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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

セブンイレブンのキャンペーン

2006年09月24日 | 雑感(日記)
すいません、どうでもいい話なんですが。
セブンイレブン。関東での商品。
ミッキーグッズの「当たりくじ ハロウウィンシリーズ」。
500円のくじをひくと、もれなく、何かが当たります。

この手の「くじ」でおなじみは、サンリオくじ。
ミニストップなんかでも、常時、サンリオくじが行われております。
クッションやら、オーブントースターやら、マグカップなど。
ルームランプとか、何だか、家に3台あったりします。

ところで、今回のミッキーくじ。
主催は、もちろん、サンリオでした。
でね、案外、商品がいいんです。
というより、うちは、そういうのパスすることができない体質です。
やるんだよね。

で、当たった賞品。


それとこれ。


上のは、ルームランプなんだけど、小さくて、陶製の感じ。
これ、結構優れものです。
フライパンなんか、500円で買える?という感じ。

で、多分、トップ賞はこれ。


オーブントースター。
当たるわけ無いけど、うちのことだから、何かがダブルまで、やりそう。

それと、10月1日で終了しますが、ガソリン値引きクーポンがもらえます。
リッター5円の値引き!
大きいよ、これ。
レシートの裏に、クーポンが印字されています。
自分は、シェルのガソリンスタンドなんで、今回は恩恵に預かれませんが、
エッソ、モービル、ゼネラルで、使えます。

案外、つぼを得たキャンペーンやっているんだよね。
コカコーラのコンビニタイアップ商品には、参りましたが、
なんでか、家に、コカコーラヨーヨーが20個くらい、あるんだよね。
この程度の、と言っていいのかなぁ、はい、趣味です。
高くないよね?

胃は、強いと思っていたんですが...。

2006年08月31日 | 雑感(日記)
かなり「胃」には自信を持っていたのだが、昨日は、やられました。
もともと不調を感じていたのだが、東京の上野にある、ラーメン屋さん。
とんこつベースのものだが、紹介されて食べにいきました。
イカ墨を使用したもので、こってり系には間違いないんですが、
魚介風味もあって、なるほど、おいしかった。

「武骨」という店名ですが、さぁ、出てきたラーメン。
えーと、浮いているのは、「肉」でしょうか?
チャーシューと呼ぶには、あまりにも生易しい「代物」です。
居酒屋ででてくる、「角煮」よりも、多分、でかい。
標準装備です。

2人で行ったんですが、連れが、見ただけで、ギブアップ。
ええ、自分も、ステーキが馴染めないのは、サーロインがダメなのは、
あの「脂身」です。
目の当たりにしている「肉」。半分が、ぬらっとした、脂身です。

沖縄のラフティーですか?もちろん角煮でも、あの脂身に染みた「味」が、
非常に「いける」んですが、むしろ、大好き。
なんですが、今回のこの「肉」、ここで登場して、いいんでしょうか、
そういう、リアルな存在感、ありまくりでした。

というわけで、「大丈夫」ですよ、と、意味不明なことを言って、
彼の分も、私のどんぶりに「登場」!
トッピングでたまごもつけていますんで、表面、大賑わいです。

ははは、と笑えたのもここまで。
ずーーーーと、無言でいただきました。

ええ、それ以来、昨日の後半、全部、無言 状態。
嫌な汗が出まくりで、上も下も、というか、お下品ですね。
もう、満腹なんですが、こういう時に、日本沈没なんて事態に遭難したら、
まず、真っ先に、生き抜けません。
まさに、朦朧状態に陥ってしまい、
一応、ブログ、トライしたんです。
経験とは、なんぞや、という、またまた不相応なテーマで。

書き終わってみたら、別の嫌な汗がでてしまって、昨日は、消してしまいました。
ええそうです、せっかく時間があったのに、書けませんでした。
すごく残念。
今日は、元気になりました。
でも、ラーメンは、おいしかった。ぜひ、「秋口」には、再度行きたいです。

不勉強なんですが、死生観について。

2006年08月29日 | 雑感(日記)
多分、いつも行き当たりばったりで書いていて、デリカシーが見られない
そういう内容もございますが、表現方法、リテラシーに関しては、
まだまだ勉強中です。ご容赦下さい。
何の気なしに、書き始めの頃の記事を読み直したんですが、
思わず、「削除」のボタンに手がかかったのは、言うまでもありません。

今と言っていることが、違っています。
書き方が、変です。
考えれば、考えるほど、タイトルをまなびの途中にして、本当によかった。
1年半で、こんなにも、勉強できるんだ。
たまたまだと思いますが、お読み頂いた皆様方には、本当に、
自分には、貴重な「ご縁」だと、感謝いたしております。

500個、書いてしまったらしいんです。いいのかなぁ、大丈夫なのかなぁ。
今でも、全然、未熟だし、発信らしいことできてないし。

そんな中で、ふと思ったんですが、
よく言われていることかもしれませんが、日本、死者に対して独特の感性が
あるような気が致します。

自分が、そういう死生観について衝撃を覚えた本は、本当に若い時期に
読ませていただいた、梅原さんの「隠された十字架」という本でした。
今でこそ、聖徳太子は、実は厩戸皇子とは別で、想像の人物などという説が出、
今まで聖徳太子と言われた「肖像画」ですら、教科書から消えております。
が、死者に対する「怨念」。浄化するための「装置」など、
始めて触れる考えに、うなった記憶があります。

そういう意味で、武士が死への穢れを扱うポジションとして、
あらゆる紛争に対して、全面に出てはきたものの、
国内では、大きな内乱なり、全面的な覇権争いといった、世界でもよくある
状況にならなかったのは、いわゆる死者に対して、独特な感性があった、
そういう風に聞いておりました。(ちょっと強引)

もちろん、残虐な殺し方、残虐な拷問など、できれば、本人に「自殺」してほしい、
そういう死者が持つ「畏れ」「恐怖感」があったんでしょうか、
なかなか、メインにはなりません。
切腹などは、そういう観点で、自分は見ておりました。

