295-1 教会の花 「この部屋に入ってきて、あの花を見たらス~と癒されるのが分かったの!」 こんな感想を漏らした方があった。 そんな素晴らしい花を作られた方、神様はほめたたえられよ。 | |
295-2 開花宣言 教会の前の桜並木の桜である。 ここの桜は、いつも下関でも一番遅い。 冷たい風がいつも吹き抜けるからではないだろうか? 大きな木に一、二輪づつ花を咲かせている。開花宣言をしたのはguuchanである。 来週は居ながらにして花見が出来るに違いない。 | |
295-3 ディモルフォセカ キク科ディモルフォセカ属 お向かいの入り口に冬の間も咲いていた。 別名アフリカキンセンカ。 | |
295-4 ディモルフォセカ キク科ディモルフォセカ属 昨日は雨だったので、花は皆閉じていた。 曇ったり、暗くなると花を閉じる。 君は眠る時ハナを閉じるのだね。人間は眠る時は目を閉じるよ。 | |
295-5 シンビジューム ラン科シュンラン属 やっと一輪開いた。長い間蕾をつけたままだった。 今年の冬は家の中に取り入れられることはなかった。 それだけ暖かかったのである。 | |
295-6 シンビジューム ラン科シュンラン属 「そんな!レディが大口開けているところを間近に撮らなくてもいいでしょ?趣味が悪いわね!」 眠りから覚めたところか、大あくびである。 |
もしも、徐福が日本に来ていたらの 目次は、ここをクリックしてください。 | |
294-1 はじめに 中国のには司馬遷という人が書いた「史記」という紀元前100年頃に表された歴史書がある。 その史記の中に、「徐福」に関する短い記述がある。他の歴史書にも徐福に関する記述はあるらしいが、それらは史記に書かれていることが出典である可能性もあるのでそれらが複数あるからといって必ずしも信憑性が増すとは限らない。 とにかく伝説が存在するということが大事である。 近年、といっても1980年代のことだが、中国人学者の羅さんが「徐阜(ジョフ)」という村を発見した。そこに徐福が居たという伝説があり、色々調査してその伝説に信憑性があることを発表した。 イリアッド、オデュッセイアを信じてクレタ島の遺跡やトロイを発掘したシュリーマンの例もある。 guuchanは伝説を荒唐無稽と一蹴するようなことはしない。 故なく伝説が出来ると思わないからである。 徐福が中国を出発して東の国に向ったのは紀元前210年ということになっている。 史記が書かれたときから120年ほどさかのぼる。 書かれている数行分のことくらいは十分に伝わっていただろう。また、記述が少ないことは、余計な話を付け加えていないということでもあろうと想像される。 guuchanは、その真偽の研究をしたいというのではない。 guuchanがしたいのは、もし徐福が日本に来ていたらどういうことをしていただろうということを想像を逞しゅうして描きたいのである。 そうすれば、日本の歴史の中に、そのことと深い関係があるものが浮かんでくるのではないかと思うからである。 | |
294-2 徐福に関する「史記」記述の概要 史記巻六 秦始皇本紀第六 維二十八年、、、 既已,斉人徐市等上書,言海中有三神山,名曰蓬莱、方丈、瀛洲,仙人居之。 請得斎戒,与童男女求之。于是遣徐市発童男女数千人,入海求仙人。 紀元前210年斉の人徐市(ジョフク、徐福のこと)等上申した。海中に三神山あり。名を蓬莱、方丈、瀛洲といい、仙人これに居る。 請う斎戒するを得、童男女を求む。ここに徐市を遣わして男女数千人を発たしめよ、仙人を求めて海に入らん。 (いい加減な訓みですから、あまり当てにしないでください) また史記の別のところの「淮南衡山(わいなんこうざん)列伝」によれば、「・・・。始皇帝大いに喜び、良家の男女三千人を遣わして、五穀の種と百工をたずさえて渡海させた。徐福は平原と沼のある島にたどり着いて、そこにとどまって王となり、帰ってこなかった。人々は嘆き悲しんだ。」となっているらしい。 これをまとめると、 紀元前210年に出港した。 良家の男女3000人 職人100人 五穀の種 を秦の始皇帝は徐福に遣わした。 <guuchanの推測> 良家の男女3000人は仙人への贈り物の建前だから、これを世話する召使や、船乗りや、兵士とは別である可能性も十分あろう。 