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前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

暖かくなるために聴いてみた『初夏の頃』愛奴

2018年02月04日 14時41分18秒 | 音楽
立春大吉
春がやってきたと、思いたいけれど寒いし、雪が舞ったり強風が吹いたりしています。
それでも何となく春と聞くと気持ちはあがりますね。

愚図愚図しないために何かいい方法はないものかと、いつも気合、気合と自分に言い聞かせはするものの、
背中を丸めて、ノロノロと動いています。
ふと、テレビから蝉の声が聞こえてくるシーンが・・・
あっ、あの暑苦しさを今感じたい、何かいい方法はないものであろうか?

夜寝る前にストレッチを日課としていますが、中々これも寒くていい加減なやり方になりかねないこの頃。
ラジオや自分の持っている音源やら、カウント替わりに流します。
そこで、蝉の声はないけれど、夏の曲にしようではないかと思い立ちました。

あっさりと、チューブとかにすればいいではないかと自分でも思うけれど、
これは本当の夏に取っておきたい?気がして、
選びましたのは、全然夏っぽくもない、タイトルだけ夏が付く、初夏の頃
恐らく、CDを買ったきり一度しか聴いていないはず。
それが久しぶりに聴いて凄く気に入ってしまいました。
ここ数日毎晩聴いています。

極稀なことですが、音楽がこころをどこか遠い場所に運んでくれる時があります。
自分の経験した過去だったり、誰かの悲しみの場所だったり、全く知らない所、時代。
それはいつも、決して未来ではない気がします。そして何故かやさしい。

ずっと昔にレンタル落ちしたCDを買って、あまり聴き返すこともなかった一曲が今回
わたしのこころを真冬の寒さからどこかに運んでくれました。

CDは愛奴というバンド、その中の二曲目初夏の頃です。
そんなに説明するまでもないし、詳しくもないのですが愛奴は浜田省吾がデビューしたバンドだったかと。
ちなみにこのCDを買ったのはバブル期で当時流行のドラマに、浜田省吾の曲が使われていた頃でした。
このアルバムの中で有名なのは多分二人の夏でしょうか?
同じタイトルに夏が付くけれど、こちらはよく耳にしていた気がします。
わたしが当時気に入っていたのは『恋の西武新宿線』で何か一つことが終わった
ある夏の日、次なる展開を思いつつ、駅のホームに立っていた自分を思い出す曲です。
が、他はあまり聴きませんでした。そこがテープやレコードではないCD時代だなあと今は思いますね。
何だろう、時代も時代だったせいもありますが、素人っぽいっというか、インディーズバンドの
アルバムみたいで、色々試す試験的な印象を持ったまま仕舞い込んでいました。
まあ、聴いている耳も素人耳ですから、こんな稚拙な感想しか持てませんが。

でも、今回『初夏の頃』聴いてみてよかったです。
この歌詞の世界は一体何を表現しているのでしょう。
いや、知らなくていいことなのです。
何か不思議な気持ちにさせてくれます。
前向きな感じでは決してありません。
でも、湿った感じもありません。
だから初夏なのか
本当の意味や伝えたいことはわたしにはわかりません。
むしろ、この曲を聴いたひとがどう感じるのかをたくさん聞いてみたい気がします。



告げ口する歌

2017年12月01日 14時55分48秒 | 音楽
十二月、師走。今年も残り僅かです。
ちょっと街に出るとクリスマスの雰囲気漂う今日この頃。
お決まり定番のクリスマスソング達が聴こえてきます。
80年代フリークならばやっぱり、ワム!/Wham!のラスト・クリスマス/Last Christmas
なのですが、今日はこの話はしない。
ジョージ・マイケル/George Michaelのことも書きたいけれど、これも今度に。

今日はケアレス・ウィスパー/Careless Whisperが頭に流れてきましたので。

ふと、告げ口って嫌だなあと思っています。
日本にも告げ口ソングがあるんですよね。わたしがそう思っているだけかもしれませんけどね。
個人的にはすごく告げ口を短い歌詞で表現しているのが素晴らしいと思っています。
研ナオコ/窓ガラスです。中島みゆき作詞作曲。
よくこんなことを考えついて歌詞にできたなあ・・・実体験?などとあれこれ思うわたくし。
でも、別に傷ついてなんていないよと実際は傷ついているだろうに淡々と歌う研ナオコさんの
才にまた脱帽です。

ひとは、こんな時強がるものです。どこか別の方向を見てカッカとしてみせたりはしないものです。
この歌は短い物語をとても上手く描き、とても上手い表現者を得て、わたしは頷くばかりです。

しかーし、よく考えてみると、告げ口する人って敵かね?味方かね?
すまなそうに、つらそうに話し、善意で話してもね。
知らなければよかった、聞かなければよかったと思うことだってあります。

実際あの人がこう言っていたよ、あー言っていたよと耳に入ることは気持ちの良いことではないなぁ。
一度だけわたしもそんなとき「知りたくなかった」といったことがあった気がします。

昔、キャンディキャンディだったかなぁ?
イライザがテリーにキャンディのことを告げ口するような場面があったようななかったような・・・
かなり曖昧な記憶なので記すべきでないか?
・・・そんな場面で、テリー(だったと思う)が今の自分の顔を鏡で見てみろ、
いいことを教えてくれているつもりだろうけど、とても醜いっていうようなことを言っていた
ような記憶があります。

