最近は老人が主体の 「サロン」に行っている。
体操教室もそこでの教室。
昨日は、100円ショップで求めてきた(指導者)花を芳香剤に張る企画だった。
私は少し秋色にまとめた。本当は地味な薔薇の花ばかりが良かったのだけれど、行くのが遅かったから、残っている花が少なく木の実擬きの飾りを貼ってお茶を濁した。決して満足はしていない。
さあ、この花がお気に召した人達がいて、自分の作った作品を私のところに持ってき、最後の仕上げをやってくれと集まって来た。
ゆきあたりばったりに有る材料を貼っている。落着きの無いというかセンスが無い。残っていた花を数個貼り、切ったり、取ったりして最終の仕上げを手伝った。
先生が(指導者)気を悪くしているのがひしひしと私には伝わる。
そして、ある人が私の出来損ないの作品を指さして、次はこの作に使っている花や実を揃えて下さい、、、と希望を出している。
「どこに飾るの」、、、と聞くと、「応接室か床の間」と言う。
「有り難う」と何回も言われた。聞いた。
私が着ているリメイクの服も、作り方を教えてくれと数人に頼まれた。本当は嬉しいが「お断り」
上手くいって当たり前、気にいらねば何と思われるか?自分の事は抜きにして、教えた人に責任を押し付けるのが関の山と解っているから。
「私の家に遊びに行ってもいいか?」と言う人も。、、、、「黙」
しかし楽しかった。後から参加をした私だけれど、自分がどう思われているか少し解った。
最後に「お茶しましょう?」
「待っている者がおりますから、夕食の材料を買って帰ります」
☆ 澄みゆきて水であること忘れけり 櫂
☆ 哲学者考えすぎて散る柳 櫂
生きることは難しい。世間を狭く、難しくしているのは自分自信かな。