だから、例え何かしらの正当性があったにしても、死者に対しては、
それ相応の「弔う」という文化があったと。
さらには、死を、かなり重いものだという、そういう考え方が連綿とあった。
不思議なことに、死者になって始めて、「彼」の人生を「共有」してしまう、
そういう感覚。
そういう「鎮め方」。

今では、祟られるみたいな感覚は、ハリウッド的な、いわゆるモンスター、
ああいうのが「蘇って」襲ってくる、が主流になりかけていますが、
こう、神経をがりがりやられる、不気味さは、日本独特の文化?
鎮めなければ、なんだか、いつも傍で、思いを遺し、憑いて来る。
来るなら来い!が、通用しない、おそろしさ.....。

だが、世界には、色々な考え方があります。
それこそ、死者を踏み越えて、罵倒しても、現世で生きている人間のほうが
絶対だ!とする国や、唯一の神が全てを「公平」に導いてくれる。
教えに背いた人間は、この世との経路を絶たれ、地獄へと回収される。

日本では、地獄と言っても、何か、連中、現世にでてきて、騒いでいますよね。
あれっつ?勘違い?
そうして、縁あるものが、思いを聞いて、鎮めると、昇天していく。
罪あるものも、罪なきものも、我々が、彼らを「共有」して「関わって」、
そして「鎮めていく」という流れ。
こういう風に理解しているんですけど、違うのかなぁ。

そうやって、人は、必ず、浄化できるんだという、それが何だか、独特で、
多分、他国からは、とても理解されない、感覚だと思っておりますが。
そういう死者への対し方、これも、ある種の宗教感覚と言っても過言では
ない気がするんですが。
不勉強すぎます?
ごめんなさい。出直してきます。

ビートルズ ゴールデンスランバーという曲

2006年08月20日 | 雑感(日記)
個人的な話ですいません。
最近、東京赤坂にある、キャピトル東急というホテルで打ち合わせをすることが
多く、何度か足を運んでおりました。
議事堂やら、議員会館にも近く、なんだか、その手の方々が、よく利用されとも
聞いており、一方で、怪しげな、投資話やら、そういう集団が利用している、
そういう感じが、ふんぷんと。

コーヒー1杯が、1000円近いのは当たり前で、高い。
ただ、結果的にご馳走になることが多く、
トマトジュース1杯が、その日の、自分の昼食代の「倍」という値段にも、
安心して、望めるわけです。

このホテルは、その昔、東京ヒルトン、と申しまして、
今から40年前、6月29日に、あのビートルズが宿泊した施設です。
もちろん、あやかった企画をもようしておりました。

そのビートルズ。
もちろん、大きなお世話になっております。
高校の2年だったか、霧が峰という所に学年で行ったときに、
出来上がった集合写真。
秋口ということもあって、陽の光が、斜めに降り注ぎ、
澄んだ青い空を背景に、陰影を涼しげにした写真。

その写真を手にしながら、友人とあれこれと話をしている中で、
聞いていた曲が、ワインディングロードでした。

もちろん、初めて手にした楽器、ギターで弾いた曲は、井上陽水。
そういう時代でしたが、かなりアコースティックが上手い友人に教わったのは、
ブラックバードでした。

その後、当然ながら、エレキギター?に走り、覚えようと頑張った曲は、
ホワイルマイギタージェントリーと、レットイットビー。
言ってみれば、ミーハーな感じでございました。

ただ、ビートルズの膨大な曲の中で、一番好きな曲、そういわれますと、
悩んだ末に、いつも申しているのが、
「ゴールデンスランバー」という曲です。
アビーロードのアルバムのジエンドという最後の曲につながる感じで、
演奏している曲です。

たまたまお世話になっている小太郎ブログにて、
曲の演奏にあわせて、ジャグリングをする、そういう粋な芸を紹介されて
おりました。
そのときに使われていた曲が、ゴールデンスランバー。
もう、これだけで、時間がたつのを忘れてしまいました。

さてさて、その後、自分は、プログレッシブに直行して、
ピンクフロイドをほぼ全部集め、イエスに行ったり、
10ccでは、コンサートにも行ってまいりました。

また、ヒーリング音楽かどうか、謎ですが、当時はやった、NHKのシルクロード
のテーマ曲、喜太郎の音楽は、「睡眠導入剤」として利用。
バンゲリスという方にも、大はまりして、ほとんどのアルバムを買いました。
このヴァンゲリスが正確な読み方なんでしょうが、
映画「炎のランナー」の主題曲。そしてカールセガンの「コスモス」という宇宙の
スペシャル番組の主題曲が有名でした。

学生の頃は、土曜日にFMでやっていた、ポップスベスト10という番組。
必ず聴いておりました。
チャート表でしたっけ?、切手を郵送して、毎週、送っていただいたものでした。

その後は、人様に、もう、あれこれと説明できる話はございません。
この年になると、自分がカラオケで歌える曲が「いい曲」
という即物的な、偏差が基本になっております。
ええ、どうでもいいですが、ガッチャマンだけは、きっと、他の誰よりも
上手く、歌える、自信があります。えへ。

本当に、個人的な話になってしまいましたが、
たまたま、ゴールデンスランバーを、聴くことができたので、
つい、感傷的になってしまいました。


AD-AWAREというソフトにすがってみた。

2006年08月09日 | 雑感(日記)
自宅のパソコンが、突然おかしくなった。
いきなり、数字の7を連続で、打ち込み始めるのだ。
このブログを書いているときも、いきなり、数字の7が、連続して
打ち込まれる。

入れているセキュリティーソフトでチェックをしてみたところ、
スパイウエアがてんこ盛り。
慌てました。
その後、チェックディスクをかけてクラック処理をして......。
でも、数字の7が連打されます。