告げ口ってもしかしたらいい気になってしている時があるのかもしれません。
あまりしないことだけど、気を付けないとね。
忠告として自分の言葉に直して伝えるべきかもね。誰それがとかをなしにして。
だって絶対告げられる人は傷つくし、絶対いい気持ちは残さないから。
傷つくことを眺めているのって悪趣味だと思うのです。
それがわかっているから、言われた人は笑って見せるんです。
味方の顔をしているその人の前でも強がらないといけないのです。
雨雲が気にかかるふりでね。
何度も言います。中島みゆきさん作詞作曲の研ナオコさん歌う窓ガラスはすごいです。

ずっと来なかった仕事がちょっと来てくれました。
昨日街で自分の仕事したものを使っている人を初めて見かけました。
今まで一度も遭遇しなかったのに・・・
それ、わたしが作ったのとこころで呟き笑顔になりました。
さて、一仕事です。頑張ろう。

今がそのSOMEDAYだとしても

2017年11月20日 14時23分53秒 | 音楽
佐野元春のSOMEDAYがどこがで流れていました。

懐かしい…そう思う自分が不思議でした。
『お気に入りだった』と『懐かしい』はまた違う思いなのだなぁ。
だけど、『懐かしい』は慕わしいという良き印象を含んでいないと起こらないものではないのか?
自問自答するのであった・・・

佐野元春のSOMEDAYが慕わしいかどうか?さらに自問自答するのであった。
はっきり言っちゃうと・・?聴き取りにくいよね。
これは81年の発売というので、わたしが初めて聞いたのは高校生だったから
それから何年かたってのことで、『少し昔の歌』だと思って聴きました。
そう、昔。高校生にとってはそんな感じでした。
でも全然昔っぽくなかった。

歌詞を初めに見ていいなと思ったので、レンタルしたのですが、
何歌っているのかわからないなと、即返却した記憶があります。
歌詞ほどには音が響いてこなかったわけなのですが。

その当時佐野元春の歌い方というのは画期的だという人々もいましたし、
真似したい感じだっただろうし、今は踏襲する人もたくさん出てきただろうし
そんなに違和感を持つ人っていないでしょうね。

当時は、日本語の歌詞を洋楽のように歌うということが、
音楽をすっーと聴かせる技術の一つとして感じられていました。

歌詞に使う言葉も音として選びぬかれている感じもします。
とても良い。

SOMEDAYという言葉を覚えたはいいけれど、
そのころのわたしはいつかと言えばSOMEDAYばかりで
語るほどのone dayを持ってもいなかったから
遠い場所にいるわたしは、
こんなふうにいつか、今をいつかの日として見つめるときが来るのだろうかと
夢の一つ一つを消していっているのだろうかと
思ったのでした。

今がそのSOMEDAYだとしてもいや、もうそれすら通り過ぎている気もするけど、
この歌悪くないね・・・昔初めて聴いた時よりずっといい。
聴き取りにくいけど・・・シツコイ
いくつになっても『いつか』の思いはあり、いつかきっとと願い、夢も多少見る間は
まあいいかと思ったりしています。

福砂屋のカステラをいただいたので、インスタントではなくちゃんとコーヒーを淹れて
もう一度佐野元春のSOMEDAYを聴きました。
さあてと、これから掃除でもして気を入れなおします。
いつもの安物のカステラとインスタントコーヒーより動けそう。

いつの日かわたしは・・・・・・・

あの頃いつもわたしが聴いていた曲

2017年10月28日 15時11分19秒 | 音楽
朝からの雨が俺を昨日に走らせる・・・

この歌を知っているひとってどれくらいいることでしょう?
最近はコミカルなお父さん役が多い時任三郎さんの歌。
俳優としての認知度の方が高いことでしょうし、これはヒット曲というわけでもなし。

俺のバラード  というアルバムの中の一曲です。
今聴いてみると男っぽい、いい曲がたくさん入っています。
『風は激しく』とか『俺のバラード』とか。

俳優というイメージがわたしには強いけれど、立派なミュージシャンでもあると思うので、
こういう言い方は失礼かもしれないけれど、はじめてラジオから流れてきたウェディング・リバー
聴いたときには浜田省吾っぼいかなと思ったものです。

あの頃君が いつも聞いていた曲を今夜は偶然 FENが流した
これは俺のバラードの歌い出し。

今ではなかなか音源を手に入れることができないかもしれないけれど、
多くの人に紹介したい曲なのです。

なぜかこんな時代の心境なのです。
センチメンタルなね。

時任三郎ってわたしたちが思っている大学生のイメージだったな。
日に焼けて、背が高くて、青春を謳歌していて、悩んで。
彼女は十九 俺もまだ学生だった と歌っていたっけ。

