今年の桜は色が濃いと感じる。咲くのが遅れ、咲いたと思ったら見事に散り始めた。空中にも桜吹雪が舞っているのが肉眼では見えるのだが、写真にはうまく写らなかった。
道路が桜色に染まった。
なんて綺麗なのだろう。例年散りゆく桜を見ているが、今年ほど美しい花びら達を見たことがない。
道路一面を飾った花びらは、午後の日差しと風で色の濃いドライフラワーになってしまった。花びらが綺麗と言うのも、僅かの間でしかない。明日は掃除すべきゴミになってしまうのだが。
幼稚園の子供達が「はなびら、いっぱい、きれい!」と話しながら通りかかった。すれ違ったおぢさんが、「全部百円玉なら良いね。」と言った。なるほどと思った。私が子供の頃はそんな事も考えたが、大人になって無くなった。いつまでも子供心のあるおぢさんに拍手。
さて、話は変わって、同じ花でも栽培用の花である。これはキョウチクトウの鉢に同居させた。土が乾かずに良いかなと思ったからである。
ポストに葉書を入れようと出かけた時に、余所の家に植えられていた物。めちゃ花の着くチューリップに見えた。写真を拡大してみると「オーニソガラムタビウム」とある。地中海が原産らしい。ユリ科とある。他にも種類があるみたいだ。ここの家主は、育てるのが上手なのだと思う。青い実の付いたオリーブの木も玄関先に並べてあった事があった。私は早々に枯らしたのだが。
新しくした光丘神社の鳥居。鳥居を建てる時に周りの木々もすっぱりと伐採した。
その階段脇に咲いていた八重の山吹。八重は珍しいが、普通の山吹の葉が綺麗かも知れない。
花の名前は「通称」の方がいいです。ラテン名って、舌噛みそう。「オーニソガラムタビウム」の日本名は「めちゃ咲きチューリップ」に決めた!
バレンシアって、あのオレンジのバレンシアですか?バラの花びらも綺麗だったでしょうね。
イベリコ豚は食べられましたか?あの豚肉は美味しいですね。以前、馬見ヶ崎河原で東北の各県対抗芋煮会があって、山形の庄内代表平田牧場の三元豚の芋煮を作ったのですが、宮城代表のイベリコ豚の塩鍋(ごま油風味)にコテンパンに破れました。材料費も凄かったみたいですよ。
チューリップの開花が凄いです。ぽんぽん咲いています。TVニュースで文翔館のチューリップも映っていました。英国は気温が上がらないようですが、咲き始めましたか?
チューリップも品種改良が進んで、1つの球根で1つの花から、枝分かれする物もあります。将来は「めちゃ咲きチューリップ」もきっと出てくると思います。この難しい名前の花も、チューリップにそっくりだったんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=sk70UO2msy4&feature=related
うっうっうっ。懐かしい曲です。
完全にBGMに負けました。そして↑の映像に流れる写真にも負けました。同じような雪景色も、私には「雪かき辛い、雪いらない」の感情が入り込んでいるのですが、他の人の雪景色って綺麗なものですね。
私の写真は、私にとって日常なのですが、遠くから眺めると、小さな旅になるのですね。
いえいえ、負けてません。
小さな野乃花にそ~っとレンズを近づけて手ブレしないように息を止めてシャッターを切るCakeさんの姿を想像できます。時には腹這いで) 早速「小さな旅」飛びましたか(笑 懐かしい旋律ですよネ。
仕事が建築ですから、仕事中の現場写真に、完成写真がかかせません。出来たての建物は写真にすると案外つまらないもので、人間が入っていたり、花や置物家具など、生活の香りがないと生きてきません。まぁ、仕事の写真はそれで良いのですが。
趣味の山菜採りや花などの写真で、外野(コメンテーターとも言う)の私がワイワイ説明するので、少しは音が感じられるかと思うのですが、無音の写真は好きではありません。おぅんごぉるさんの絵はめっちゃ話しかけてきますね。とっても好きです。私の写真にも音が感じられて、風や人間の動きも感じられたら良いなと思うのです。まだまだ修行が足りませんが、想像を掻き立てられるようになりたいですね。
酒田には土門拳と言う写真の巨匠の記念館があります。彼の写真は音どころか、人間のむき出しの感情も、笑いも悲しみも怒りも伝わってきます。凄い人だなと感じます。捉え所が緩くないのです。
A:あのコメント、気になってるようですのでちゃんと説明しますネ(^^; カメラを向けられた神社サンが「固唾を呑んで」ジーッとシャッターの落ちる瞬間を待ってるように見えたのです。もっと判り易く言いますと「カメラの無い時代の昔々の誰かさんが」Cakeさんの方を見て「一番いい表情」で写して貰おうと気を付けしてる(動きが止まってる)感じがしたんです。Cakeさん、その意識であの写真見てみてくださいナ。
あの光丘神社は、本間家三代目当主本間光丘を祀った神社なのです。酒田の本間家の礎を築いた方で、他とは比べものにならない位の大金持ちになったのですが、本人は放蕩することはせず、4帖半ほどの部屋に暮らし、質素倹約をし、お金は公益の為に使いました。酒田の恩人でもあるのですが、この神社の屋根が抜けて雨漏りがするようになった時に、寄付がなかなか集まらなかったのです。父は「恩をしらない者が多すぎる。」と怒っていました。この構築に宮大工をしていた親戚が絡んでいまして、私には思い入れのある神社なのです。奥まった所になるので、なかなか人が寄ってはくれませんので、きっと誰が来ても喜んでくれると思っています。