あるところで、同じ症状が出た人がおり、その場で詳しい人が、
AD-AWAREというセキュリティーソフトを
教えてくれました。
こういうスパイウエアを駆除するソフト。
ノートンはやや弱く、ウイルスバスターがやや出来がいい。
ただ、ウイルスバスターは、更新ファイルをうじゃうじゃ送ってくるんで、
うざい、感じがするし、本人がウイルスになったりもして、
どうしたもんかなぁ、と思っておりました。

このAD-AWAREというソフト。
持ち歩いているモバイル。いつもウイルスバスターでチェックしていますが、
ためしにやってみました。
なんと90ものクリティカル。つまり致命的なファイルがいました。
まじっすか?
このPCなんですが、何の症状もでていないのに。
まさか、こういうスパイウエアに感染され、おまけにメール送信で、
人様にご迷惑をかけていたんではないかと、気をもんでおります。
週末、早速、自宅のパソコンをチェックしてみたいと思います。
結果は、お楽しみに。



夏とセミとヒステリーと

2006年08月08日 | 雑感(日記)
夏になると、いつも思うんだが、
せみの鳴き声が、少なくなった。
少し、郊外に出ると、また、木々の多い茂った公園に立ち寄ると、
あの、わしゃわしゃとした、いつもの懐かしい、夏の「音」が聞こえてくる。

見上げると、誰でも捕まえられそうな、緩慢な動きで、
その短い一瞬を、泣き暮らしているかのように。

ただ、物悲しい思いがよみがえる、ひぐらしというセミ。
つくつくぼうしは、なんとなく、思いがけずといった按配で、
聞くことができるが、ひぐらしは、なかなか、耳にすることができない。
夕暮れ時に、かなかなかな、と何かの終わりを告げるような、
そんな声に、せかされるように、道を急ぐ。

今は、その声に、何物も促されることもなく、ただ、あの時の記憶だけが
よみがえってくるばかりだ。

夏といえば、白く焼きつくような一瞬の静寂感。
全てが止まったように、あざやかに思い出される。
追いかけた白球も、振り続けたバットも、飛び込む水際でさえも、
なぜか、濃淡をあざやかに、切り取った情景がスクロールしてくる。
そして、セミの声が、絶え間なく、聞こえてくる。

それと、普段、なにげなく車を走らせているが、
いったいどこまで、このアスファルトは続くんだろうか?
果てしなく引きずり込まれるような、そんな思いに囚われることがある。

あの時、あれほどまでに、走り回った「地面」が、今は、
その区画として、存在を許されているかのように、ただ、1画でしかない。
向かう先、全てが、コンクリートで、覆われている。

特に都会といわれている所は、そのほとんどの地面が、コンクリートで覆われている。
学校の校庭ですら、コンクリではないが、土の地面ではない。
そういう所が多く、存在している。

あれかな?これ、全部めくってみたら、どうなるんだろう。
ごめんね、変なこと言って。
セミって、少なくなっているじゃない?
確か、幼虫の頃は地中で、ご生活されているんですよね?
少なくとも数年間。
木の根っこ?とも言いますが、
怖いですよね。考えたら。
何かが、わらわら、わらわらと。

こういうこと、書こうと思ってなかったんです。
亀田選手について書こうと思っていたんです。
だって、また、人格攻撃始めているじゃないですか。
さも、大衆が言っているように、新聞やら雑誌なんか。
あげく、番組のスポンサーにまで、株主として「見識」を疑うなんて、
非買運動ですか、これすら、「あんな、人格的にも態度でも許せない奴」を
応援するとは何事か!としておこりかねない。

最近、こういう「大衆」のヒステリー現象が多発しております。
これを、確実に、メディアは「促成」させているかのようです。
だって、見出しがそうなんだもん。
NALさんの記事にも、炎上するブログのことが書かれておりました。

ちょっと考えてみますと、
普段、人と社会とに、言葉をもって、シンクロ出来得ない人間達が、
あからさまな「現象」に、感情を短いフレーズに乗せて、
シンクロしようとする。
だから、匿名性は絶対で、むしろそういう「個性」が払拭された「場」を
こよなく愛する。
喜び、悲しみ、怒り、憎悪という、生産的でありようもない、個人のあり様に
シンクロしようとする。

他人が着ている、他人が背負ったストーリー、物語に、
安易なアイデンティティーを感じようとしている。
傷つかない、そんな「場」を探し当てることだけが上手くなって、
まるで訪れた「愛国駅」の駅舎に落書きをしてくるような感じ。
そんな薄っぺらい自己存在の表現方法が、あちこちに表出している。

薄い「皮膜」に覆われた、人間の心を、めくってみたら、
何かが、わらわら わらわら と。



車のエアコンが治りました。直りました?

2006年08月04日 | 雑感(日記)
再度の内容で申し訳ないが、
現在使用中の、車。ホンダのアスコットという車種。
かなりお気に入りなんである。
燃費は、リッター8~10といった按配で、2000CCとしては、
悪くない感じである。

もう11歳といったところか。
ラジエーターが壊れたりもしたが、駆動系はしっかりとしていて、
何の心配もない。

そうなんである。エアコン。
ディーラーから、修理代30万円という金額を提示され、
これは買い替え時か、悩みもしたが、
最近の車は、かなり頑丈。
こういうトラブルがなければ、買い替えのタイミングにもならない。

今まで、車検とかトラブルなど、ディーラーに頼んでいたが、
今回は、地元というか、専門の業者に依頼することにした。

とにかく、冷房いわんや暖房すら、入らない。
ということは、スイッチパネルにも問題があろうかと、素人ながらに疑問は
あった。
幸い、業者に持込をする際、曇りで、涼しい気温であったために、
片道1時間のドライブも、くじけずにたどり着くことができた。

