つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

美しき猛獣

2010-01-30 04:41:50 | つらつら思うこと
昨年の暮れの話だが、会社の食堂横のボードに「年末年始無災害運動」と表記した
大きなポスターが張ってあった。ことしは寅年ということもあって、雪を蹴って飛び掛って
くるような虎のポスターが掲げてあった。

食事を終えた後、そばに行ってまじまじと眺めた。常々描いてみたいと思っていた
動物の筆頭に虎があったのだ。わたしの中では虎こそ美しき猛獣のナンバー1なのである。

あの天然自然のみごとな紋様は、天が与えたもうた最高傑作ではないかと思えるのだ。
しかも強い。おそらく百獣の王ライオンと並ぶ地上最強の猛獣であろう。

雪と虎という組み合わせもいいし、何より野生の眼がいいのである。あの動物園で
のんべんだらりとエサを与えられてる死んだ目ではないのだ。

わたしはそのポスターがほしくなり、その旨担当役員に伺ってみると、新年になると
晴れ着姿の女性のポスターに代わる予定なので、年が明ければ持って行っていいよと
言われた。

そんなわけで、新年早々そのポスターをいただき、帰宅して我が家の女性たちに自慢げに
見せると、その第一声が「かわいい~!」である。わたしはズルッとコケてしまった。

この獲物を狙ったような野生の眼は、この猛々しい跳躍は、この気品に満ちた精悍な
面構えは…、あの女性特有の「かわいい~」の一声ですべてが表現されてしまったので
ある。

彼女らにとっては美しき猛獣もかたなしで、大きな猫くらいにしか見えないようだ。
しかしこのかわいい~という恐るべき女性の審美眼はあなどれないのである。

スーパーコンピューターを何台駆使してもかなわない、一瞬にして感知する「かわいい~」
という価値判断が人口の半分を占める世の女性陣に満ち満ちているのだ。

わたしは絵を描いたとき必ず身内の女性陣に見せるのだが、生き物であれば「かわいい~」
花や風景ならば「きれ~い」このどちらかの一声が出ないと、ダメな絵となってしまう
のである。云わば魅力的かどうかのお墨付きをもらうようなものなのだ。ゆえに
あなどれないのである。

と言うわけで、いま部屋にそのかわいい~虎のポスターが張られて、わたしに描かれるのを
待っているのだ。

果たしてそのときこの一声を賜れるかどうか、自分でも楽しみにしているのだが、
内心、可愛くなんか描かないぞ、と思っている。気高く、強く、美しい虎を描くつもり
なので、「かわいい~」などと言われたら…それはそれでちと…ウム…なのである。

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ちょっとその気に…

2010-01-23 04:04:33 | 絵・まんが
うちの会社の事務所の前にタイムカードがあって、押して帰ろうと
したときだった。たまたまそこにいた役員の一人が小冊子のパンフレットを
指差して、「これKさん興味あるんじゃなにの」とわたしに話しかけた。

そのパンフレットはタイムカード機の側の机に乗っていて、「第26回O市民美術展」
募集要項 と記してあった。わたしがお絵かきオヤジというのはすでに会社中で
知れ渡っているところなのである。

「興味あります」と即座に返事をしてパンフレットをもらった。
しかしこれはO市民の美術展なので、隣のN市在住のわたしに応募資格はあるのかなあ
と思って、出品資格のところを見ると、在住・在勤とある。この会社はO市にあるのだ。

「ちょっとやってみるか」となんだか意欲が湧いてきた。普段あまりこういう作品募集には
正直面倒で、あまり意欲は湧かないのだが、今回すんなりやる気が出たのである。

するとこれまた珍しく作品イメージが鮮明に出てきたのである。絵を描くというのは
簡単そうに思えるかもしれないが、どんな絵を描くかというのが、けっこう悩ましい
のである。逆にこれが決定すると、もう70パーセントは描けたも同然なのである。

と言うわけで、もう70パーセントは描けました。

後は…はてさて…応募するかしないか…なのだが、まあ…世界平和のために(シャレですよ)ナイショ、ナイショ。
当然結果もナイショ、ナイショ…。
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しあわせシミュレーション

2010-01-11 05:50:39 | つらつら思うこと
わたしは自他共に認める夢追いオッサンなのである。

これに対して今まで何の疑問も持たずに生きてきたのだが、最近になって、
果たしてわたしは夢に向かって本当にに進んでいるのだろうか…と思うように
なった。

その夢はいつ実現するのだろうか、そもそもわたしの夢とは一体なんだったの
だろうか、と考えてしまったのである。

夢を追うとは、いわば自分のしあわせに到達しょうという究極の想いであろうが、
それが実は漠然としていることにいまさらながら気づいたのである。(遅すぎ)
もはやその実現をのんびり先に延ばしてる余裕などないような年周りなのだ。