これから行くはずの場所を見つめていたあの頃にいつも聴いていた曲。



美少年のち?美少女にもらったレコード

2017年10月08日 17時08分10秒 | 音楽
美少年がこちらをじっと見つめている。
美少年が美少年でいられる時のはかなさ。

人の一生のはかなさ。

もう30年も前の話。
昔のレコードを友人にもらいました。
彼女は垢ぬけた都会的な女子高生で、
さみしげな美少女でした。

引っ越しの時に置いて来たと思っていたそのレコードが
でてきました。埃だらけになっていたジャケットの美少年。
彼の名前はレイフ・ギャレット / Leif Garrett
I Was Made for Dancin’/ダンスに夢中、
NEW YORK CITY NIGHTS、(田原俊彦の哀愁でいと)が有名ですね。
わたしは何故だかですが、韓国のチャングンソクくんを見ると彼を思い出します。

わたしたちが高校生だった頃はバブル前夜で
段々音楽も変わっていく感じがしていました。
わたしの知っているディスコというより、
わたしたちより上のお姉さん世代のディスコで流れていたであろう
レコードだったわけなのですが、
正直言ってしまうと、田原俊彦の方がいい感じですね。
こもった感じで音もあんまりよくなかったし・・・

その頃のレイフ・ギャレットはヤングアダルトスター?だったかな(・・?
そんなくくりの扱いを受けていた頃で、
若くしてスターになったことによる悪影響の中にいたような気がします。
今ほど情報がない頃なので、詳しいことは当時はわかりませんでしたけど。
金髪の巻き毛の美少年に影が落ちはじめていました。

レコードも処分しなければと思うのですが、
思い出が多くて中々・・・当時は学生に2800円は高かったし。

美少年でいる寿命って本当に短いのですよ。
もし今美少年を見つけたなら、しっかり心に焼き付けてくださいね。
で、短いから一層美しいということも今ならよくわかります。

もうすぐわたしの美しい友の命日。
彼女は30年前の美少女のままわたしの心の中に蘇ります。
その日は彼女にもらったレコードをかけて一杯飲みたいと思います。
大人になった彼女が何を思い、どんな気持ちに達して死を受け入れたのか
最後を迎えたのか・・・そんなことを考えながら。

わたしはあなたと歩いた新宿や六本木での出来事が忘れられない。
わたしもあなたも子孫を残せない生き方になったけれど、
あなたはわたしよりずっといろいろなものを残して世を去ったのでしょうね。
わたしは・・・・・


Duran Duranとすみれ September Love

2017年09月23日 11時37分53秒 | 音楽
あんまりアピールなどしていないので、気が向いた人が
気づいてくれて読んでくれたならばちょっとうれしい・・・
この数日訪問してくださる方がちょっとですが多いのはなぜかと思いきや、
デュラン・デュラン/DURAN DURANの久方ぶりの来日があったのですね。

わぁ・・・参加できた方々幸せですね。
相変わらずかっこいいことで・・・
というか、彼らから感じることは現役感です。

久々に集まって懐かしもうぜって
感じが全然しない。
ずっとDuran Duran
わたしの思っているDuran Duran
最近年を取った感がもう著しくて、寂しくて、悲しくて、せつなくて
やるせなくて・・・苦しくてとあまり晴れやかな言葉はやっぱりでてこないのです。
そんな気持ちでいっばいになったら、どこかで割り切れる瞬間もあります。
しかし、そうもいかない時もあって・・・
これが自分だけの問題ではなく、ずっと見てきた芸能人なんかも、
年取ったねえ・・・としみじみ。悪いことばかりではなくいいことも含めてですよ。

こんなふうに年を重ねDuran Duranてやっぱり彼らは彼らなんだと思えるすごさ。

音楽も出尽くしてしまったのかな、最近の音楽をきいていると、
もう新しくできることがないから、こんなふうにハンドルを切るしかなくなりました。
いかがでしょう?っっと・・・わたしの心にはそれが音痴に響いてくる。
無理して新しい芽を出す必要があるのかはわかりません。
まあ、新しいものを聴こうと思っていないわたしがとやかく言うことではないですね。

言えることは頑張れ若者。続けることですよ。頑張れ。

築き上げた土台があるからDuran DuranはDuran Duranなんですね。
彼らにだってまだ定まらない頃があったはずだもの。
継続することの大切さをわたしはつくづく実感しています。

他の方がどう思うかはわかりませんが、
こうやって集まって活動するときアンディがいないことがわたしには自然です。
Duran Duranはこの四人の状態がわたしには馴染み深い気がします。

九月も終わりが近づいています。
古い雑誌を整理していたら、すみれ September Loveで有名な一風堂の土屋 昌巳さんが
デュラン・デュランとフランスで仕事をした話が載っていました。(昔のことです)
彼らがとてもかわいらしいとか、空港まで見送りに来てくれたとか、
サイモンはベルトがなければその辺にあるひもで代用してしまうような
気取ったところのない男だとか、当時まだ20代だった彼らを
ちょっと年上の先輩ミュージシャンが見た印象が語られていました。
そんなとき、古い雑誌を見ているという気がしないのが不思議な感覚です。

お彼岸ですね。Duran Duranとすみれ September Loveを聴いて秋の日を過ごします。

Duran Duranではなくて、JULLAN

2016年12月16日 15時59分30秒 | 音楽
音楽好きな人なら知っているでしょうが、そうでない人は・・・・

ジュランってご存知ですか?デュラン・デュランじゃありませんよ。JULLAN です。
実はわたしもよく知りません。知らないのにふざけるなって感じですが、
80年代の音楽雑誌によく出ていたんです。
日本人の二人組で当時のロンドンでライブもやったらしい?
ジャケットとか、雑誌で見てもあまり顔がはっきりわからなくて覚えられなかったけど、
まあ、当時のスタイル、髪型とか着ているスーツとか正にあの当時って言えましょう。