行った先は、車専門の「電気屋」さん。
こういったトラブルがなければ、知りもしなかった。
考えてみれば、あるんですよね。専門の業者さん。

1日預けておいたところ、見積りがきました。
なんのことはない、配線の「断絶」で、エアコンのガスを注入しても、
金額は2万円もいかなかった。

確かに、エアコンのガスが漏れているのは事実。
ガスの注入でも、1缶3000円。満タンで3缶必要とのこと。
仮に、ガスの漏れがひどければ、その部品交換として、7万円を覚悟してください
とのこと。

安いじゃん。
30万円が7万円です。
こういった、エアコンのトラブルは、ある意味「買い換え時」を知らせる
アラームみたいなもの。
修理に出すも、結構、「ぼられて当たり前」といった風潮があるのもこのため。
自分は、人の紹介で、親子2代で営んでいる、横浜の業者に依頼。
もう、感激でした。

ほぼ、丸ごと、自分の日記

2006年07月15日 | 雑感(日記)
本日に至っては、ほぼ日記、なんであるが、申し訳ない。
作っては壊れ、作っては壊してきた、事業の開始にてんてこ舞い状態。
この土壇場に来て、「開業資金」集めに奔走するなどとは、
思いもよらぬことであった。

2年も作業をしていると、理解のあった人間が、だんだん少なくなってくるのが
実感できる。当たり前のことだ。
そんな中、今回の内容は、割と期待がもてるらしく、
資金集めを依頼した人間から、どうやら確保できそうだと、遠い仙台から
電話があった。
なぜ、仙台。さっきまで、東京だったはずだ。

この2年間に起こったこと、実名入りで話したいことも山ほどあるんだが、
まだご存命の会社もある。面白いんだけど、もうちょっと経ったら言える。

ただ生活レベルの金銭。さすがに緊急事態に拍車がかかる。
そんな中、車のエアコンを直さぬまま、今も走り続けている。
死者まで出たと言う、この暑さの中をだ。

窓を閉め切って、それでも眉間に皺を寄せて、文句がありそうに車を走らせている
あなた!こっちは、どんな場所でも、窓を「全開にして」走らなければなりません。
これ以上の悲しみと、苦しみは、何処を探してもございません。
(車を運転中の話だよ)
温度を、最低にしても、30分走ると、通風孔から出てくる風は、「熱風」です。
多分、30度はあったな、あったかいを通り越して、熱かった。

特にトンネルを通過中。窓を閉めざるを得ません。
これは、こたえた。きつかった。
サウナという、前向きな、何かによさそう、というイメージは浮かびません。

というのは、エアコン。故障の修理、バルブやら、軽易のものでも、
あっという間に5万円はかかります。
やや本体にダメージが見受けられると、ほぼ30万円コースです。
メーカーにもっていくと、ためらいもなく、新品への交換を勧められます。

高い。非常に、高い。
畳2畳程度の空間を冷やす、そのエアコン。なぜ、30万円もするんだ。
室外機さえも無いというのに、おかしいではないか?
聞くところによると、外車は、エアコンが壊れることを想定していないつくりで、
修理屋泣かせということ。
べ○ツは特に、大変だと、修理屋さんが仰っていた。

特に、この時期は、お中元の貨物なんであろう、大型のトラックが、やたら多い。
挟まれると、こんなにこいつらは、熱かったんだというくらい、
熱風、吹き荒れる感じ。
前の車が、路面に、水の滴りを、たらたら流しながら走る姿を見ながら、
「ああ、効いているんだな、エアコン」

本当に、何度も、口についてしまいました。
団扇は、何の役にもたちませんでした。
真夏日よりの夕方でしたが、案の定、死に掛けました。
ええ、T田さん、頑張ってみました。
でも、もう、やっぱり、無理でした。

病院、一考。

2006年07月12日 | 雑感(日記)
救急医療体制をしいた病院がある。
設備を一新し、建物ごと「新品」になった病院が多くなる中、
都内でも、老朽化をそのままにし、地域の医療体制を支えている病院もある。

受付から、各科にしつらえた椅子は、青のビニールレザー張りの、固い長いす。
いつでも移動ができるよう、固定ではない。
夜になると、救急の患者が痛々しい姿で、ある者は車椅子で、ある者はストレッチに
乗せられて、目の前を通過する。
緊急ということもあって、付き添いらしき身内すらいない。

治療なり、診断が終わると、広くはない待合室。
痛みに耐えているものもいれば、ただ宙を見つめて放心している者もいる。
遠くでは、看護士さんが、これから警察の方を呼びますのでお名前を....
それぞれの事情が、見えも隠れもする。

昔風のつくりといえばそうなんだが、かっての病院は、冷たいような蛍光灯の
明かりが寒々として、清潔感を際立たせているかのよう。
こういう時間帯に、病院で、しかも病気で、一人になりたくはない。
そういう孤独を、「ひしひし」と感じてしまう。

身内の人間が、軽微な扁桃腺の切開手術ということで、昨日から入院。
面会時間を越えて、遅くに行くことができたものの、
この雰囲気に、なかなか慣れない。
手始めに院内の探検と称して、あちこちを歩くものの、
病室の前に置かれている椅子には、あてどなく、時間を過ごす患者が、
ただ我々に目をやる姿ばかりで、声も無く、当たり前だが表情も無い、
そういう空間は、本当に、切ない。

看護士の声と、笑顔が求められるのも、そういう意味で、大変な仕事だと
思わざるを得ない。
院内感染で、あたかも「不祥事」として取り上げられもするが、
これまた、近代医療の進歩で、耐抗生剤菌の出現が引き起こした現実である。
深夜も通して、こういう医療の現場では、9時を回っても、
各科の診察室では、患者の治療が行われている。

個人にとっては、一生で何度もない事態である。
医者にとっては、それこそ無尽におこる事態である。
無力感を感じているのは、こちら側である。
それは、どの時代においても、語られることである。

そういう最中、自分も、鼻の治療に隔週で通っている。
面白いのは、毎週、医者が変わることである。
発見だが、まるで合議制のような感じで、ある意味、面白い体験だ。
もう、自分の症状を完璧に伝えられる。だって4回も説明すれば、身につくよ。

