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まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

僕は、ピカチュウスイカです。

2007年03月22日 | 雑感(日記)
ほとんど日記になってしまいそうなんだが、
簡単にいって、仕事が忙しくなってきた。
非常に嬉しい。

で、お世話になっているブログにて、PASMOでしたっけ、
その話題に参加させていただきましたが、
残念ながら、スイカとPASMO、コラボされた限定PASMO。
購入できなかった、「悲劇」を書き込みいたしました。

自分のことですから、それだけではおさまりません。
「レア」だと自負している、スイカの自慢もいたしました。
それが、これです。



背景に映っているのが、この5年、自分のモバイル君として、
頑張っていただいている、DELLです。
もうそろそろ、限界です。

そして上に映っているのが、
平成14年12月に発行された、「りんかい線全線開通記念」スイカです。
そして下に映っているのが、
「ポケモン」スイカ。
ピカチューです。

ピカァー!

現在は、このピカチュウ スイカ。これを使っています。
もちろん、JRがやっていた、ポケモンスタンプラリー。
実は、このスタンプラリー、東急電鉄企画、10年近くやっていました。
その際、「完走」賞品として、東急電鉄の車両センター?
そこにヘルメットを被って、「招待」されたこともありました。

また、随分前に、京王線と小田急線が、「無謀」にも手を組んだ、
全線スタンプラリー。
命がけで「完走」いたしました。
これは、四国の「お遍路」ツアーよりも、結構大変じゃないかと、
勝手に思っておりますが。

以降、京王線も小田急線も、この企画をやっておりません。

そもそも、スタンプラリー。
一番、熱が入っていたのは、「営団地下鉄」でした。
今は、名称が、メトロに変わりましたが、
とにかく、スタンプのブース作りは、各駅、非常に趣向が凝らされて、
子供も大人も、感激できるような世界がありました。

ただ、突然のサリン事件で、自粛、そして、今では、見る影もございません。
そういう意味で、辛い出来事でした。

話題が、決定的に、それていますね。
ええ、これから、新横浜を基点に、長野の松本までいってまいります。
もちろん、日帰りです。
帰ってこれるか、電車が、間に合うのか、
今のところ、全く、考えずに、行動いたしております。

ぴかぁ。

最近の、リアクションについて考える

2007年03月16日 | 雑感(日記)
乗り合わせた電車で、多分、学生。高校生ではない、学生。
俺、もう年だからさぁ、なんてことを、ちょっと「偉そう」な、
お前とは違うんだぜ、という優越的な感じで、話しているのを聞きました。

稀に、若い連中と仕事をすることがあって、話す機会もある。
何かのリアクションで発する言葉で、
案外、その人の経てきた経験やら、人間性が伺えて面白いことがある。

子供なんかは、得体の知れない、ふざけた事態に遭遇すると、
「馬鹿じゃねぇ、死ねば」
なんてフレーズを、よく多用する。

二十歳前後の若い人間は、案外、先にあげた
「俺も、年をとったから、それはちょっと」
と、少し距離を置くような発言をするようになる。

それ以降は、まぁ様々だが、
無反応になってしまったり、冷笑してみたりと、
相手にコミットしていないということを、明確にし始める。

ただ、なんだか年をとってくると、
「へー、面白い奴だねぇ」など、多少はゆとりの発言ができるようになる。
40過ぎて、どんな「現場」にも
いわゆる「飲み込んだ」対応が出来始めるといったところか。

これが50を過ぎてくると、
「若いねぇ」、も含めて、意外にも関係性を取り込もうとする
そういう「気概」が芽生え始める。

本来であるならば、60過ぎてくると、
どんなパフォーマンスに出会っても、にこにこと、
「いいことじゃ、それもまた個性じゃ」なんて感じでいてくれるといいんだが、

自分と仕事をしている60前後の方々は、
案外、ここで「敵対意識」ばりばり、
ひょっとすると、小学生にも似た言動を、平気でするのには驚く。

「いやーKANATAさんお疲れ様、にしてもあいつは、とんでもないねぇ」
とか
「昼飯はこの定食屋でどうですか、にしても、あいつは、酷いねぇ」
なんていうのは一挙動。
本人を目の前にしては、絶対に、にこやかにしているんだが、
どういうわけか、傍で、賛同者を募ろうとするし、踏み絵を踏まそうとする。

この世代は、多くの「競争者」の中で、勝ち抜くことを、
生物的に「こなしてきた」という本能全開の集団なのかもしれない。

ただ、最近、どの世代も、誰かや何かのパフォーマンスをみるにつけ、
例の小学校レベルの「馬鹿、死ね」という
リアクションが多くなっている。
これは、いったい、どういうことなんでしょうかねぇ?