ジュランなんて紛らわしい?デュオ名だったので、当時絶大なる人気者のDuran Duran
のライブだと間違ったお客さんがやってきたとか聞いた気がします。

それで、いつものことながらよくわかりもしないのに、思いのまま、感じたままを
音楽のことは書いていますから、時折、苦情を言われる類のことを今回も書いてしまうかもしれません。
はじめにその点は、お断りしておきまして・・・・

当時高校生にはレコードは高かったと思います。LPは2800円が相場。
すると、ラジオでのエアチェックとか余程のお気に入りでないと、アルバムは買いません。
買う気もなかったと思いますが、ジュラン、名前を知っていてもどんな音楽をやっているのかなんて、
雑誌の言っていることしか、参考になることはなく、(案外高く評価されていた気がします)
とにもかくにも、Duran Duranでなく、JULLANなんて紛らわしいというのが当時のわたしの思いです。

そして、便利な時代になったので、JULLAN、聴いてみました。
BECAUSE OF LOVE 、 IMAGINARY DOLL の二曲
そんなに当時ほんとに評価されたんでしょうか?
でもって、本場(ロンドン)で演れたのでしょうか?
また、見当違いなことを言ってと、お叱りを受けるかもしれませんけど、
何だか歌声が聞こえにくく、安物のvisageって印象です。
わたしはあまり好きではなかったので聴かなかったのですが、YMOも入っている?感じです。
う~ん、好みではないけれど、当時を知る上では、当時の音だから聴いてみてはいかがでしょうかね。

visageって言えば、スティーブも亡くなったんでしたね。80年代も遠くなりました。悲しいよ。
歌はまずかったけど、この人はその存在が才能だったと思っています。センスも良かったし。

また話がそれましたが、ジュランは今はどうなっているのでしょうか?
わたしにはその後の消息はつかめておりません。
ものすごく肩が凝ったので今日はこれで筆をおきます。
尚、今後の追跡もないと思います。

ピート・バーンズ/Pete Burns旅立つ

2016年10月30日 15時04分11秒 | 音楽
ピート・バーンズ/Pete Burnsが亡くなった。

最近、身近なひとや、かつて仕事でお会いしたことのあるひと、友人
あの頃(っていつ?若かった頃です)輝いていたひとの旅立ちが、
寂しく、せつない。

そしてある種の覚悟がわたしの中に芽生え始める。
50歳も近くなれば、準備が必要だと常々思っては来たけれど。
今年も終わりが近くなり、それは少しだけ『準備』から移行して『覚悟』として
わたしの中に根付こうとしている。

ピートがフロントマンを務めたデッド・オア・アライヴ(Dead or Alive)のことを少し。
以前にも書いたことがあったかもしれませんが。

出てきたころ、わたしは多分そんなには売れないだろうなと思っていました。
当時のイギリスのバンドとちょっぴり違って見えました。
そして、ピートバーンズは肌理の粗い肌をした、下品な表情で歌うひと。
これがわたしの第一印象。声はちょっとおじさんぽくって(ティーンエージャーにはそう聞こえた)、
だけど伸びやかで素晴らしい声量。

ボーイ・ジョージ/Boy Georgeと比べられることも多くて、そっちが真似したのこっちが真似したの
言っていたような気がしますが、晩年は仲も悪くなかったみたいです。
ジョージのインタビュー記事が『僕』なら、ピートは『俺』って感じで荒っぽい印象でしたが、
段々それも変わっていきました。ある変化と共に。

そんなこんなで、日本はバブル期を迎えます。
そして、あれ?いまごろ?っとDead or Aliveがよくかかっているのを耳にするようになりました。
世界的にヒットした頃と少しずれがあったと思うのですが・・・・?
そして、肌理の粗い肌をした下品な表情で歌う男は(しつこい)
パンツ一丁で歌う男(わたしのイメージ)になり、それを通り越すといつの間にか麗人みたいになっていました。

ここまでがわたしのよく知っていた頃のピート・バーンズ
モリッシーとも仲良しで雑誌に一緒に出たりしていた記憶が蘇ります。

そして、近年のピート・・・・・ずっと冗談のような気がしていました。
本気でこうなりたかったの?冗談でしょ?そのせいか、何だか見ると笑ってしまうことしばしば。
嘲笑とか悪い意味ではなくて、楽しい気分にさせてもらえる笑いでした。
それは本人がやはり真剣だったから、ホットな笑みが沸いてきたのだと思います。

ドラムのスティーブや元奥さんのリンさんとのパーマネントな関係を見ると、
このひとの人柄や魅力が豊かなことが伝わってきます。
わたしの記憶では、スティーブはピートのバンドに入りたくてドラムを覚えて、
リンさんはピートと出会ったとき、ちょっと普通の関係とは違うかもしれないけれど
一目で恋に落ちたと・・・。
若い頃はこの奥様のセンスがファッションにも表れていたと思います。

亡くなったことは新聞記事で知りました。
そこにはあの頃のピートではない写真。
冗談が続いているみたいなそんな気分で記事を読みました。
Remixedに頼っていたような後年ですが、それができるのは改めて聴いてみると
ヒット曲が結構あって、ノリの良い曲であるからだと思います。