鼻のポリープは、なにやら沈静化してきたが、
そちら側でない、右の鼻腔のレントゲン写真。
今度の医者が、患者を目の前にして、「あらまぁ」だって。
素直な方々が、最近、多い。
彼の勧めで、先ほど、CTスキャンを、人生初めて受けてきた。

この病院は、きれい、清潔、照明も間接照明で、居心地がすこぶるよい。
簡単に言うと、ゴージャス。
ぐおんぐおん、と音を立てながらCTされてきました。
目をつぶっていたので、照明の加減で、動いているのがわかりましたが、
目が少し温かくなったので、多分、今、最中なんだろうと。

あくまでも、軽い症状であったのが幸い。
まだ、わかんないか?でも、多分、平気。
医者との出会いは、なんだか一期一会。
そして、何より、即決の命がかかってくる場合がある。
我々の覚悟と、不安を相手に投げかける。そういう瞬間が確かにある。
ベルトコンベヤのような、大手の病院にかかりたくないのは、まさにこういう時。
相手に覚悟を聞いて欲しい時に、伝えられない、聞くそぶりを見せない、
そういう病院にだけは、かかりたくない。

ディズニーの商品、プレゼントの不具合。混乱中。

2006年07月10日 | 雑感(日記)
東京ディズニーランド。
ディズニーシーがこの月に6周年を迎える。
新アトラクションが立て続けにオープン。今度のアトラクションは「落ち物」。
タワー・オブ・テラー。

いやいや、そんな話ではないんだ。
最近、彼らの「商法」というんですか?バッジを配ったり、ファスナーストップを
配ったり。さらに、今、ディズニーランドでは、1000円、購入すると、
「リロ&スティッチの大冒険」というイベントにあわせて、
計10個のチャームがもらえる。

1日、1個。
つまり、この10個をゲットするためには、初回の用紙だけの配布を含めると、
計11回、行かなくてはならないし、最低、11000円、何かを購入しないと
もらえない。(用紙をもらうためにも、1000円、何かを買わないといけません)
あれ?用紙をもらうとき、1000円、買ったっけなぁ?

さてさて、一方、イクスピアリでも、シーと同じく6周年!
(ごめんなさい、シーは5周年でした。記事はそのままにして、お詫びいたします)
やるぞ、レストラン。ピンバッジ!6個!
ランチ、ディナー。洋食のレストランでは、お一人、多分、合計で15000円
くらいでしょ。和食やさんでもそんな感じ。ざっと、6個をゲットするために
お一人、4万円はかかります。
まぁ、無理ですね。

そんな「プレゼント」の大攻勢!
あそこは、やっぱり、アトラクション付きのショッピングモールなんです。
踊らなければ、いいだけの話しなんですが。

さてさて、そういう話ではなくて、
最近、なんか、ディズニー。商品の「不具合」で、大混乱。
最近では、お菓子が不良品ということで、新聞紙上にも「お詫び」の広告が
出ていました。

そして今回の、母の日、父の日の「フラワープレゼント」。
定数販売ということで、かなり煽って、ディズニーストアーが売り出しておりました。
多分、そこそこ完売だったと思います。
が、なんでだろう、「花の不良品」が発生したらしく、購入者全員に、お詫び状が
届きました。

そして、後日、母の日、父の日のパッケージで購入したお客様、全員に、
母の日用のお詫びのアレンジメント。父の日用のお詫びのアレンジメントが
立て続けに送られてきました。

自分の家では、このパッケージ。お得なキャラクターグッズがつくので、
「それが欲しくて」自分用と、妻用に、買った訳だ。
馬鹿だろう。笑ってくれ。
そうしたら、どこがおかしいのかわからないんだが、ちゃんとした「花」が
その日にお届け。

本当に、何が、不良品なのかわかりません。
レターには、「一部に不良品」と書かれていました。が、全員にお詫びの品を
送るくらいの「重大な」不具合でもあったんだろうか?

お詫びのアレンジメント。結構、長持ちするし、決して安物ではない。
購入した「花」よりも、3倍近く長持ちしたのは、驚いたが、
花を手入れする、育てることに慣れていない自分としては、
大概、花が枯れてしまうことは、自分の落ち度として自覚していたが、
えっつ?何かあるんだろうか?

結局、父の日に届いた購入した「花」。少し遅れてお詫びのアレンジメント。
なんだか、狭いリビング。いきなり、お花畑。凄いぞ!びっくり。

そして、先ほど前振りで書きました、スティッチのチャーム。
8、9個目が、大量の不具合が発生したために、当日、現品が無く、後日「郵送」。
なんだか、このチャーム。小さくて、おいらには、これが何に使えるのか
全く理解不能だが、中には、受け渡しのとき、20個近くテーブルに同じものを
並べては、チェックした上で、貰い受けている客もいました。執念だな。

アメリカなんぞでは、使用した洋服も、返品がきくなど、相当の覚悟で商売を
やっていると聞くが、最近のディズニーは、この不良品について、
何か、相当、厳しい対応を迫られているみたいだ。
イベントとプレゼントは、なかなか切り離せない、よくある集客のキャンペーン
だが、こうなってくると、オリエンタルランドに商品企画を持ち込む会社は
命がけになってくる。

花にしても、今回のチャームにしても、元請けした会社は、間違いなく「赤字」だ。
当たり前だが、夢を売るビジネス。不良品は、最もダメージが大きい。
にしても、そろそろお客さんは、別の意味で「執着」し始めている。
過剰な対応をしていると、なんだか大変な騒ぎになりそうな気がするんですが。
ああ、それでかなぁ、入園料が9月より、値上げするのは。
アップ額は、プレゼント代だな。みたいにね。言われちゃうよ。