愚痴まがいの報告にかえて

2007年03月11日 | 雑感(日記)
日帰りの長野、強行軍。
残念ながら、日をまたいでも、体力も気力も回復しておりません。
もちろん、能力も、応じて、惨憺たるものです。
久しぶりにPCに向かって、書き進めていましたが、
恐ろしいことに、自宅のバイオは、
相変わらず、思うように動いてくれません。

ええ、何の作動か分かりませんが、
フリーズの上、あっという間に、作業全部を、亡き者にしてくださいました。
あああああ。

長野、松本は、雪が積もることの無い街だと聞いていましたが、
その街を取り囲むようにそびえる山々には、
うわさ通り、黒い山肌が目に付きました。
この時期、おそらく、本来は、「白」という色を、
人間の表現を超えて、幾通りにも見せ、
ゆえに、無言を強いられる、そんな山への畏敬も、この冬には無く、

ただ、人工で作り上げられた、スキー場のゲレンデが、
一筋二筋、黒い山肌に、張り付いたように、ございました。

先週は、長いこと、一緒に作業をしてきた人間を、
様々な事情で、縁を切ることになり、
結構、精神的に、タフな1週間でもありました。

もちろん、金銭の色々な処理も、今後、矢面に立たされるのは事実で、
何かをする、何かを取り決めるという作業は、
当たり前ですが、責任も、背負い込むということです。

大人は、それが見えているから、
踏み込むこともできないし、いわゆる「大人の対応」という、
誰もが傷つかない、いわば、その場しのぎの雰囲気を、大事にされるようですが

不思議なことで、その瞬間、瞬間、
輝いているときもあれば、まったく、足を引っ張るときもあり、
全てが、オーマイゴッドという、ダメばかりではないのも事実。

ただ、人間は、追い込まれると、どうしても、
「善いことは忘れる」
いい事を思い出しても、どうにかなるもんではないのですが、
悪いことばかりを、指折り数えたくなるもんなんですね。

そのフラストレーションやら、利害関係やら、
調整が、本当に難しくなったこともあって、
残念ながら、主要メンバーと、離れざるをえませんでした。

結果的に、残る道を、色々と提案し、なんとかコミットさせようとしたんですが、
私が、つまり、首謀者として認識される、
まさに、いつか来た道やらデジャブみたいな様相になりました。

そんなかんだで、珍しく、愚痴まがいな記事になりまして、
申し訳ないんですが、
今回、数日、書くことができなかった、
その理由を、未消化ながら、ちょっと、ご報告という感じに
させていただきました。

そんなわけで、まだまだ、これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。


デザインが違う新幹線を見ると......。

2007年03月06日 | 雑感(日記)
ヒーロー物、テレビやマンガ、今でもお世話になっているんだが、
昔、使われた、よくある「手口」。
偽者編。にせものが、ヒーローになりかわって、悪さをする。

思い起こせば、偽者を仕立て上げることで、何が改善されるのか、
何が達成されるのか、されたのか、いまいち思い出せないんだが、
要するに、庶民、大衆を、「偽者」によって、本物の、信用を貶め、
混乱、不安にする。

そういう戦略が、あった、はず。
もちろん、子供向けの番組では、キーになる男の子が、
偽者によって、混乱し、主人公がその子の思いを含め、
信用を回復し、
「君が悪いんではない、悪者が悪いんだ」
なんてね、そういう展開が、確かにあったように記憶しているが、

