがあるので、にこやかな
表情での応対も彼なりのがんばりと汲み取っている。

思えば、同じ工場で働いていた以前の上司が真っ先に脳梗塞を起こしたのだ。
数年前である。やはり言語に障害を残しているが、定年後の現在も元気に
同じ会社で働いている。

以前の同僚たちが一時的とはいえ、相次いで戦線離脱を余儀なくされているのだ。
みんな骨身を削って働いている有能な戦士たちである。今のとこわたしが
無事なのは、さほど有能ではないせいかもしれない。

とはいえ、これでもわたしなりに精一杯働いてはいるのである。元々日々の時間に
拘束されない自由業だったので、キッチリ決められた1日の時間を働くのは
最も苦手とするところなのだ。

しかし、一応家庭なるものを持ってしまった以上、その生計を支える責任を負って
いるので、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで働いているのだ。まあ、これは
多かれ少なかれみんな同じに違いない。

ともあれ、明日は我が身という思いは切々と募ってくる。
いま、身の振り方が迫られている。
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展示総括

2011-05-04 03:38:05 | 絵・まんが
いろいろあったが、1カ月に渡る「奈邪」での作品展示は無事終了した。

今回は東日本大震災という稀有な災害後間もなくの展示で、迷うところも
あったのだが、今はやってよかったと納得している。

作品を搬出してきて、家へ戻り、感想帳を見ると、みなさんが書いてくれた
感想の一字一句が、その方とオーバーラップする。展示の年ごとに毎回、微妙に
違った印象になったりしている。

前回は、しきりに作風が変わったと言われたのだが、今回は絵から字が消えているのを
惜しむ声が、数人の方から聞かれた。そういえば今回一作も文字が入った作品が
無いのである。

わたしは、自分の作品を「はいまん彩」と称して展示している。自分が今までやって
きた、俳句・まんが・彩墨画の融合をめざした「俳漫彩」である。

初期の頃はこのように絵の中に俳句の5・7・5がキッチリと入っていたのだ。
そのうちに、元々俳句を念頭において絵を描いているのだから、ベタにきっちり
入れなくてもいいんではないだろうかと、思い始めて、今では5・7・5の上5だけとか中7だけとか必要最小限に留めるようになったのだ。これは展示に間に合わなかったが、

    糸切らる シマアジ出でし 夢枕
                   issei

の内の、夢枕の文字だけが入っているのである。そして俳句は額外に筆文字で
表示している。

今回俳句は全て額外表示だけなので、確かに融合とはなってなかったのかも…、
と反省させられたのである。

お陰で、自分が目指した「はいまん彩」というものについて、初心に戻って
考えさせられてしまった。きっと絵描きはこうして見てくれる方達に育てられて
いるんだなあと、つくづく思うのだった。

ところで今回、展示作品のポストカードの売り上げを、東日本大震災の義援金として
送ることにしていたので、さっそく郵便局に行って、売上げ金5300円也を
赤十字社に送金させていただいた。ご協力ありがとうございました。


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展示最終日

2011-05-02 03:20:55 | 絵・まんが
いよいよ「奈邪」での作品展示最終日である。作品を搬出に行かねばならない。

幸いG・W中なので、早めに昼食をとって、車で「奈邪」へと向かう。国道1号線を
ひたすら真っ直ぐに行くのだが、下りにもかかわらずちょっと混んでいた。結局
30分程遅れて到着した。

店へ入ってコーヒーでも飲もうとしていると、マスターの娘さんが「きょう午前中にお知り合いの
方かしら、二人いらして作品と作者のことを色々話ししていかれましたよ」と言うのである。

「奈邪」の近くに「桜ヶ丘ミュージアム」という展示会場があって、そこで今展示されてる方だと
いうのだ。感想帳を覗くと、会社の絵画部の展示会をやっている旨書いてある。

「ちょっと行ってきます」マスターに断りを入れて、早速ミュージアムへと向かう。車で、ものの1~2分の
ところである。案内を見ると絵画展があったので、会場の受付へ向かう。受付で感想帳に書かれてあった方の名前を
口にすると、「わたしです」と二人居られた内の一人の方が声を掛けてくれた。記帳を済ませ、事の事情を手短に話すと
休憩に、おいしいコーヒーを飲みたくて「奈邪」に入ったのだと、にこやかに話をしてくれた。

取り合えず、会場の作品を見せていただくべく、展示場へと入る。中々広い会場で、作品の数も多く、10合以上の
大型の作品が並んでいる。日本画を中心に油絵、パステル、水彩、デッサンそのものの展示もある。中々本格的である。

受付で聞かれたのか、次々と会場に入ってきた会員の方達が、挨拶に来られた。何でも、会社に絵画同好会があって
そのメンバーの作品だという。そんな同好会があるなんてうらやましい限りである。ちゃんと講師の方が来て
指導しているそうで、中々皆さんレベルが高い。

ひとしきり見終わると、挨拶を交わして再び「奈邪」へと戻り、コーヒーを飲み始めた。その後入ってきた旧知のKさん達と
話を交わしていると、ドヤドヤと6人程お客が入ってきた。見ると、先ほど挨拶を交わした同好会の人たちである。
そして、次々と絵を見始めたのである。そして、いろんな質問などしてきて、口々に感想など述べてくれたのだ。
やはり、絵に関しては、並々ならぬ関心を感じて、同好の志としてはうれしかった。

