つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

まっ黒な眼

2010-11-27 04:56:48 | 動物ウオッチング
雨上がりの休日、車を洗うべく駐車場へと向かった。洗うと言っても、濡らして絞ったタオル4枚で
拭くのである。まず、フロントガラスから拭こうとワイパーを持ち上げようと手を伸ばした時、何やら
変なものが…、わたしはハッとして飛びのいた。

何と、ワイパーにでっかいスズメバチが乗っかっているではないか。そのまっ黒な眼と正面から
見合ったのである。あの瞬間に襲われていたら一たまりもなかったろうが、ジッと動かずにこっちを
見ていたのだ。この時期だ、死んでいるか相当弱っているに違いない。背をかがめ、そーっと様子を伺うと、
お腹が動いている。生きている…。いくら弱っているとはいえ、獰猛で名を馳せるスズメバチである。
油断はできない。しかしこのままでは何時まで経っても車を洗うことができないではないか。

わたしは背をかがめたまま、後ろからそーっと回り込んでドアを細めに開け、車の中に滑りこんでドアを閉めた。
これで身の安全は確保できた。ホッと一息ついたところで、さーてヤツをどうしてくれよう…。

見ればまだワイパーに乗っているではないか。しめしめ…これでワイパーを動かしてヤツを吹っ飛ばしてやる。
以前カメムシがフロントガラスにいた時、ワイパーで吹っ飛ばそうと回したらつぶれて死んでしまったことが
あった、まあ…殺生は望むところではないが、そのようなことになってもやむなし!。

ウオッシャーのスイッチ入れると、ビーッと水が跳び出し、自動的にワイパーが2往復するようになっているので、ワイパーが動いた。するとヤツはつぶれもせず、ワイパーに掴まったままわずかに翅を広げてバランスを
取り、2往復掴まったままだったのである。なんてやつだ、弱っているどころか元気そのものだ。

ならば…もう1度~2度とウオッシャーをかけたが、相変わらず翅を広げてバランスを取って、まるで
シーソーでも楽しんでるかのように余裕しゃくしゃくである。何だかおちょくられた様な気分である。

「おのれ~どうしてくれよう…」さすがのわたしも、ちょっと感情的になってきた。「ならば、ワイパーを
最高速にして、振り切ってやる!」とレバーに手を掛けた途端、ヤツはパッとワイパーを手放し、飛び立った
ではないか。まるで、気配を察知いたかのようである。しばし、ゆっくりと一旋回するとスーッと建物の
向こうへ飛び去ってしまった。

ちょっと悔しかったが、殺生もしなくて済んだし、これで心おきなく洗車もできるし、まあいいか…と
ヤツの消え去った空を見つつ、車から出て、フロントガラスを拭き始めた。その間ほんの数分いや数十秒
だったと思うのだが、何かイヤな予感を後ろに感じて振り向いたところ、何とヤツの貌がほんの数メートル
のところにあるではないか。

わたしは一歩も動けず、立ち尽くしてしまった。ヤツは空中でホバリングしたまま
そのまっ黒な眼をこちらに向けている。多分ほんの数秒だったと思うのだが、目と目が合ったのである。
そしてスーッと飛び去ってしまったのである。それからは二度と戻らなかった…。

ヤツの消えた空は底抜けに蒼く、雲も一点のシミもなかった…。あのまっ黒な眼は、一体何を思い、
何を言いたかったのだろうか、気になる眼だったのである…。


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お気に入りぐい呑みを求めてⅡ

2010-11-24 03:06:28 | 

「ドームやきものワールド」のブースをひと巡りして、戻ろうとしたのだが、迷い込んでしまった。
そして、たまたま迷い込んだところのお猪口に見入ってしまったのだ。

それは、他では見たこともない薄青、深緑、褐色、ベージュの4色が渦巻状に焼かれていて、
うわぐすりは塗ってなく、持ってみると何とも言えないいい手触りで、薄くて軽いのだ。
それに値段も手頃である。「これってあなたのオリジナルですか?」とそこにいたまだ若い
(40代前後と思われる)作者に聞いてみた。、「エエ、わたしが考えだしたもので、
他の誰もやってないです」と、照れくさそうな笑顔で答えた。