なんでだろう、その「偽者」なんだが、
ヒーロー物であれ、ロボット物であれ、
形は似ているが、デザインが「違っている」。

悪者の方は、明らかに、なぜか明瞭な、デザインの違いがある。
赤だった「線」が、深緑になっていたり、
目の位置や形が、いかにも、オレは悪いんだぞ、デザインになっていたり、
なぜ、そこまで「徹底して」形を似せたのに、
デザインで主張するのか、おかしいだろう!と。

今では、そんなファンキーな展開は無くて、
むしろ、同じロットで製造されたんで、バージョンアップ型として、
むしろ色やデザインを「変えてみました」が多いんだが、
昔の奴は、なんだかんだと、わざわざ「紫色」をベースにしてみたり、
あえて、黒を基調としてみたりと、

ロボット編では、笑えるんだが、少し、へんてこに作ってみましたが、
離れてみると、同じ?にみえるでしょう?
なんて、登場した瞬間から「粗悪品」みたいなものもあったが、
その技術の必死さが、なぜ、デザインまで、
気が回らなかったのか、
なぜなんだ、と。

おかげで、今日、東京発着の新幹線。
すいません、鉄道関係、実に不案内なんですが、
昔のひかり号と言われるタイプの列車が、黄色い線と、グレーに見える車体。
走っておりました。

もう、条件反射で、「邪悪だ」、と思ってしまいまして。
もう、そういう風に、子供以来刷り込まれているもんで、
違ったデザインのものが、そりゃ、東海道新幹線だけじゃないのは知っていますが
デザインが違ったり、OO系とか、少し「形」が違うと、
もう、なんか、「怪しい」と、思っちゃう、精神状態に、なるんです。

なんでしょうかね?
治るのかしら、この「トラウマ」。


こういう「特ダネ」も、文化なのかなぁ。

2007年02月27日 | 雑感(日記)
また訳のわからないことを書いて申し訳ないんだが、

怒り収まらず川内氏“鳴くまでまとうホトトギス”

記事の内容はどうでもいいですよね。
これぞ、本格的なワイドショーネタ と言ってもいいんじゃないかと。
こちらから見ていると、非常に困ったお爺さんにしか見えません。
インタビューを長々と見ていると、
「一度もおごってもらったことが無い」

そういう台詞が、ポンポンと出てきます。
あはははは、老害以外の何者でもありません。
見た感じでは。

森進一さん自身、人付き合いが苦手そうな感じですし、
気前のいい人ではないと、そういう話がでていたのも事実。
そういう人格的なものを含めて、
歌手という「商品」が、存在しなければならない理由はどこにもないんですが。

「歌わせない」という発言に対して、
それが可能なのかどうなのか、最近お得意のはずのテレビも、
なんだかあえて、踏み込みません。
が、すいません、どうでもいいですね。

女性問題“そのまんま”?東国原知事の自宅に美女2人お泊まり

これも記事の内容は、どうでもいいですよね。
最近、はじけているなぁ、週刊現代。
鉄道で売られている夕刊紙。
個人的には「夕刊フジ」のほうが好きなんですが、
日刊ゲンダイも、毎日、はじけている新聞です。

日刊ゲンダイで、何かを「褒めている」記事に、出会うことが珍しい。
とにかく、けなす、くさる、罵倒する、
そういうイメージを強く感じる新聞です。

その「親玉」感がある、週刊現代。
ポストのお株を奪うような、相撲八百長疑惑に始まって、
陰々滅々に、色んな劣情を煽っています。

結局、東国原知事の、この件に関して、
日テレが絡んでいたことが、他のキー局もマスコミも我慢ならなかったこと。
「同誌はマンションに入る美人社長と日本テレビの巨乳新入社員をキャッチして」
という文章自体、現代の真骨頂です。
これが、書きたかったことなんでしょう。

最近の週刊誌。
あの週刊朝日さんでも、散々、子供の教育への提言をしている割に、
サンデー毎日のお株を奪うかの、大学ランキングやら、
東大合格者一覧など、最近の「だぼはぜ」のような方針。

電車通勤なので、車内吊りといわれている、雑誌の広告。
これに書かれている「見出し」で、案外、読まなくても満足。
雑誌も、マンガも、実は、大変になってきているのかなぁ。