会の方達が帰られた後、次に展示を予定している方が作品を持ってやってきた。見せていただいたが、カーレースの
優勝車ばかりを木版画にした作品だが、すばらしいものばかりである。世の中にはスゴイ人たちがひしめいているものだと
改めて知らされたのだった。

いつものように、反省ばかりが出てくる最終日の寂しさを感じつつ、豊川を後にした。

★ポストカードの売上5300円也、ささやかなれど約束通り、東日本大震災被災地への義援金とさせていただきます。

マスター、奥様、お嬢さんお世話になりました。そして、ありがとうございました。又よろしくお願いします。

魚の絵は修正作品ですが、きのう完成しました。展示に間に合いませんでしたので、これにて…。


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菜の花酒

2011-05-01 05:52:26 | 
呑み友、カメラマンのK氏が展示を見に来てくれるというので、「奈邪」にて10時に待ち合わせをした。

当然ながら、二人で佐奈川の桜で一杯やろうというもくろみである。残念ながら
桜のピークは先週だったので、今週はやや葉桜加減になっているはずだ。

心配したこの日の天気は上々でホッとした。なにせ、かつて雨男のわたしに曇り男のK氏なのであるから
心配するのもやむからぬことなのだ。

9時半には「奈邪」に到着して、おいしい奈邪ブレンドとモーニングセットをいただき、俳句をひねりつつ
待っていたが、11時を回ったのにまだやってこない。携帯を入れてみると、すでに佐奈川に来ていて、
写真を撮りまくっているというではないか。「すぐ行きます」と苦笑しつつ電話を切った。

しばらくして「奈邪」のドアが開き「よお!」と手を挙げて入ってきたのは何とK氏はK氏でも、旧知の画友のK氏
だったので驚いた。いつもは事前に連絡してくるのだが、今回はなかったからである。まあ何はともあれ
画友K氏とは久々なので、積もる話に花を咲かせた。そのうちにやっとカメラマンのK氏が入ってきた。
見れば女性と二人連れだ。「何だ何だ、」とわたしが茶化して言うと、同じカメラ仲間のYさんだと紹介してくれた。
あまりに佐奈川の桜が素晴らしかったので、つい二人して夢中で撮ってしまったというのである。

実は、画友K氏をはじめ、ここに揃った4人は同じネットのクラブに所属している4人なのだ。わたし以外は
3人初対面だったのだが、同好の志のためか、まるでみんな旧知のように話が弾んだ。それは、絵からカメラから
政治経済にいたるまでに及んで、時の経つのを忘れてしまった。

気がつけばすでに時計は1時を回っている。女性のYさんがどうしても外せない用事があるとかで、先に
帰り、男3人で佐奈川へと向かった。

やはり佐奈川の桜は葉桜ぎみであったが、まだ花のほうが七部ほど残っていて、花見には充分であった。
というより、我ら黄昏三人衆にとってはむしろこのほうが、そこはかとない黄昏感がピッタリ合って、お似合いだったのだ。
カメラマンのK氏はあっち行ってはパチリこっち行ってはパチリとやっている。わたしと画友K氏は桜並木の下を
並んでそぞろ歩きし、時折はらはらと落花を浴びて、ゆるやかな時の流れをしみじみ味わったのである。

下戸の画友K氏は、3人の花見を遠慮して佐奈川を後にした。わたしとカメラマンのK氏とは、予定通り佐奈川で
花見をすることにして、佐奈川に並び立つ大型スーパーにて酒とつまみを購入し、佐奈川沿いの菜の花の中に陣を取った。

目の前には川面にたゆとう花筏(いかだ)が大きく広がり、まるで我らと宴席を共にしてくれているかのようだった。
K氏は、鞄の中から何やらおもむろに取り出すと「プレゼントです」と、わたしに渡したのはお猪口だった。(写真)

何でも、鹿児島の薩摩焼ということだが、漆黒の上塗りが重厚さを醸し出している。二つ持っているうちの一つをわたしに
進呈してくれるというのである。心して手にするとズシリといい手ごたえで、持ち手にシックリ来る。早速これに
K氏が純米酒を注いでくれたのだが、いやあその美味しかったこと…。やっぱり酒は器が大事だなあとつくづく思わされたのだった。
わたしはつまみは握りずしを買っていたので、この純米酒と握りずしで宴は始まったのだった。二人で大いに語らい大いに飲んで
したたかに酔っぱらった。

すると、K氏が又もおもむろに鞄から出したのは、包装された純米酒だった。「これ差し上げようと思ったんですけどねえ…」
と目が合うと、わたしが「飲みましょうよ」と言うと二人してニンマリ笑い、空けてしまったのである。

すでに夕陽は陰りはじめていて、キラキラと川面を反射してK氏の横顔を赤く染めていた。

命名、“菜の花酒”は、こうしてゆるぎない時を刻んだのであった。Kさんありがとうございました。そして
ごちそうさまでした。そう遠くない日に又やりましょう!。
コメント (2)
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