徳利も手に取ってみる。これもグルグル4色が全身見事な渦を巻いているではないか。やはり軽い…。
しかし…わたしは、古めかしい陶器の器で、じっくりとわびさび感に浸りながら酒を呑みたいのである。
この器はどちらかというと現代アートっぽい感じで、イカしてはいるが、わびさび感に浸れるかどうか…
それならむしろ先ほどチェックしていた苔むしわびさび色で…歪んだゆらぎのほうが…と思うのだが
もう、わたしの手が離さないのである。

「ビールジョッキみたいなのはないですよねえ」と聞くと、「ありますよ」と即座に答え、違う棚に
案内してくれた。

そこには取って付きのジョッキが3~4個置かれてあった。これも同じく4色渦巻きだ。「これはいいですよ」
と言うと、ちょっと後ろを向いてガサゴソしてたかと思うと手に缶ビールを持っているではないか。
そのニップルをプシュッと開けて、その内の1つに注ぎ始めた。350ml全部注ぐと「ほら泡が細かい
でしょう」と言うと「どうぞ」と勧めるのだった。なるほど、細やかな泡が出ていて、いかにもクリーミーな
感じである。

わたしは車で来たことを告げ、ゴックンと生唾を飲み込んだ。「そうですか車でしたか」と残念がって
くれたが、ゴクゴクと自分で呑み干してしまった。本当は自分が呑みたかったんじゃないの…と思わず
苦笑してしまった。

結局ここにて、お猪口、徳利、ジョッキ、焼酎湯割りカップの我がぐい呑み4点セットを購入して
帰路に就いたのだった。

早速その夜、めったの呑まないプレミアムビール500mlを買いこみ、渦巻きジョッキに注いでみた。
確かに細やかな泡だ。一口呑んでみる、ウ~ン…ホントにまろやかでクリーミーな味である。これだ…
わたしが求めていたものは、わたしは確信した。そしてじっくり味わいながら呑み干したのだった。
イヤ~ほんとに旨かった。翌日、酒を燗して呑んでみたが、これまた旨かったったのである。

しばし…夜は御機嫌だ…。





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お気に入りぐい呑みを求めて

2010-11-23 06:40:36 | 
わたしは長年にわたり、お気に入りのぐい呑みセットを探し求めていた。

しかし、ものぐさゆえに陶器の本場とか、催し物展などに出掛けることもなく、手近の
スーパーなどで購入して、間に合わせていたのである。

そんな折、とある方からNドームの入場ハガキをいただいた。と言っても野球ではない、
「ドームやきものワールド」と銘打った陶器即売展の催し物が行われるのだ。

これは願ってもないチャンスだ。我がのん兵衛至福ライフのために、欲しいものがあったら
値段を気にせず、(いいのかいなこんなに大見え切って)何が何でも購入するぞっと!と心に決め、
お絵描き預金から(そんなのあったかなあ?)引き出したお金をにぎりしめ、休日を待って車で出掛けた。

雨男にもかかわらず空は晴れ渡り天気は上々、といってもドームだから関係ないが、いい予感が
するではないか。

車はドームと繋がっている近くの大手スーパーに駐車し、(3千円以上お買い上げで3時間無料、
ただしお買い上げなくドームの野球観戦や催し物のために駐車すると、6千円請求されるらしい)
ドームへと渡った。