これらを入れると全部で5000人~10000人の規模になったと思われる。 しかし、低めに見積もって、若い男女3000人、工人100人、水夫600人としておこう。 男子の若者や水夫は兵士も兼ねる事にする。 一隻120人乗れば30隻になる。 その1400年後の蒙古来襲のときは、数千隻が来たのだから、十分可能な規模である。 司馬遷はたとえ100年後でも、徐福一行のその後のうわさを、朝鮮半島経由か何らかの形で聞いていると思う。 そうでなければ、広い平野と沼のある島にたどりついて、そこにとどまって王となり帰ってこなかったなどと書けない筈である。 それを断定したり追及しなかったのは、彼は政治家ではなく歴史家であったからである。また、無用の断定をして、徐福一向の子孫たちに災難が及ばないように配慮したとも考えられる。 | |
294-3 出発 徐福は王家の出で、方士と言われている。 始皇帝に親しく接見されるほど、身分も高く知識も豊かな人物だったと考えられる。 古代と言えども侮ってはならない。 その時代になると外洋を航海できる舟も作られていたのである。 しかし、全部そういう舟を短期間に新造して出発したとも考えにくい。 大部分は黄河や揚子江で使用されていた大型の平底船で出発したかもしれない。 ボットピープルみたいなものであったろう。 徐福の出港した琅邪(ろうや)は、黄河の河口よりやや南の港町である。 通常の航路は、大陸沿いに北に上って、渤海湾の方を朝鮮半島に向っていたであろう。 しかし、guuchanが徐福なら、朝鮮よりまだ先にある、蓬莱山の国に行かねばならない。 始皇帝の支配から一刻も早く脱出したい気分だったろう。 沿岸沿いに航海していて、皇帝の気が変わり、ストップでも掛けられたらおしまいである。 そこは地図などはないにしろ、新大陸の島々があり、人々も住んでいる。朝鮮半島の人たちの中には往来している人もあると聞いていただろう。 沿岸の漁民が漂流して、朝鮮半島に漂着し、そこで、生活して居た人が、沿岸沿いに北周りで帰ってきたりして確信していたに違いなかろう。 ただ、海の危険をどう読むかである。 3~4月頃の黄砂の時期だ。比較的気候が安定し、適度な西風が吹く。 冒険でも東に向けて進路を取ったであろう。 そこには朝鮮半島、もしくは蓬莱の国が必ずあるだろう。 賭けるしかない。 運を天にませて船出した。 |
293-1 シロバナマンテマ ナデシコ科マンテマ属 先日、レンゲの写真を撮ろうと思って降りた田んぼの一角に、この写真のような花を見つけた。 黄色の花で花はない。 黄色の花と、楕円形の葉は、ウマゴヤシだ。 茎が直立している白い花をつけた植物だ。不思議なことに、どれも頂上の花だけがピンク色をしている。 かのこさんから、マンテマでは?というサジェッションをいただいた。 そして最初ホザキマンテマであると思ったが、シロバナマンテマであることにほぼ間違いないと思った。 ネットで先端の一輪がピンクである写真があった。 ら(フタマタマンテマ)も先端に赤い花があり、それに違いないと思ったが、そちらは花が一回り大きいとあった。 かのこさんありがとうございました。 | |
293-2 シロバナマンテマ ナデシコ科シロバナマンテマ ピンクの花と白い花は花の形が違うようだ。 家内の説によると、「花が下から咲いていく。咲いたときはピンクで、その後は色が白に変わる。そういう植物はよくある。」ということだ。 良くあるかどうかは知らないが、あまり見たことはない。 そうするとピンクから白に変わる中間の形態があっていいように思う。 ピンクの花が白に変わってしまわなければ次が咲かないメカニズムになっているのだろうか? おもしろい。 この辺に咲いているのだから、そう珍しい花ではないと思われるが、二つ三つ図鑑を調べても、今のところ符号するものはなかった。 根気良く調べてシロバナ・マンテマにほぼ違いないと一度思ったが、その名を記したメモがどこかに行ってしまった。(実は紙は、書きとめた紙が他のことも書いてあったのでそれと認識しなかった。) 今日はネットのシロバナマンテマの写真で、頂上の一輪がピンクのものも見出した。 ヤレヤレ。 | |
293-3 シバザクラ ハナシノブ科フロックス属 M夫人のガーデンのシバザクラだ。 シバザクラといえば、よく遠目にもそれと分かる、地面一面を一色に覆った美しい平面や道路ののり面がある。 そういう認識だから1輪を間近で見ることはあまりない。 | |