いま、どうして、どうなっていればしあわせなのか…、寝る前など具体的に
シミュレーションしてみたのである。

以前「将来の夢はなんですか?」と聞かれたことがあったのだが、「さすらいの
はいまん彩人です。」と答えたのを覚えている。

つまり放浪の旅すがら「はいまん彩」を描くという意だったのだが、実現には
至っていない。もちろんシャレも入った極端な姿を言ったものではあるが、
要はお絵かき三昧の生活のことである。

その他シミュレーションで指を折れば、いくつかのしあわせを獲得できるはず
なのであるが、それらをしぼりにしぼって、究極の一点だけを取り上げてみると、
結局私の場合最高に納得できる1枚の絵が描ければいいというようなことに
なったのである。

それに、働きながら給料をもらって、遅々とはいえ好きな絵を描いている
今の生活を、しあわせではないと言えるのだろうか。

こうして考えていくと、「夢とは、しあわせとは何だろう…」という思いに
行きついてしまうのである。

いずれにしても、最高に納得できる絵はそう簡単には描けそうにないので、
我が人生、夢進行形で終わる可能性のほうが高いのである。まあそれはそれで
よしと思っているのだが…。

あの坂本竜馬は「自分が死ぬときはどぶの中で死んでもかまわないが、前向きに
倒れて死にたい」と言ったとか言わなかったとか…。

わたしも前向きの進行形で倒れたら本望かなあ…。









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コミック界の頭脳

2010-01-05 09:43:44 | 絵・まんが
わが子に薦められるままに1巻から読んだコミックがある。

「ハンターハンター」少年ジャンプ(集英社)である。
新年早々27巻目を購入した。

「ハンターハンター」のストーリーは、一言でいうならハンターテストという
厳しい試験に合格したゴンとキルア(キルアは最終テストに落ちた)という
少年の友情と冒険の物語りなのだが、主人公のゴンが、行方不明で史上最強の
ハンターといわれたジンという父を探す旅でもあるのだ。

作者は富樫義博という漫画家だが、「セーラームーン」の作者の竹内直子氏の
旦那様としても有名である。

とにかくこの富樫という作者の頭脳に驚かされるのだ。技や能力の多彩さ、
登場人物の思考の深さ、感情の変動の奥行き、これらの描写のすごさに
圧倒されてしまうのだ。

わたしも元コミック界の末席の末席に鎮座させてもらっていたものにとって
わかるのは、とにかく天才的頭脳の持ち主だということである。作者のはるか
なるIQの高さに、おいてけぼりを喰ったような情けなさを感じるのだが、
それでも惹きつけられてしまうのである。

その他、「デスノート」(原作大場つぐみ作画小畑健)なども薦められて見た。
それに「のだめ」の作者の二宮氏といい、コミック界の才能・頭脳のすばらしに、
やはり日本のコミック界は世界に冠たるものだと改めて誇りに思ってしまった。

ぜひ一度「ハンターハンター」1巻でも読んで、その頭脳に驚嘆してみては
いかが…。

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その家の味

2010-01-04 07:37:44 | 食べ物
いよいよ年が明けた。昨年があまりにきつかったので、今年は
おだやかに願いたいものである。

元旦は新居のご披露目を兼ねて、親族を招いた。まあ本来は母が
デンと中央に居て子供たち一家が囲んで正月を祝っていたのだが、
今年はその母がいないので、母を偲ぶ形になってしまった。

母が得意だった料理を我が家と妹家で手分けして作り、みんなで食べた。
きっとそれぞれの家庭には、お母さんが作る云わば伝統ともいえる
料理が少なからずあるに違いない。

通常昆布巻きニシンは、文字どおりみがきニシンを昆布で包むが、母のは
塩サバを包むのである。これ1つとってもその家独特の味があるのがわかろうと
いうものである。

それ以外にも多々あって、小さい頃からそれを兄弟揃って食べているので、
いくつになっても母の味として残るのである。

わたしが東京へ出て、放蕩していた頃も、たまに正月など実家に
帰ると、それらの味をなつかしんだものである。今年もその母の味を子供たちの
家で受け継いだものがあるので、それぞれ持ち寄って味わうことができたのだ。

完全に母と同じ味とはいかないのだが、微妙に変化しながらも、その家の味は
次世代へと受け継がれていくのだなあとしみじみ思ってしまった。

何はともあれ、例年のように違和感なくみんなで集まることができたので、
毎年こうやって我が家に集まれれば…と、思った次第である。

みなさま、今年もヨロシク!


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