老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

  倉敷吟行 ❶

2017-10-17 07:55:52 | 俳句

     
 あいにくの朝からの雨。瀬戸大橋を走る電車から見る。
いつも遊びにきている 東山魁夷の美術館や沙弥島も雨にけぶっていた。
そこはいつものように季語を変えているうちに浮かんだのが

     🍒    秋興や土産に一つ瀬戸の島


     <
 阿智神社の秋のお祭り
まだ人どおりが少ない。

     🍒    銀杏散る階登る晴れ着の子

 何年か前に 七五三の子が長い袂を翻して登っていた姿が甦る。

     🍒    爪皮を綺麗どころや秋黴雨

     🍒    秋袷吾が境涯と異なる人

 爪皮が読めない。句稿に(ママ)と?
爪皮は死語になっている。我が結社でも?
まあ句としても説明の域を出てはいない。目の当たりにした光景ではあったのだけれど、、、

     

 さすが倉敷。
謡の稽古をしているらしい。家の奧からもれ聞こえくる。

     🍒     色変へぬ松晴れの日の謡かな

      
 大原美術館の正面玄関に ロダンのカレーの市民

     🍒     秋愁やカレーの市民の深眼差し

     🍒     カレーの市民はおる布切れ小寒かろ

 抜けなかった。
日向性を重んじる結社の考えは、吟行であろうと、奧の奧を詠まなくてはならぬ。
絵葉書俳句を脱し先を見据えた句は作れなかった。

      

     🍒     鳥渡る白い火の見の蔵の町

     🍒     秋霖や倉敷川のささ濁り

     🍒     柳散る河岸の露店の遠見して

 辺りの風景になじむように 火見櫓は真っ白である。
小さな発見と思ったのだけれど。

    

彼の天下に名高い 加計学園系列の看板を見つけた。
覗いたけれど、中には入らなかった。
加計の経営する医学系の大学がこの地にある。
電車の窓からいつも見ながら、ここ倉敷へ来るのだ。

      🍒    次々と車窓に消へる柿花火

      🍒    名にしおふ加計の看板秋寒し  (川柳か) 皮肉も言いたい昨今であるから。

 車窓からは今を盛りに柿がたわわに実を付けているのが見える。
後から、そう今思うと、ここ倉敷で詠まないでも、どこでもにもある景色。残念!


 そんじょそこらの句を投句をしても駄目と終わった後で気付く。
言葉は易しくて良い。奧の小さなほむらを探しあてることが大事。
まあ 投句日まで 何日もある。
しかしながら、句友達の力は半端じゃない。ここはとポイントを、見逃していない。
師の追っかけは無駄ではないのだ。
三年ぶりの句会、学ぶことが沢山あった。

コメント
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