「消え逝く」マンガ雑誌。

2007年02月24日 | 雑感(日記)
多くの方が話題にされているのかしら?
「月刊少年ジャンプ」の休刊について。

「月刊少年ジャンプ」休刊へ 集英社、部数低迷で

  集英社の漫画雑誌「月刊少年ジャンプ」が6月6日発売の7月号で休刊するこ
  とが23日、分かった。今秋から新たな漫画誌を創刊する。
  同社によると、同誌の現在の発行部数は約39万部。休刊について「部数低迷
  もあるが、新しい時代に対応した雑誌作りを始めるため、早めに手を打った」
  としている。連載中の漫画の扱いや新雑誌の名称に「ジャンプ」が残るかどう
  かについては未定という。

  同誌は昭和44年、「別冊少年ジャンプ」として創刊。49年から月刊化さ
  れ、平成3年9月号は150万部に達していた。

月刊少年ジャンプ。まるで縁がなかったなぁ。
確か、物凄く、分厚い本。
コンビニでアルバイトをしていた時分、かなり迷惑な厚さだったことを
思い出しました。

月刊というペースが、どうしても馴染めなかった。
しかも連載。読みきりであれば、そこそこ意欲もでてくるんだが、
今の子供達に、そのペースは、ありなんだろうか?

少年誌といわれるジャンルでも、週刊であれ、隔週刊であれ、
部数が落ち込んでいると言われている今日、
集英社さんにも、講談社さんにも、小学館さんにも、
多分、瑣末ながら、継続的に貢献しているんではないかと、
勝手に思っているんだが、

コンビニでの立ち読み。
あれは、部数を落とす、最大の原因だろうと、考えております。
違うか....。

電車やら、何かの待ち時間、あるいは、家での過ごし方。
思い出せば、マンガを読むとか、本を読むとか、家ではテレビを見るとか、
何かに、とりつかれたように、走ってみるとか、
ベランダにでて、体やら心やらを、開きっぱなしにしてみるとか、

今は、全然、目に付く風景が違いますねぇ。
帰宅時、電車の車内、座席に座る、男女7人。
ずらっと、携帯片手に、目が、開きっぱなしです。

あるいは、例のポータブルゲーム。
などなど、マンガを、それでも車内で、堂々と読んでいる私なんぞは、
結構、レアな存在になりかけております。

にしても、ヤンジャンとか週刊タイプのマンガ雑誌にしても、
月に1回なのか季刊なのか、別冊が出ておりますし、
コロコロなんかに比べると、いまいち、足の下ろしどころが不明確な感じ。
編集者のタイプによって、雑誌が「ごろり」と変わるのも、
今となっては、昔の話。

ていうか、多すぎだろう、マンガ雑誌。
月刊にまで、お金がもちませんてば。
ハンターハンターが休載?伝説?になって以来、週刊少年ジャンプが
個人的に「落ち」てしまい、
最近は、ヤングマガジンも、控えどころな気分です。
ああ、こんなこと、どうでもいいですね。

複雑な思い。携帯電話の購入金額。

2007年02月18日 | 雑感(日記)
いつも感じるのだが、
携帯電話の「値段」。

相変わらず、「新規」での購入。破格な金額が、広告でも店頭でも、
ゼロに近い数字が踊っている。
「パイ」が決まっている中、どうしても、他社のシェアの分捕り合戦であることは
認識しているのだが、
継続利用者への「配慮」が、この、購入に関しては、ほとんど無いといってもいい。

各社によれば、長期利用者へは、使用年数に応じた、基本料金の割引など、
継続的なサービスで賄っていると説明をするんだろうが、
3万円近くもする、携帯購入費用が、ほとんど「ただ」になる、
新規を、毎度、見るにつけ、
いつも、複雑な思いに囚われる。

というのは、例えば、携帯が「水没」した場合、
本人の完全責任なのは道理として、まず、修理費が高額だと。
だから「機種変更」したほうが良い、にもって行かれる。

機種変更の値段を見ると、継続10ヶ月だ、12ヶ月だ、24ヶ月で、
ほんの少しだけ、費用が異なっているが、
新規購入の破壊的な値段を見ると、大人げも無く、
意味も無い、怒りがわいてくる。