ドーム内は、迷路のように区切られたブースに、有名、無名の〇〇焼きと書かれたカンバンが立ち並び、
日本全国の焼き物のメッカから集まってきているのがわかる。

わたしが欲しいのは、お猪口・徳利・ビールジョッキ・焼酎湯割り呑みの、のん兵衛4点セットだ。

入口から一軒一軒4点セットを見ていく。このセットだけはネットで買うというわけにはいかない。
手に取り、触り、口に持っていってみないと、その感触を実感できないからだ。
いいなあと思っても手に取ると重すぎたり、肌触りが悪かったり、ジョッキなど取っ手の持ち具合が
手にしっくりくるかどうか、持ってみないとわからないのである。

そして、とある一角で、ついにウ~ムと思えるお猪口と徳利を見つけたのである。うわぐすりを塗っていない
手触り、持った重さもほどほど、色も苔むしのわびさび色。何よりぐにゃりと歪になっているのも、
我が探し求める“ゆらぎ”を感じるではないか。作者は何やらオエライ大家のようで、他のものの値段は
相当なものである。

だが、わたしが手にしているものはさほどではない。良く見ると、陳列してある棚に「わけあり」と
書いてあるではないか。なるほど、陳列品を仔細に見ると、ちょっと欠けていたり、色ムラが
あったりしている。手に取ったお猪口もちょっと色ムラがある。でも、わたしはそんなことは気にしない、
かえってリアルな手作り感があって、望むところだ。

ブースはまだまだあるので、二重丸のチェックを入れて、もうひと巡りして、これ以上のお気に入りに
出会えなかったら戻って購入。と決めてまた次のブースへ…。

さすがに人出は多い。カップル、家族連れ、オッサンオバサン、爺さん婆さん、青い目の方、正体不明の
サングラス、らが、ぞろぞろと各ブースを巡っている。ドームのステージではコロッケのモノマネショウの
真っ最中である。わたしも見たかったが、なるべく3時間の駐車時間内に終わらせたかったので、ちらちら
ハイビジョンを目で追いつつ、耳では松山千春マネを聴いていた。

ひと巡りして、まだまだブースを残していたが、さっき以上のは見つからず、疲れも出始めたので、
戻って購入しようと踵を返した。…が、このブース並は迷路のように区切られていて、元々方向音痴
ぎみのわたしは、どうやら違うところに迷い込んだようであった。

しかし、そこで何気なく目にしたものに目を奪われてしまったのだ。








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住み心地

2010-11-18 03:41:31 | ちょっとした出来事

        台風の 眼の中に居る 住み心地
                       issei
このような拙句を作ったことがある。

平屋からマンションに引っ越してきて丁度1年が過ぎた。マンションの住み心地が同じとは言わないが、
多人数の巣窟の一角にいるのは間違いないので、多少なりそのような思いをすることもある。

そこで、1年過ぎたマンション暮らしを検証してみた。
取り合えず良かったことを取り上げてみる。まずは、思ったほど物音は聞こえず、静かだったのが印象的だった。
上下左右、ほとんど音は聞こえない。上で家具など動かしていると聞こえることもあるが、
そう大きな音ではない。部屋はエレベーターの隣りなのだが、エレベーター音がまったくと
言っていいほど聞こえないので、助かっている。

ただ、階下で異様な声で大泣きする赤ちゃん、向かいの家の良く吠えるストレス犬、これらが、若干
耳障りではあるが、まあ大したことではない。

部屋の温度が安定していて、今年の猛暑もエアコンの設定温度は28度で済んでしまった。
冬もあっという間に暖まるので、冷暖房の効率はいい。

それに、なんといっても光熱費が半分以下になったのがありがたい。IHなのだが、思ったほど電気代も
上がらず、水道・下水代もかなり低い。(身内談)(具体的金額は身内まかせ)

マンションの出入りは、OO7の映画のように全て自動で、ただ歩いて行けばいいし、まあ、深夜に騒音を
起こさないように気を付けるぐらいで、住みやすさという点では少なくとも平屋にひけはとらない。

実はこのマンションの部屋を選ぶとき、11階の一部屋とこの低階と二部屋だけが残っていて、身内らは
見晴らしのいい11階に住みたがったのだが、わたしが自分の一部屋をキープできる低階を選んだのである。