Turn Around And Count 2 Ten がわたしは一番好きかなぁ
なんか元気が出ます。
さて、これを聴いたら掃除機をかけて干しているお布団を取り込もう。

そう、向こうを向いて10数えてみて、只々愛してくれる唯一のひとを失う前に
ありのままのあなたが好きだというひとを 過去になんて拘らずに・・・

ピート元気をくれてありがとう。わたしはまだ冗談を聞いていて、
まだあなたが元気でいるような気持でいます。

Dead Or Alive - Turn Around and Count 2 Ten

途絶えたままに/T-BOLAN Bye For Now

2016年10月20日 17時56分51秒 | 音楽
T-BOLAN レンタルで借りてよく聴いていました。
歌詞が随分優れていますよね。
希望を持った別れを歌っている感じもします・・・が、気が付きましたわたし。

Bye For Now  いまのところは、ひとまずは、 とりあえずは、一時はという感じ?
今はひとまず別れましょう。なんて言えるのは若かったからです。

"素敵な別れさ 出会いの未来があるから
夢かなう日まで 今はここでそうBye For Now


そんなぁ、出会いの未来って・・・もうおばあちゃんになってしまいますよ。
夢かなう日って・・・・目標ならあるけど、もう夢なんて見ていられる余裕ないし。

すごくいい曲だなあって思っていましたが、若い頃に出会った曲だからです。
つくづく思います。
音楽も本も大切な人も、若い頃に出会うべきだと。

年を重ねると、もちろんいいことだってあります。
でも、『感じ入る器』はどうも成長せず、小さくなっていくみたいです。
ロマンもなくなっていきます。ときめきも。

あの頃をやり直そうなんて、誘って欲しくない。
わたしはもう、静謐な暮らしを望んでいる。
過ぎたときは、過ぎ去って二度と戻ることはないのだから。
途絶えた関係は、途絶えたままにして置きたい。
今の時代はそれを許さず、みんながすぐに繋がろうとする。

うら恋し さやかに恋と ならぬまに 別れて遠き
さまざまな人
                  若山牧水

こんな歌も今じゃ詠まれることもないでしょう。

だけどね、T-BOLAN の Bye For Now がいい曲であることには変わりありません。

ある頃から、ふっと消えてしまって、あんなにいい曲ばかりなのに
売れなくなったとは思えないし、ボーカルの森友嵐士は大学に通っているとか、
噂で聞いていたような気がしました。
実際は歌えなくなっていたそうなのですが。

そうですよね、あんなにいい曲を持っていて歌わないなんて
そんな理由でもなければ考えられませんものね。

大成功、傍から見ればですが、
その後、ひとは色々あります。
別れた後、追求しないで。
そっと置く。
それを望むひともいます。
それが素敵な別れの場合も。

T-BOLAN Bye For Now

夏の終わりを感じながら/杏里ビ・キ・ニ( BI・KI・NI Lady Sunshine)

2016年08月29日 22時58分12秒 | 音楽
夏が終わっていくのを感じます。
あんなに朝から晩まで暑かったのに、朝夕の風が変わってきました。
次第に・・・季節は移り行くもののようですがそうでもなく、ここで区切り、
という、ある一日があるような気がする今日この頃がです。

そんな風を感じたら、わたしが引っ張り出してくる古いカセットテープがあります。
杏里ビ・キ・ニ/ BI・KI・NI Lady Sunshineです。
もうすっかり、音も悪くなっているのですが、それがまたいい。
と、カセットにはA面、B面というのがあります。
言うまでもないことですが、ここが肝心なのです。

杏里は一時期、それが適切かどうか?わかりませんが、夏のユーミンなんて言われていたこと
もあり、日焼けしたスレンダーな容姿も手伝って、夏の歌が似合っていました。

このビキニにはちょっと仕掛けがあって?(わたしはそう思っています)
夏真っ盛り、ああこれから夏が始まって何する?どーする?
と思っていると、なーんだかもう夏も終わりねえ・・・海の家も仕舞だねぇ。
そういった、夏という季節から、自分の居場所に戻っていく、仕方なさ、
夏の終わりが書かれた古い小説を読んでいるような気持ちになる曲が
混在しています

このアルバムを買った高校生の頃は、Lady SunshineやSummer Focusが好きで
わぁ、夏だとはしゃいで、(学校に行かなくて済むのが一番うれしかった)
大人の恋の歌だなぁなんて思っていました。
恋する季節も通り過ぎた今は、一番最後のAffectionという曲が一番のお気に入りで、
そろそろ、夜薄い毛布を出そうかな?と感じた頃、このB面の最後の曲を聴き終えたら、
来年の夏またA面から聴けるようにそこで、カセットケースに仕舞い込みます。

夏真っ盛りより、夏休みも終わりね、もう麦茶も作らなくていいかな
という頃に聴きたくなって、その頃に似合います。
実際はまだ残暑で暑いし、麦茶も飲んでいても、風が違うのです。

人生の中のどの夏も一度きりの夏ですけれど、いくつかの特別だった夏を思いながら
耳を傾けるのです。
それは、自分だけでなく、誰かの特別な夏であったりもするわけです。