アメリカ型医療システムって、大変だよ 多分

2006年06月30日 | 雑感(日記)
鼻の調子が悪い。
医者に行って、蓄膿という病名を頂いたが、この度、2週間たって、薬の補充にと
医者に行った。
毎日、日替わりで医者がかわる医院。
また、鼻に、ファイバースコープを突っ込まれる。
前回も言われたし、今回も言われたんだが、「大きい、鼻茸(はなたけ)」。

なんだそれ。
簡単に言うと、鼻の中、鼻腔にできた、ポリープのことだ。
曜日を変えて行ったので、また異なる医者が対応。
「切ろう。それが早いし、一番だよ」。女医の判断は、めちゃ、早い。
「私ねぇ、どこどこの病院にいるから、切りたくなったら、訪ねてきてね」

って、そういう医院なんだろう。手術はここではできそうもないし。
なんだか、派遣できている医者が、自分の病院に「客」を引っ張ってもいいらしい。

ただ、薬って、面倒くさいね。
今、クラリスという抗生剤を飲んでいるんだが、これの添付文書。
普通、患者には、絶対に見せないものだが、私はなぜだが持っている。
これ、1日2回服用となっている、が、私は、長期療養ということと、耳鼻科では
案外1日1回の服用が、多い。
だが、本当を言えば、添付文書に書かれている、「以外」の用法を指示した場合、
これ保険適用が受けられません。

不思議だよね。過去に色々な問題があってのシステムなんだろうけど、
ちなみに私は、一応、保険適用です。というか、普通、突っ込まれない限り、
みんな、保険適用です。
でも、ルールでは、保険適用外です。

添付文書なんだけど、これ、患者に見せないのは、あまりにも多くの注意書きが
書かれているから。
つまり、副作用の恐れのある項目が、あらん限り書かれています。
こんなの普通の人が見たら、みんな怖気づきます。
ほとんど、書いてあるだけで、たいしたことないし、併用服用に注意するのは、
医者も薬剤師もかなり注意している。

それだけじゃない。
あげく、最近は、なんかあると、すぐ「賠償しろ」「お前の責任だ」って
なるでしょ?
例えば、「腎機能の低下」って書かれているだけで、どのレベルの低下かは、
詳しくは書いていない。また、どの程度の服用日数か、何の薬と併用しているか、
によって症状は変わるわけなんだけど、
これ、見る人によっては、「騒ぎ立てるには充分な資料」なんである。

以前にも、おしゃぶりで、製造物責任賠償の裁判をおこした方がいたし、
新聞各紙で深刻な問題として取り上げられた、産婦人科の医者の減少。
裁判沙汰になるケースが増えているからである。

あのアメリカでは、もう、その嵐を何遍も繰り返しているので、
例えば、手術するにしても、結構な「誓約書」にサインをしないと、
手術が受けられない。
さらに、どんなに苦しみもがいていても、ありとあらゆる検査を受けないと、
治療が始まらない場合がある。

この過程で、当然、お亡くなりになる患者もいるわけだ。
が、「訴えられる」より、きちんと検査して、リスクをヘッジしなければ、
医者は「梃子でも動かない」。
また、保険に加入しているわけだが、どんな保険に加入しているかで、
診療を拒否されるケースも、よくある。

すごく極端な社会を見ている気がするのだが、いずれ、医者も、患者も、
何らかの方策を考えないと、多分、こうなる。
先日、あまりにも杜撰な手術をして、患者がお亡くなりなった件で、有罪となった
医者がおりましたが、あれはあれで、かなり深い「病巣」だ。
こういう極端なケースを連続して、マスコミが、何の解説も無く取り上げ続けると
かのアメリカのような、「素敵」で「安心」な医療システムが出現する。

ひどいケースもある中で、この日本の医療システムは、世界的に「羨望」の的。
どうやら小泉さん、医療改革にご熱心みたいだが、
彼が見ている先は、そのアメリカのシステム。
早めに、悪いところは、治しておこうかしら。
手術を受けようかしら。なんか、嫌だなぁ。

スタンダードは無い

2006年06月29日 | 雑感(日記)
打ち合わせの連続で、もう18時をまわっている。
ようやくPCの前にたどり着けた。

ぼんやりしている頭、ということで、多分、わけがわかんないことを書きます。
以前読んだ本で、児童労働の件が触れられていました。

  ベトナムなど東南アジアにあるナイキの下請工場で、生産コスト削減のために
  債務奴隷による強制労働、児童労働などが慢性的に行われていた事実が発覚、
  NGOによるレポートで大規模な不買運動が起こりました。

これはどのように解釈したらよいのだろうか。
この結果、ナイキは、無論、児童労働を中止した。
もう、昔の話である。

この子らは、多分、我々からみれば、長時間の労働にさらされていたに違いない。
ただ、なぜ、この子らは、働いていたのだろう。
聞くと、働きながら、衣食住を与えられ、学校にも行けていた。
この中止によって、この子達は、どうのようになったのだろうか。

北朝鮮の、たまさかはいってくるテレビの映像。
住む場所もなく、極寒の中、物乞い、盗みで日を生きながらえている。
ミヤンマーなどで語られる児童労働も、長期の軍事政権の中、人権と呼べる
環境もなく、多分、理解できないような環境にあるんだと思う。

自分も、中国の「傘」を作る工場を「見学」したことがある。
例のビニール傘だ。
もう、人海戦術なんである。
機械みたいなものではない。
あの傘の先のとがったところ、そこに、プラスティックの先をつける作業。
3人の女性が、全量の傘をこなしていた。

その先端にかぶせる、プラスチックに「のり」を流し込む係り。
そしてそれを傘にかぶせる係り。
最後に、床に打ち付けて、完全に「装着」する係り。
こうして、1本、100円前後の傘が完成する。

多分、日本円にして、1日の日当は、1000円もいかないかもしれない。
出来高制なんである。だから、かなり長時間でも、本数をこなすためにやる。
そういう傘を、我々は、100円ショップで買うのである。

その価値観、環境、国の違いを、その商品を目の前にして、
どのように考えればいいのだろうか?
長時間労働、児童労働を、我々の感覚でいうなれば、言語道断だ。
それをもって、その会社を攻め立て、撤退までにもっていくのも、理解できる。
ただ、その後、彼ら、彼女らの、そして、その根本をどうやら作っている
国のあり方に至るまで、それをすることによって、得られるメリットは、
どこの誰にあるんだろうか?
そういう国の体制にまで、言及できるというのであろうか?
関わらないことが、最良の「良心」ということになるんであろうか?

