11月10日、酒田市民会館希望ホールで、「最上川・赤川直轄改修着手100周年記念シンポジウム」が開催された。
ホワイエには、巡回パネル展。
主催者挨拶:酒田市長
来賓挨拶:加藤衆議院議員
来賓挨拶:山形県副知事
来賓挨拶:国交省東北地方整備局
基調講演:土岐田氏による
徳川幕府四天王の酒井氏が庄内に着いた時、鶴岡と酒田のどちらに居城するかで迷ったらしい。鶴と亀だもの、目出度い。
酒田は元々内海だった。
最上川は、何度も氾濫を繰り返した。酒田が宮野浦から現在の最上川の右岸に引っ越しをせねばならなかったのも、この氾濫のせいだ。
その頃は、赤川も最上川に合流していた。酒田の湊が、真の山形県の玄関口になっていたのが判るだろう。
この度重なる洪水に、ただ手をこまねいて見ているだけではなかった。酒田人は堤を造って町を守っていた跡が現在も残っている。
ついに、氾濫を止める大々的な工事に着手する時が来た。赤川を最上川から切り離し、新川として直接放水路を日本海に流すこと。
最上川と酒田港を切り離す為に、最上川に背割り堤を設けること。
赤川の歴史では、現在鶴岡市の街中を流れている内川が本来の赤川だった。こちらも氾濫を防ぐ為に、街中の外に流れを変える土木工事が行われた。その赤川も、河口の最上川の水位が上がっては、水が飲み込めない。その為に新川を造る事になった。
赤川の様子。
河村瑞賢の西回り航路が出来てから、酒田湊はますます繁盛した。その頃運航していた北前船。
本物の北前船はないが、日和山公園の池にはスケールを小さくした船を浮かべている。
金毘羅さんの前を守っている狛犬が特別なんだと教えられていたが、こういうことだった。
陸運が盛んになるにつれ、酒田港は寂れていったが、所詮日本は島国で、輸出入の殆どが港を通じた海運で行われている。酒田港は伸びがある。
パネルディスカッション前の休憩時間には、風の会の太鼓のパフォーマンス。
パネルディスカッションが始まった。
鶴岡の酒井(庄内藩主酒井家18代当主)さんの、江戸時代の参勤交代の話が面白かった。松尾芭蕉の奥の細道の足跡から、最上川舟運が見える。最上川を狩川で降りて羽黒山に向かい、鶴岡から赤川で酒田へむかった。
山形大学名誉教授前川氏の川の改修の話で、この一見兵馬俑か心霊写真に見えるのは、酒田の遊摺部に設置されたポンプを中央に置いた記念写真。外国製の物だと言う。
最上川に限らず、河口の先端には川の流れを止める砂州が出来る。
戸沢村にある最上川からの灌漑用水の為の取水口。
国交省東北地方整備局 河川部長 高村氏の洪水の話は、今年秋田県で起こった雄物川の氾濫だった。
ドローンで撮した氾濫の様子。
普段の避難訓練があった為に、無事に避難できた老人ホームの話。
最上川の氾濫の避難場所として、ムサシの立体駐車場が提携されている。
ソフト面(ラーメンじゃないよ)では、携帯に避難警報を流す。鶴岡市ではその実験が行われている。
個々に避難警報が知らされるのは有り難い。ただし、携帯電話を持たないお年寄りと学校へ持って行けない小学生の事も考えて欲しい。
NPO法人パートナーシップ代表の西村氏の話は、完璧だった。
特に、飛島のクリーンアップ作戦は、交通費も食事も自腹でも、年々参加者が増えている。活動が認められて表彰も受けた。
公益の祖、本間光丘の自伝を漫画にして発売。
世界三大舟歌の最上川舟歌もCD化して発売。
クレドール編集長の小林氏は、庄内の豊かな文化と食文化を活かした情報の提供で、観光客を呼び込もうとの話があった。
無事に終了。
閉会の挨拶は、実行委員会副会長の鶴岡市長の皆川氏。