5月19日は晴れ、21日も晴れだったのに、本祭の20日は朝から雨が降っていた。
飽海地域史研究会の小野寺先生が監修した時代行列を見るために、会場の旧資料館前広場に向かう。
ここの大通りは、酒田大火で防火帯としての広さのある路が欲しいと作られたもの。
稚児さん達の乗る屋台。昔は上と下の2台はあったものだが、旧市内に住む子供たちの数が減り、親戚縁者から集めても1台にしかならない。
乗っている人達には良い思い出になったと思う。
日枝神社には3台の神輿があるという。
皆さん雨の中大変ですね。
下の日枝神社の宮司さん
酒田市長を中心に市議会議員の方々が続く。
神輿担ぎの八波会と獅子の会。
提灯を掲げる粋なお姉さん。
木遣り保存会
全体のMCはKさん(若い頃にはキティちゃんの声も担当されていた。)
酒田の歴史を語る時代行列の
要の羽黒山の山伏さんが劇をリードしていく。
(山伏や弁慶の衣装や着付けの為に、鶴岡市羽黒町からわざわざ来て頂いた方が私の隣に座っておられた。)
(山伏や弁慶の衣装や着付けの為に、鶴岡市羽黒町からわざわざ来て頂いた方が私の隣に座っておられた。)
義経主従は、鎌倉殿の追手を逃れて、鼠ヶ関(関所)から酒田を目指す。
源九郎義経。
弁慶が杖で地面を突いた所、そこに湧き水が出た。(歴史にあり)
その湧き水を義経に差し上げた。
追手を気にして2手に別れたが、弁慶は羽黒山に上り、義経の正室郷御前(さとごぜん)の安産祈願を願って、羽黒山の鏡池に鏡を投げ入れる。
郷御前は義経と共に平泉に逃げ落ちたが、義経と共に命を落とす。(平泉に小さな墓あり)
ちなみに美人で有名な静御前は義経の側室で白拍子であった。
変わって2幕目、鎌倉殿に滅ぼされた奥州平泉の藤原氏滅亡の折、藤原秀衡の妹の徳尼公が36人衆のお供を連れて酒田の宮野浦に逃げ延びた。
途中、様々な場所で隠れながら逃亡(?)を続け、一度は羽黒山の東側の立谷沢にも隠れ住んだが、源頼朝が羽黒山に祈祷にやって来る事を知り、酒田に向かった。
舞台の上には、36人が載るのは少々無理があったのだが。
徳の舞(徳尼公)のお出まし。
あれ?見たことのある人だが。
白崎映美さんだった。まぁなんて似合うこと。
(ただ、あの頃の女性の着物としては、帯は半幅でウエストではない位置に絞めていたのではと思えるのだが。どうだろ。)
(ただ、あの頃の女性の着物としては、帯は半幅でウエストではない位置に絞めていたのではと思えるのだが。どうだろ。)
そして酒田の歴史を語りだすのだが。
もうね、彼女の独壇場。
歌あり、踊りはしなかったが。
「いいが、おめさんがだ、よく聞げの。まぐまぐでぅでら・・・。」さがた弁トークが始まった。観客からはヤイのヤイの!! 拍手喝采!
オールキャスト登場で2幕が降りる。
3幕は時代パレードで現在へと続く。
日吉丸の山車がやって来た。
先頭に乗るのは松尾芭蕉と曽良
ここで一句を詠む。
若者たちが大活躍。
酒田大火の後に作られた大獅子
この子はさくらちゃん
この子は男の子。名前は忘れた。
この大きな口の中に、幼児達を入れて口パックンすると、元気に育つと云う。
勿論、泣き叫ぶ子供多々。親たちは笑う。
花魁道中が始まった頃には、雨が上がっていた。
良かった良かった。
可愛い三人の禿達。
放蕩息子の旦那と花魁の悲恋を舞う。
今年の花魁は女子高校生。
花魁は体力勝負。重いカツラと衣装。それに独特の歩き方で筋肉痛は必死。
この花魁道中は、酒田花魁の会の皆さんが演じてくれている。
小中学校生も参加していると聞く。今年の花魁は過去に禿を演じていたそうだ。
猿回しもやってきた。
人混みを歩くのは疲れるので、脇道に逸れる。
最上屋旅館の軒先には、酒田祭の提灯が下がっていた。
最上屋旅館の軒先には、酒田祭の提灯が下がっていた。
また雨が降ってきた。
下の日枝神社に着く。
神宿に寄るのを忘れたことに気がつく。