もしも、徐福が日本に来ていたらの 目次は、ここをクリックしてください。 | |
294-1 はじめに 中国のには司馬遷という人が書いた「史記」という紀元前100年頃に表された歴史書がある。 その史記の中に、「徐福」に関する短い記述がある。他の歴史書にも徐福に関する記述はあるらしいが、それらは史記に書かれていることが出典である可能性もあるのでそれらが複数あるからといって必ずしも信憑性が増すとは限らない。 とにかく伝説が存在するということが大事である。 近年、といっても1980年代のことだが、中国人学者の羅さんが「徐阜(ジョフ)」という村を発見した。そこに徐福が居たという伝説があり、色々調査してその伝説に信憑性があることを発表した。 イリアッド、オデュッセイアを信じてクレタ島の遺跡やトロイを発掘したシュリーマンの例もある。 guuchanは伝説を荒唐無稽と一蹴するようなことはしない。 故なく伝説が出来ると思わないからである。 徐福が中国を出発して東の国に向ったのは紀元前210年ということになっている。 史記が書かれたときから120年ほどさかのぼる。 書かれている数行分のことくらいは十分に伝わっていただろう。また、記述が少ないことは、余計な話を付け加えていないということでもあろうと想像される。 guuchanは、その真偽の研究をしたいというのではない。 guuchanがしたいのは、もし徐福が日本に来ていたらどういうことをしていただろうということを想像を逞しゅうして描きたいのである。 そうすれば、日本の歴史の中に、そのことと深い関係があるものが浮かんでくるのではないかと思うからである。 | |
294-2 徐福に関する「史記」記述の概要 史記巻六 秦始皇本紀第六 維二十八年、、、 既已,斉人徐市等上書,言海中有三神山,名曰蓬莱、方丈、瀛洲,仙人居之。 請得斎戒,与童男女求之。于是遣徐市発童男女数千人,入海求仙人。 紀元前210年斉の人徐市(ジョフク、徐福のこと)等上申した。海中に三神山あり。名を蓬莱、方丈、瀛洲といい、仙人これに居る。 請う斎戒するを得、童男女を求む。ここに徐市を遣わして男女数千人を発たしめよ、仙人を求めて海に入らん。 (いい加減な訓みですから、あまり当てにしないでください) また史記の別のところの「淮南衡山(わいなんこうざん)列伝」によれば、「・・・。始皇帝大いに喜び、良家の男女三千人を遣わして、五穀の種と百工をたずさえて渡海させた。徐福は平原と沼のある島にたどり着いて、そこにとどまって王となり、帰ってこなかった。人々は嘆き悲しんだ。」となっているらしい。 これをまとめると、 紀元前210年に出港した。 良家の男女3000人 職人100人 五穀の種 を秦の始皇帝は徐福に遣わした。 <guuchanの推測> 良家の男女3000人は仙人への贈り物の建前だから、これを世話する召使や、船乗りや、兵士とは別である可能性も十分あろう。 これらを入れると全部で5000人~10000人の規模になったと思われる。 しかし、低めに見積もって、若い男女3000人、工人100人、水夫600人としておこう。 男子の若者や水夫は兵士も兼ねる事にする。 一隻120人乗れば30隻になる。 その1400年後の蒙古来襲のときは、数千隻が来たのだから、十分可能な規模である。 司馬遷はたとえ100年後でも、徐福一行のその後のうわさを、朝鮮半島経由か何らかの形で聞いていると思う。 そうでなければ、広い平野と沼のある島にたどりついて、そこにとどまって王となり帰ってこなかったなどと書けない筈である。 それを断定したり追及しなかったのは、彼は政治家ではなく歴史家であったからである。また、無用の断定をして、徐福一向の子孫たちに災難が及ばないように配慮したとも考えられる。 | |
294-3 出発 徐福は王家の出で、方士と言われている。 始皇帝に親しく接見されるほど、身分も高く知識も豊かな人物だったと考えられる。 古代と言えども侮ってはならない。 その時代になると外洋を航海できる舟も作られていたのである。 しかし、全部そういう舟を短期間に新造して出発したとも考えにくい。 大部分は黄河や揚子江で使用されていた大型の平底船で出発したかもしれない。 ボットピープルみたいなものであったろう。 徐福の出港した琅邪(ろうや)は、黄河の河口よりやや南の港町である。 通常の航路は、大陸沿いに北に上って、渤海湾の方を朝鮮半島に向っていたであろう。 しかし、guuchanが徐福なら、朝鮮よりまだ先にある、蓬莱山の国に行かねばならない。 始皇帝の支配から一刻も早く脱出したい気分だったろう。 沿岸沿いに航海していて、皇帝の気が変わり、ストップでも掛けられたらおしまいである。 そこは地図などはないにしろ、新大陸の島々があり、人々も住んでいる。朝鮮半島の人たちの中には往来している人もあると聞いていただろう。 沿岸の漁民が漂流して、朝鮮半島に漂着し、そこで、生活して居た人が、沿岸沿いに北周りで帰ってきたりして確信していたに違いなかろう。 ただ、海の危険をどう読むかである。 3~4月頃の黄砂の時期だ。比較的気候が安定し、適度な西風が吹く。 冒険でも東に向けて進路を取ったであろう。 そこには朝鮮半島、もしくは蓬莱の国が必ずあるだろう。 賭けるしかない。 運を天にませて船出した。 |