さらに、突出した工場、環境、労働条件を出現させて、その国のバランスを
崩すことになった場合、誰に、どのようなメリットになるんであろうか。
これが、今の、グローバリズムの、ある一面なんであろう。

正直言って、ある一面からすれば、搾取になるだろう。
その国に生活していない以上、自分もそういう言葉に立つ側だ。
だから、どういう風に、考えていけばいいんだろうと思う。
世界の距離が、感覚的に狭くなればなるほど、リアルな問題として、
直面する。
とはいえ、スタンダードはどこにあるの?
僕らは、スタンダードなの?アメリカなの?中国なの?
ほら、わかんないよね?

それを踏まえて、この国で生きることを考えていかないと、
旗も、歌も、愛についても、リアルな意識が、多分、でてこない。
スタンダードも理想郷も、そんなものがありもしないんだから。
そして、今、日本も、難民も含め、移民など、受け入れることが盛んに論議
されている。
彼らは、この国に、参加すること、生きていくことについて、
ひょっとしたら、我々以上、ポジティブに積極的かもしれない。
そして、その人数が多くなったとき、彼らは我々に向かって言うかもしれない。

「あなた、どこの国の人ですか?」と、日本語か何語かわからないけど。
そうなるよ。きっと。


イクスピアリの駐車場の革新的?なシステム

2006年06月27日 | 雑感(日記)
どうでもいいことなんだけど、
ディズニーが展開している、イクスピアリというショッピングモール。
映画館もあって、夜の8時から始まる映画は、オール1000円だったり、
案外使えます。

その駐車場。
2種類あるんだけど、1つは、余分に500円を追加すると、ポーターみたいな人が
鍵を預っていて、車を目の前まで運んできてくれる。
それでなくても広い駐車場だ。
セレブぽい気持ちを体験したいとか、そういうのではなくて、
空間把握能力に自信の無い自分にとっては、ありがたいサービスかもしれない。
よく、どこにおいたか、忘れてしまうことが多くて、
帰りがけ、疲れたからだに鞭打つことが、多くて。

そして、普通の駐車場。
この6月からシステムが変わった。

今までは、3000円購入する、食べる、そうすると、2時間無料券が発行される。
映画だと、もれなく3時間無料券やら、上映時間によっては、4時間無料券を
くれたりする。
2店発行が上限。
あと、イクスピアリカードを持っていたりすると、そのカード自体に2時間無料
のサービスがあって、最長うまくすると、8時間、無料で止められる。

それが、変わった。
最初の1時間は、無料。多分、今、駐車場を改造中なこともあって、
その期間だけのことだと思うんだけど、意外なサービス。
そして革新的だと思ったのが、駐車券に「情報を書き込む」方式にしたこと。

よって、細かい買い物であっても、何を食べても、駐車券に印字される。
そして、その「合計額」が印字される。
それによって、1500円を超えると、1時間無料。
3000円を超えると、2時間無料。
5000円を超えると、3時間無料。
とかなんとか、金額の到達度によって、無料で止められる時間が、自動的に
変わる。
最高、合算店舗数は10店舗まで。

今まで、駐車場の無料券獲得を「優先」した連中にとって、
これなら、楽しく、ショッピングできるというもの。
さらに、そこで展開している、店にとっても、確実に「いい」話だ。
あと400円で、4時間無料、なんてことになれば、なんだか、買うよね。
まとまった金額に拘束されることがないので、
小額を売りにしている店も、これで満足なはずだ。

というか、無料券、これも案外、資源の無駄だよね。
そういう意味でも、この方式は、集客から売り上げも含めて、割と公平な
システムだと思う。
なんで、これ、やらなかったんだろう。
まぁ、ディズニークラスのように、大規模な駐車場を持っていればの話かも。
他のデパートやら、ショッピングセンターでは、早く、出て行け!
回転率を、最高度にあげよ!
が命題だものね。

人を結びつける記憶と喪失感

2006年06月27日 | 雑感(日記)
変なことを考えている。
「喪失感」というものについて。
これ、なんだろう。

自分の総合力をもってして、ようやく理解できる、言葉にできること、
少ししかないし、思い違いもあるかもしれない。

多分、人間は、記憶媒体を、様々なものに「委託」「依存」しているように思える。
コンピューターが世に出て、そのメカニズムが日常的になったこともあり、
割と安易な単語を使用しているが、
「思いがこもっている」「思いが残っている」という使用方法も、
考えてみると、人間は、記憶というものを、あらゆるものに「定着」させている。

物を捨てられない、というのと、物を大事にするって、少し違う気がするんだけど、
世の中に変な事件があるように、全部がそうじゃないかもしれない、
中には、ほぼ、ずぼらが極致の方もいるはずだが、
記憶をそれらに「保存」することによって、その物たちが、
ひょっとして、自分のアイデンティティーになっているのかもしれない。

さて、これが人間関係になるとだ、多分、人間のことだから、
最初は、どんな人間であろうが、相手に、自分の記憶媒体であることを
勝手に望む傾向がある。

当たり前だが、人間は、ここで初めて辛い修行をこなすことになる。
だって、自分が思っている自分と、相手が思っている自分が
違うことが往々にしてよくあることに気づくからだ。
これが、言ってみれば人格形成期。
不幸にも、相手だって、同じことをし始めているのに、
一方的に、相手が思う「自分」を演じ始めていく人間が多いのもこの頃。