住んでみて、これが大正解だったのだ。帰宅や出掛け時にエレベーターを待つこともなく、さっさと階段で
行けるし、景色にしたって1階ではないので、それなりの眺めは得られるだ。それに高所恐怖症ぎみの
わたしにとって踊り場を覗く度に震えなければならないことを思えば、安心感があるのだ。(笑)

後は何たって緑地公園が目と鼻の先にあって、我が庭と称しては春は桜、秋は紅葉と熱燗を引っ提げて出掛け、
ほろ酔い眼で眺め入っている。

それに個人的に一番嬉しかったのは、低階にもかかわらず、今年の夏一度も蚊に刺されなかったことである。
平屋のときは、毎夏、蚊の空爆を撃墜しつつ花に水をやっていたが、それでもイヤと言うほど刺されたのである。

悪いところと言えば、時折変な業者が聞いてない工事をしに来たり、入ったばかりのこのマンションの部屋を
売ってくれという不動産屋のチラシが、毎日のように郵便ポストに入っていたり、風向きによって臭ってくる
田舎の香水(近くに牧場があるらしい)である。

というわけで、いまのとこ、マンション暮らしもまあ悪くないかなあというところである…。
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恋心

2010-11-06 07:42:52 | つらつら思うこと

今、色々な趣味を持った人たちのクラブに入会したのだが、まさに様々な人たちが居て
大いなる刺激を受けている。老若男女だが、全般に高齢者が多いようだ。

みんなセカンドライフをいかに有意義にすごそうかと、あれこれチャレンジして意気軒高である。
その生きざまの報告やら日記に、会員たちから拍手や励まし、共感のコメントなどが届き、
コメントがなくても、見た足あとだけを付けて行く人もいて、にぎやかだ。

その様子が、心さびしき人たちの癒しの種にもなっているようである。それぞれ会員たちの自己紹介の
欄があって、中に一番したいことというとこに、「燃えるような老いらくの恋」などと書いている
人が居た。見れば女性とある。「へ~高齢の女性でもこんな想いを持ったりするんだ」と感心した。

というのも、煩悩のかたまりのような野郎どもと違って、女性は一定の役割を終えると、恋の必要性は
無くなり、男などといううっとうしいものから解放されたようにせいせいして見えるからである。

だからわたしは、女性はもはや精神性で異性に接すると思いこんでいたのだ。燃えるような…などと
言われると、精神性だけに収まらないような気がするではないか。まあ、それはそれで大変よろしいかと
思うのだが。(笑)

いずれにしろ言いたいのは、この恋心のことである。わたしが最も避けたいのは加齢するごとに荒涼たる
砂漠のような心になってしまうことなのだ。潤いのない心、ひいては潤いの無い人生なんかまっぴら
なのである。

例え砂漠化が進んでしまった心にでも、小さな泉をたたえたいのである。そしてそこに密やかでもいい、
一輪のうすくれないの花を咲かせたいのである。
これは、よぼよぼのジジイになっても持ち続けたいのだ。

潤い…これこそ、まさに恋心ではないだろうか。素敵な異性に出会い、相手を尊敬し、その人生を
尊重し、敬意を持って接する。そこに心身の潤いが生まれるのではないだろうか。全身の細胞が活性化し、
瞳は潤み、やわらかな笑みをたたえるようになる。そして若き日に味わった、ときめきと切なさを再び
湧きあがらせるのである。

ここで大切なのは「心」というところなのだ。たまたま出会って素敵だと思った女性が、その筋の人の
愛人だったということもあり得る。しかしいかなる身分、いかなる立場の人にでも心は自由に通わせれるのだ。

心は自由である。そしてその心の想いは通じるのである。…とわたしは信じているのだ…。
☆このブログはそのクラブの会員からも自由に見れるようになってます。

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