しばらくはこの季節の中で / ベストヒットUSA カルチャー・クラブ/Culture Club特集

2016年07月26日 10時25分01秒 | 音楽
ベストヒットUSA カルチャー・クラブ/Culture Club特集。
ちょっと物足りなかったかな・・・。
一曲ぐらい歌ってほしい気もしましたが、番組の性質上無理でしょうね。

小林克也氏とのおしゃべり&昔のプロモーションビデオ。
やっぱり、今のテレビで観ると先日書いたボウイのビデオと同じく、
大きな画面は迫力があっていいけれど、キメが粗いです。

書く必要もないのかもしれませんが、ボーイ・ジョージ/Boy Georgeの容姿に
一番の時の流れを誰しも感じることでしょう。
昔からとてもきれいな瞳でしたけれど、すっごく、すごく優しい眼差しをしていました。

印象的だったのは、Victimsについて語った内容でした。
若い頃に書いた「愛」を55歳の自分は経験し、より深く共鳴でき、
当時は歌に乗せて愛を問いかけ、明確な答えを求めていたのが、今は
別に答えは必要ないと思える、今尚、成長している曲だと話していました。
(ちょっとこんな訳でいいのわかりませんけど、そんな風なことをいっていたのです)

愛を求めてやまなかった人が、今は愛するだけでいいと言っているような気がしました。
それで、あの深い眼差し。
精神的にも充実しているのでしょう。
年を重ねてそんな状態でいられるって一番幸せなことのように思えます。
メンバー間の雰囲気も良好に見えましたが、ジョンはどうして?出ていなかったのかしら。
他の仕事? 体調不良?

夏真っ盛りですが、あの事件があったあの夏から、季節が変わったような気がした夜でした。

人生にも季節があるのですね。きっと。
わたしも、Georgeも秋にいるのかもしれない。
たくさん実りがあって・・・しばらくはこの季節に留まっていたい。
newアルバム、残りの人生ずっとだって待っていられます。
年取ると気も長くなるんですよ。

哀愁をまとったカリスマ/BOOWY 武道館 伝説LIVE

2016年07月20日 13時43分23秒 | 音楽
先日見るともなしにテレビをみていたら、NHK-BSプレミアムでBOOWY「武道館 伝説LIVE」やっていました。
早く寝ないとと思いつつ、最後まで観てしまいました。時は1986年ですって・・・そんなに昔。何だか嘘みたい。

その昔、レンタルビデオ屋で借りて何度も観ていますが、
当時のわたしの財力では、14型のテレビしか買えず、よくまあそれでねぇ、
と、思ってしまいますが、当時はみんな?そんなもんだったので満足でした。

観終わった後、わたしは思ったものです、カリスマと、書いて氷室京介とルビをふる。
指一本動かしても、人をひきつける魅力のある人だとおもいました。素敵だったんですよそれはそれは、

だった、と過去形で語るのはその後のことをあまり知らないからなのです。
ご縁がありませんでしたし、すごくBigになってしまったこともあります。

最近耳の不調からもうライブ活動から離れるらしいと聞きました。
残念です。この残念はバンドの復活ならずという点が大きい残念です。
確かに一人でも素敵ですが、バンドだから素敵なのです。
そしてまた、若さが素敵なんですね。きっと。
最近の映像を観て、若さとは違うせつなさを感じて、引き付けられました。

わたしも年を取ってしまって、目も悪くなってきたのですが、テレビ画面が大きい
ことと、年くって 視野が広くなって、ボーカリストだけを目で追うのではなく、
細部に視野が行渡ります。枯れるっていうのも悪いことばかりではなく成長ですね。しみじみ

音楽的にも、ライブの運びも全然古臭くない、みんな後から出てきた人が真似している
感があって、だから古くならないのでしょう。服装や髪型もそれほど違和感ない・・・よね?
松井恒松の肩パットが広い?かな・・・それが時代ですよ。
この方の演奏スタイルもピクリともせず、表情もなし。まるで前川清か東海林太郎?
わたしとしては、今でもよく聴くことがある9th IMAGEに参加していたおひとりということで、
横道にそれますが、たった一枚のアルバムDAY & NIGHTはかなりお勧め。

軌道修正して、どれもこれもいい曲だらけですが、一曲選ぶならば、ベタベタですみませんが、
NO NEW YORK これでしょう。
理由は、音楽性がどうのこうのとかわかりゃしませんので、こんなわけで・・・
 何だか美人になれたような気になるから・・・・ 図々しいですねぇ。

仕事に行きたくない朝(ほぼいつもでしたけど)お化粧しながら聴きました。
気が晴れなくても、自分が美人だと思えるなんて、いい気がするし、
自分が美人だなんて自分を好きだということに繋がって、何だかその日はハッピーです。

こういう飛躍した解釈するひともいるんです。音楽っていいですね。

先ほども少し触れましたが、当時のカリスマは現在どこか寂し気で、哀愁をまとっていました。
これは活動を休止するほど耳の調子がすぐれないことに起因しているのかもしれませんが、
その切なげな雰囲気が、かつて指一本動かしても素敵に見えたようにステージ上では魅力の栄養に見えました。

ひとは絶対昔には戻れません。
敢えて近年の声を聴いて、美人になれる魔法をかけていだきます。やっぱ素敵です。しつこい。
中々、耳が悪いというのは解決の難しいことかもしれませんが、快方を願っております。