また一方で、理解されない、理解されている、という発言が多くなるのもこの頃。
大変な作業なんだよ。
だから、相手が「演じて」くれているだけの環境下だったりすると、
それがよく理解できていないと、相手を物言わぬぬいぐるみのような
「記憶媒体」にしてしまって、強度依存に陥ってしまい、
見かけ上、快活で、声が大きく、何でもできる子が、「えっつ!」という
事件を起こしがちなのも、この頃の話し。

コミュニケーション力というもの。
これ、人間が持っている、「防御術」のはず。武器でもあるけどね。
見られ方の違いを、アジャストするためには、
あらゆる反応を言葉に置き換えて、フィードバックしなければいけないからね。
これが足りないと、「自分のことを棚にあげて、よく言うよ」、
なんて、細かい争いに、終止符がうてなくなってくる。
そういう問題ではないのに、日本では、こういう展開が多いよね。

この作業をちゃんとやっていかないと、将来、場が読めない、空気が読めない
とか、そんな感じの人になったり、
さらには、自分を支えてくれる(記憶的に)人間が、周りにいないと、
自分のやったことで、勝手にパニックになって、収拾がつかなくなる大人。
こういう感じになる。
場数を踏む、ってことは、自分のやったことが、どのように、色々評価されるか
毎度、検証しまくっている、他人がどうおもっているか、
だいたい慌てずに受け止められる、ってことなんで、
若い頃、傷つくことを避けながら、結果、相手が思う自分を演じきっていると、
随分、パニック的になる人が、多いよね。

こういう言い方、随分な言い方なんだけど、
宗教的なものって、結構、全編を通して、人付き合いのことが書かれている、
気がする。
善き人って言うのもなんだけど、一つのストーリーにすると、
その中で、行いを適合していくと、人間、慌てなくていいよね。落ち着けるよね。
人の目を気にせず、そのテキストで判断すればいいんで、
「自分のことを棚にあげて」なんてことが、争点にならないし、
演じることにしていた人も、これならば、大手を振って、演じきれる。

それはそれで、意外にも、大きな安らぎを抱けるのは、
自分の記憶を託せるものが、ここにある。
受け継いでいってくれるものが、ここにある。

愛するものが、亡くなったとき、無くなったとき、
それは、半身をもがれるほどの喪失感が、ある。
それは、自分の記憶を喪失するからかもしれない。
自分にとっては、無条件で、それを、どうやら、家族に託して、依存している。
愛するということが、もちろん、利己的なことだと、言われているが、
もちろん、そういうことなんだ、自己愛なんだということも理解している。

多分、相手も、安心して、自分の記憶を託してくれている。
それが、多かれ少なかれ、パートナーという位置関係になっている。
支えになる、この人といると落ち着ける、慌てなくて済む、
どうやら、自分のやったことに対する反応も含めて、「知って」いてくれる人。
依存しているのは知っているけど、人間、必要なのかもしれない。

随分、一面的な話しだけど、ごめんなさい。
最近、人間関係が、こと、日本では、異質な感じが多くなっているんで、
こういう「喪失感」。ああいう人は、どうなっているのか、
少し考えてしまったことが、発端です。
また、長いよね。長すぎるよね。お友達、減るよね。でも、また今度。

何も考えずに、お掃除 2

2006年06月25日 | 雑感(日記)
最近、喫茶店での打ち合わせが多い。
ジプシー会社。と、そう呼んでいたが、ついに事務所までなくなってしまったのか?
いやまだあるんだけど。

で、ようやく理解いたしました。
カフェラテとカフェオレの違い。
今まで、注文する時、本当に「くらくら」していました。
あのカフェラテですら、カフェラッテ、とこうきますもので、頼んで、何が
でてくるのか、実は、毎度どきどきしていたんです。

ベローチェ、サンクス。
カフェラテは、泡がたっているやつですね。
カフェオレは、難しいことなく、単に、コーヒー牛乳ですね。
もう、完璧です。自信一杯です。

そして勝手に恒例の「土曜日のお掃除」。
台所、第2弾。
そして、家電製品、お掃除大作戦。

というのは、小バエが出るんです。
猫を飼っているせいもあるんでしょうか、夏になると、すげぇ出る。
よって、この時期は、こいつらを根絶やしにするために、掃除となるわけです。
が、今回は、根性が違います。
もう、引越しができない、逆恨みも手伝って、無駄な怨念で、気合、ダブルアップ!
バイキルト状態です。

今回の「道具」は、花王のクイックルワイパー ウエットシートです。
ゴム手袋も購入して、本格的。
ゴミ箱の水洗いから始まって、床や壁を徹底的。
すごいよ。道具的には満足度は高くなかったけど、もの凄く、充実。

さらに「空気清浄機」。ダイキンのぴちょんくんでお馴染み。
光クリエールという新技術を使用した、2年前の製品だ。
なんだけど、プラズマイオンを発生させる、なんていうのかな、銅線みたいな
イオンを発生させる「線」があって、これ、汚れるんだよね。

説明書には、「簡単にティッシュなどで拭くだけ」なんて書いてあるけど。
嘘。絶対に、嘘です。
かなり大変。
やっても、やっても、「汚れサイン」が、速攻で、点滅します。
いつぞや電話して聞いたところ、「水洗いをお願いします」。
さらに、「頑張ってください」って。

それが、君達の「売り」の、重要な「部分」だろう。
こんなにまめに掃除をしないと、使えない、重要な部分って、
どうにかしてください。
ええ、タバコ、吸ってます。それが、原因です、なんて、絶対に言わないでね!
吸いすぎてませんか?なんて、それは、個人情報です。
ええ、5年はもつと書いてある、ペーパーフィルター。
2年で、ぜーーんぶ、使い切ったよぉ。
えっつ?
だから、耐用年数、終了?買い替え?

車も、相変わらず、エアコンが壊れていて、地獄です。
ええ、これも、買い替えですね。
わかってます。

無理です。