293-4 シバザクラ ハナシノブ科フロックス属 シバザクラは明るい色がいろいろある。 これはスッキリしていて色と模様のデザインがなかなかいい。 | |
293-5 仮の名 293-5号 これもM夫人の庭に咲いていた。図鑑で調べたら分かるだろうと思ったがぴったりがない。 | |
293-6 ユキノシタ科ベルゲニア属 イワウチハ、イワカガミ、と違って花弁の先が裂けていません。ちょっと似ているが違いますね。 かのこさんからヒマラヤユキノシタだというご教示がありました。 間違いありません。 ありがとうございました。 きっとそんな名をM夫人からきいたことがあったかもしれません。 そのとき書き留めておかないとすぐ忘れてしまいます。 |
292-1 ヒサカキ ツバキ科ヒサカキ属 安岡地区公園にはヒサカキが14本ある。もっと植わっていたらしいが、盗られたり、枯れたりしたらしい。 | |
292-2 赤い花、雄株 14本のうち赤い花をつけるのは、これ一本である。 背をかがめても、普通の見る角度はこれだから、花のうちを覗くことはない。 | |
292-3 ヒサカキ 赤い花 雄株 「苦しゅうない、面を上げい。」 「く、苦しい。」 | |
292-4 ヒサカキ 赤い花 雄株 「近う、近う。もそっと近う。」 花の口径は3~4mmありそうだ。 オシベは14本くらいありそうだ。 | |
292-5 ヒサカキ 白い花 雄株 こちらは白花のヒサカキである。 普通の目線で見たとき。 | |
292-6 ヒサカキ 白い花 雄株 しゃがんで、普通の目線で見たとき。 | |
292-7 白の雄花 枝を押し曲げて顔を上げさせる。 | |
292-8 白の雄花 口腔内検査。はいよろしい、虫歯はないようですね。 | |
292-9 雌株 雌株は14本のうち4株あったが、樹勢が弱っているためか、もともと雄株に比べて花が小さいのか、花の口径は1~1.5mmである。 三裂したメシベが見える。 | |
292-10 病気 ここのヒサカキはカイガラムシ、そしてには夏中、たくさんの虫えいが見られた。 樹勢が弱って枯れかかっているものもあるようだ。 |
291-1 謎の花追跡 3月17日、友田川の土手に一株の花を見つけた。 3月19日のブログに掲載。 萎んでいる。花はコマツヨイグサではないと思われたが、何しろ未だ3月だ。 コマツヨイグサは6月~8月に咲くことになっている。 それにguuchanの知っているコマツヨイグサの株はこんなに太くない。 確かめるため学術調査(ちと大袈裟?)を行うことにした。 | |
291-2 予備調査 3月21日朝思い出して、慌てて確かめに出かけた。 まさしく朝は咲いている。 5円玉しか持たなかったので予備調査にとどめた。 | |
291-3 朝の友田川縁 準備万端整えて今日こそはの意気込みで出かけた。 幸先よし、朝靄を通して丸い太陽が見えた。 | |
291-4 コマツヨイグサ アカバナ科マツヨイグサ属 花の直径は約3cm。 昨日の花と曲がり具合い、皺のより具合など、形が驚くほど良く似ている。 | |
291-5 株の大きさ(右側) 根元から右手に伸びた茎は先端まで75cm。 ○で囲んだのが、3/21に撮った花だ。 | |
291-6 株の大きさ(左側) 左側に伸びた株は全長約60cm。 | |
291-7 根元の太さ 根元の太さは直径2cmを越える。 生え出した後、左に曲がってとぐろを巻くように立ち上がって、右と左に枝別れして伸びている。 コマツヨイグサは二年草らしいが、この根元は3年以上ではないかと思われる。 | |
291-8 葉の大きさ 茎の先端に近い部分では、20~25mm。 | |
291-9 葉の大きさ 茎の根元に近い部分では、50~55mm。 | |
291-10 コマツヨイグサ アカバナ科マツヨイグサ属 今年の冬がいかに暖かかったとはいえ、1~2度は雪も降った。 コマツヨイグサは、初夏から夏に掛けて咲くと図鑑には出ているが気候によっては3月でも咲くことになる。 オオマツヨイグサは、花のつき方など少し異なるようだ。 ここに一株しかないというのは誰かが植えたのだろうか? 近くにも他の株は見当たらなかった。 |