前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

ママの選ぶドレス/ 岡田有希子2

2009年02月07日 00時41分38秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今となって考えてみると当時感じていた違和感は思春期の心のバランスの悪さだったり、
タレントはそれを見せない方がいい、均衡を保とうとする必死さだったように思えます。
隠そうとするから余計変に見えちゃうような。そこの部分むき出しのほうがむしろ人間的なのにね。
その方がもっと好感を持たれたんじゃないでしょうか。

ファンでなくとも当時は今のようにお笑い番組に席巻されることなく、歌手、
の中でもアイドルといわれる人たちが活躍できる歌番組が幾つもあって、
食事時など、テレビの中で岡田有希子の活躍ぶりを見る機会は結構ありました。

岡田有希子を思い出す一番の印象は奇妙なダンス。
下半身の動きに上半身や首から上が取り残されているような変な感じで、
擬音をつけるなら、モッサリ、モッサリ、ギクギク。
彼女は運動が苦手だったのではないでしょうか。そう言える確信はかく言うわたしが
運動神経が悪いから。運動オンチのひとの動きって何となくわかってしまう。
だから、妙に生真面目に振り付けを再現しようとする彼女を見ていて痛々しく見えました。
低音を伸ばすとき音程が不安定になるけど声は素直で聞きやすかった。
そして難なく歌いこなすのにいっぱいで歌にいまいち情感が足りなかった。
でもこれは、無理してあの奇妙なダンスをやっていたから、そっちに気を取られていたためだと思います。
振りなどない歌を歌えたらよかったのにね。

視線にも定まらない何か奇妙なものを感じていたのですけど、歌の途中で瞬間、瞬間に見せる
笑顔には素直な印象が感じられて、それが一番の魅力だったはずです。
でも笑顔が翳った瞬間の、何かをまだ言い足りないという不満をためたような
口元とちぐはぐでこれまた不自然な違和感。

当時は無個性に見えたのですが、
どうありたい、どうしたい、どう見られたいの自意識の強さの現われが、
あの違和感の中に詰まっていたことに当時の映像を見て気づきました。
とにかく、彼女はいつも必死で一生懸命だったのだと思います。

色々言われているけれど、彼女の死は『叶えたい自分』とか『なりたい自分』から
少しずれたことに端を発しているのではないでしょうか。
大抵の人は甘受する術を持ち、諦めることも知っているけど、何に耐えたとしても
それだけには耐えられない激しさが、あのこころもとない風情の中にあったのではないでしょうか。
極端に言えば、ゼロか全てのどちらかしかなくて、『なりたい自分』以外なら終り。
未遂を犯して、付いてしまったシミのせいで尚更、終わらせなければならなくなってまったのではないでしょうか。

だから、彼女の心の中ではどうであれ、現実には昨年鬼籍に入られた
Mさんは直接的には関係ないと思います。
当時この方の記者会見を見た覚えがありますけど、答えようのないことを質問されて、
当惑していたように見えましたし、故人の思いを傷つけまいと気遣いもあったように思います。

以上、
思い込みの激しいタイプの人間が思い込みの激しいタイプ
ではなかったかと思われる人を分析してみたたわごとです。

ファンでも何でもなかった人間がこれほど長々と語れるほどの衝撃を残した事件。
その影響ゆえに長い間、岡田有希子という名前は封印されてしまいました。
今ではあり得ない、最後の姿を週刊誌にさらされてしまったことも影響になったかもしれません。
かくいうわたくしも、教科書を買いに行って、みんなが買っていたフォーカスだか、
フライデーだかを一緒に買って来てしまった。
その時つくづく思ったのが、肉体は単なる入れ物なんだということでした。
もはや、輝いていたアイドルではなく、そこに詰まっていた肉体を制御するもの、
理性とか、知性とか羞恥心とかを失った単なる物体で、その扱われ方も物に対するそれのようで、
それを見てしまっている自分に罪悪感すらありませんでした。
もし、肉体を離れた魂というものが存在するならば、あんなふうに扱われたことは
さぞかし、辛かったはずです。
細かいことを言えばきりがないのですが、あんな晒し者にされてせめて下向きでよかったよ。
スカートの裾が乱れないタイトでよかったよ。本当に本人だったのだろうか?もう少し、年かさの女性のように見えたよ。 


人間ってただ、年をとるだけのようですが、年をとるだけでわかることってあるものです。
だから、彼女には一瞬を耐えて年をとって欲しかった。色んな未来があったでしょうから。
前回も書きましたけど、その達観ができたら、きっと今頃素敵な女性だったと思います。
わたしは観たことがないけど、ドラマとかに出ていたので、女優として活躍とかもしていたかもね。

楽しい思い出の多い80年代の中で、話題として取上げるのには迷ったのですが、
暫く封印されていた彼女の姿を再び見ることのできる時代になったので、
知らない世代の人たちにも、違和感を覚えるほど懸命な姿を知って欲しいと思いました。
ちなみにわたしは『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)と
最後の化粧品のキャンペーンソングしか知らなかったのですが、
summer beachという曲がいつになく伸びやかに歌っていていいと思いました。
ダンスはちょっと・・・・でしたが。とにかく一生懸命です。

最後に
『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)はすごくこの人に似合う歌だと思いました。
脱皮しようと必死で、自由を求めていて、恋心を抱いていてでも、どこか遠慮がちでそれを大声では言えなくて。
窮屈な『ママの選ぶドレス』を着ている心の中には叶えたい思いが一杯詰まっている。
そうそう、思い出したけど、当時東京を目指す女の子の憧れのひとつ『南青山に住むこと』
(林真理子の小説『南青山物語』の影響か?)
その夢を岡田有希子は叶えたばっかりだったはずです。 終り