氷室京介 "NO NEW YORK" Live 歌詞

Boy George去りぬ? culture club/カルチャークラブ16年ぶりの来日

2016年07月02日 17時37分35秒 | 音楽
culture club/カルチャークラブ16年ぶりの来日。
もう帰っちゃったんですよね?
今回もいけませんでした。経済的にも、体力的にも・・・
どちらもまあ無理すれば行けましたでしょうけれど、今回その無理する
気力が沸かなかったのです。
調度チケットの発売日、このときはまだ知らなくて、ストレスの極みの中でした。
縁がないんだなぁ・・・・
落ち込んでも仕方ないので、次の機会を待つことにいたします。
って、こういう考え方、明日がある、明日があると思うのは止めて、
1日単位で大事に過ごすと決めたことに、ちょっと反するのでしょうか

残る期待はSMAP×SMAP に出演ってことなのですが、一体いつ?
あまりテレビを観なくなっているので、もしかしてもう終わっちゃった

Boy George/ボーイジョージ、一時の不健康な太り方から脱してスマートになり、
以前の面影が戻ってきました。眼差しはいつも変わりませんね。

蒸し暑さで異常にきついです。みんなこんなに足が重いのでしょうか?
今日はyoutubeで、Do You Really Want To Hurt Me?の最近のライブを
ちょっと前までは随分原曲を崩して歌っていた感がありましたが、近年痩せて声が少し
伸びやすくなったのか、回帰している気がするのはわたしだけでしょうか?
ただ懐かしさで胸が苦しくなるような感じはしないなぁ。

苦手な6月が去り、短い夏がまたやってきます。わたしのちっぽけな日常をまた語りたいです。

春風に一瞬、こころが舞う

2016年02月21日 17時30分26秒 | 音楽
自ら積極的に働きかけて、現在の若者の文化を取り込もうとは思っていません。
万事後ろ向きなので、気に入らないことの方が多いけれど、否定ばかりする
つもりもありません。

稀に、きらりとする talent に出会うことだってあるのです。

去年のちょうど今頃でした。通院帰りのわたしは少しほっとした気分で買い物をしていました。
2月、暖かな日で心も春めいていつものオレンジだけにしておけば良いのに、ピンクとワイン
3色の色付きリップを買い、浮かれてジーンズやカーディガンを見て回っていました。
ダウンコートの下は薄着なのに汗ばんできて、もうすぐ春が来ると、うきうきしながら・・・・

と、とても耳障りの良い歌声、心地よいメロディが店内に流れています。
わたしは何か、もう永遠に掴めないけれど、いつか感じていた何かが自分のうちに
ほんの一瞬だけ舞い降りたような気がして顔をあげ、振り返りました。

もう青春という枠組みの中にいた頃の春は過ぎてしまったし、若返ることも決してない
けれど、暖かな春の中に誘い出してくれるような、そこにわたしも行くことを許されたような
自分の中に残っている青春の断片を見つめているような不思議な気持ちでした。

けれど、それは刹那でした。おばさんなので大好きなりんご酢っきりを飲んで一息ついて、
帰りの電車の中で、スマートフォンばかりに目を落とす多くの若者を苦々しく見つめていると
そんな感傷はどこかに吹き飛んでいました。静かに僕を見つめる君という歌詞だけが耳に残って。

程なく、土曜の夕方テレビをつけると、涼しげな目元をした、女優の田中麗奈似の女の子が
歌い始めて、あっあの時のあの曲だと、すぐにわかったのでした。
それがこちら
">家入レオ - miss you


さらに時は過ぎ、先日また同じ番組で新曲を歌っているのを偶然見ました。
その曲もどこかわたしたち世代の鼻の奥をツンとさせるような力を持った
メロディーラインがありました。
てっきり、シンカーソングライターということなので、曲も彼女かなと思っていましたが、
何とかいう(調べるのが面倒)わたしたち世代のおじさんのようです。納得。

その曲に家入レオちゃんの歌詞がうまく乗っていると思うのです。
歌声や歌唱法も落ち着くし、何より言葉を大事に歌うのは大切なことだと思います。
歌手って音だけ伝えるのではなくて、何というか、その空間に風を呼び起こすような
そんな存在なのかもしれません。

おかしな言い方ですが、その旋風にこころをかき回されて、あのとき胸騒ぎがしました。
それも、おかしなことに心地よい胸騒ぎがしてわたしは振り返ったのです。
何もなかった、誰もいなかったけれど。

日が落ち始めると2月の冷たい風が吹いているだけでした。

究極のLove song/Freddie Macury 2

2010年07月06日 00時42分56秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

半裸に胸毛を纏ったおヒゲのおじさん・・・
『マカロニほうれん荘』という漫画に登場する熊先生が、「Noォ!」と苦悶気味に叫ぶときに、変身していたひと。
わたしのFreddie Mercury/フレディ・マーキュリーに対する認識なんてそんなものでした。 どっちも気持ち悪いの

ちょっとどぎついイメージを持っていたのですけど、ソロアルバムMr.Bad guyのジャケットの彼は
サングラスをかけて、静かにこちらを向いていて、さっぱりして見えます。70年代のアメリカのフォークアルバムみたい
そして、そのアルバムに収められていたのが、I was born to love youなわけです。
驚くような感覚が通り抜けていく・・・僕は君を愛するために生まれてきた ひとつひとつの胸の鼓動と一体に、
そう、僕は人生の来る日も来る日も、君を大切にするために生まれてきたんだ
君は僕にとって無二のひと、僕は君にとって唯一の男
僕のために君は創られ、僕を恍惚に導く
どんな好機に恵まれようと、愛のためならふいにしても構わないよ
一緒にチャンスに賭けてみようよ 愛し合おうよ
夢に捕らわれて、それがが叶った
この身に起こったことがとても信じられないよ・・・・・・・・・・・(くりかえしの部分は略) 
君を愛したい、君に関するどんな些細なことでも全部愛しているんだ

I wanna love you, love you, love youと続いて行きますのでこれくらいに。
とにかくすごく、激しくlove you,を繰り返すわけなの。

あららっ、つい先ほどまで、ほぼ、何の巧言もない、恥ずかしいくらい真っ直ぐな歌詞だと思っていたのに、
気づいたことがありますよ・・・。
ほぼ、何の巧言もないと言ったのは、you are the one for meってところが『ほぼ』でないと思うのからです。
次がman for youだから、one じゃなくて、womanでもいいはずだし、そう誤解しているひともいて、
確かライナーノーツの訳詞も女(ひと)としてあったと思います。
まあ、womanだと字余りでoneの方が、収まりいい韻を踏みますからそれだけのことかもしれませんけど、
そこに込めた思いがきっとあったよね。うん(誰か返事して)

そして、いま気づいたのはlet me romance with youってとこなんですよ・・・何でもないんですけど、
この部分訳すのに一番悩んで、挙句に間抜けみたいに「愛し合おうよ」としか訳せないの。
だけどですよ、もうしつこく考えすぎだよと言われればそれまでですけどね、何でそれまで
散々、君を愛するために生まれてきたとか、人生、毎日で君を大事にするなんて言っておいてだ、
romanceなんて言葉を使うのです?romanceっていうのは恋愛は恋愛でも、激情というか、
ぱっと灯った性急な激しい恋愛物語ではあるけれど、長続きはしない、短い恋愛だったり、
まあ、それは理想的な相手だけど、情事、 艶事だとわたしは思うのです。

だから・・・もしかしたら彼は既にこの頃、後に自分の身に起こることをに知っていたのかなと。
それが短い時間になるかもしれないけれど、命の限り、命続く限り愛しまくったるぜっという誓いみたいに
今となっては思ってしまうわけなのです。というか、訳してみながら気づいたのですけどね。

初めの予定では、love you を繰り返す、しかも激しく一体何度love love 言えばいいの?
だけど、こんなふうに思われるのは、現実には絶対無いけれど(きっぱり、言い切り)幸せよね。
故に、これ究極のラヴ・ソング。というお粗末な話で終わるはずでした。

フレディ・マーキュリーを語る上で、やっぱり避けて通れない話題になります。

誰から聞いたのか、はたまたどこからそんな情報が入ったのか、
80年代耳にするようになったある病に彼が侵されていると、田舎の女子高生の耳にも届いてきました。
それを聞いたときわたしは近い将来、このひとがいなくなってしまうんだなあと思ったことを覚えています。
その頃はおそらく単なるうわさの域だったのでしょうけれど。
現在では、薬でコントロールして、日常を送ることが可能になっていますが、当時の認識は、
必ず死に至る病だと田舎の高校生は思っていたのですね。

80年代は終焉。そしてその日は緩やかにやってきました。
テレビニュースでわたしは彼の死を知り、とうとう、その日がやって来たんだなと思ったことを覚えています。
ただ、それ以前とも、現在とも全く異なる価値観を持ち始めた頃で、感慨に耽ることもありませんでした。  

ただ、過去の噂のせいで(実際は事実でしたが)早くからわたしはフレディが病気を公にしていたものと誤解。
自身のsexual orientationについても、井出達から身勝手な思い込みで、オープンなイメージを持っていました。
明るくオープンなね。

昔は、繊細さを感じたことがなかったけれど、なんのなんの、大変な誤解をしてました。
そして優しさを感じ、芸術家にありがちな、『個人的なこと』を主にして音楽を構築するひとではなく、
まずは音楽そのものを届けてくれるひとだったのかなと思ってみたりしています。
だから、病気も亡くなる近くまで公にしなかったのかもね。それはとても個人的なことなのだから。

Mr.Bad Guyのライナー・ノーツに確か、
自分が求めていたような音楽を、若者に届けたいというようなことが書かれていました。

色々深読みした挙句にですが、天にも昇るような気持ちにしてくれる激しいけれど、
耳ざわりが良く心地いいlove songは、命続く限り彼が『若者』だったわたしたちに届けてくれた
誰のものでもない、万人のための究極のlove songだと思いたい。思わせて下さい。思うことにしました。

ちなみに、わたしとフレディさんの共通点ひとつ、猫が好き。

いつか、フレディ・マーキュリーは天才って話もしたいけれど、それを語るにはもう少し、
クイーンを聴きこむ必要があるので・・・・・。
次回は、ちょっとワールドカップの話をしてみたいと思っています。