こんな時に、「魔が差す」というのであろうか。
だったら、ポータビリティーを利用してしまおうか。
となるんである。
毎年、会社変更をしまくれば、基本料金の割引なんて、たかが知れている。
3万円が「ただ」の破壊力に比べれば、大したことは無い。
そう思うのが、当たり前なんである。

確かに、携帯会社の「事情」もわからないでもない。
事務手数料が3000円とか、すでに、電波法による、中継基地としての
手数料が全廃されている中で、
この3000円は、どうすれば、でてくるのか不明だが、
この収入だって、馬鹿にならない。

ただ、10年以上も継続している人間にとって、
それなりに、頻度が高い利用者。
新しい機能がついた携帯を、使ってもらい、提携サービス各社にも
還元させようというのであれば、
むしろ、この長期利用者への配慮があっても、いいんじゃないのかなぁ?

という訳で、意地でも変えておりません。
同一モデルで、2年を軽く超えております。
勝手に、エコ人間だと、自称もしております。
環境に、瑣末ですが、配慮のある人間なんです。

「釣った魚に餌を与えない」、という言葉が、
ドコモのショップで、ふと、浮かんでしまった訳です。

日本ミツバチとロボットスーツ

2007年02月16日 | 雑感(日記)
新しい眼鏡が出来るまで、原則、長時間のPC作業を抑えるようにと、
自主規制中の只中です。
ええ、もちろん、現在、クリエイティブな精神状態でないのも
関係しておりますが、
皆様は、いかがお過ごしでしょうか。

お茶を濁すわけではないんですが、
自分がよく訪れる「小太郎ブログ」。
毎日楽しんでおります。
YUOTUBEの画像。

Japanese honeybees
昆虫の生態は、色々研究されておりますが、
日本ミツバチ。彼らは、凄い。

スズメバチの侵入に対して、身を張って抗戦する姿には、
本能を超えて、感動さえ覚えます。

解説によると、西洋ミツバチはやられっ放しらしんですが、
日本ミツバチは、いったん巣の中に入って、「待機」。
スズメバチが入り込んできたら、映像でわかるように、
果敢にいった数匹が「押さえ込む」と、一斉に数百匹が取り囲む。

押さえ込むようにはとても見えないんですが......。

日本ミツバチは最高、48度までの熱に耐えられるそうです。
で、スズメバチは45度が「限界」だそうです。
映像で、黄色く光っている部分が、「戦場」です。

にしても、大きさが、全然違います。
なんなんでしょうか、この「ハンデ」のありすぎる大きさ。
かじられて死ぬ日本ミツバチ。かじられる、という生易しいもんじゃありません。
一斉に飛び掛る映像。
本当に、本能で語れる世界ではないです。

いやー、勝手に感動してしまって、
ついでですが、

重労働にロボットスーツを 関節サポート、大和ハウスがサイバーダインと提携


  サイバーダインが開発したロボットスーツ「HAL(ハル)」は、スーツ内部
  のセンサーが着用者の筋肉の動きに反応し、関節部分などをサポートするモー
  ターが駆動する。このため、足腰などに負担をかけずに重労働ができる。

量産型が、50万円ですって。
普及させていただきたいものです。
ぜひ、購入したい。
買いたいです。ものすごく、意味もなく、欲しいです。

HALというのは、皆さんもご存知でしょうが、知ったかぶりをします。
IBMの一方上を目指す、というのが語源でしたね。

ええ、それを言ってみたかっただけ、もありました。


ちょっと経験しておきたい、パビリオン巡り。

2007年02月12日 | 雑感(日記)
最近、頭痛がひどいのは、眼鏡の度が合わなくなったんだと、
解釈して店に出かけた。
ここまで度が悪いと、1日で引渡しができない。
一般的に言われる「視力」でいうと、すでに0.03になるらしく、
もはや弱視だ。

通常のレンズでは、笑えるくらいの「牛乳瓶の底」になるため、
案外、お金も掛かる。
ここまでくると、近視は当然として、乱視もひどくなっているので、
生物としては、用無しと言って過言ではない。
ええ、眼鏡がなければ、一人では生きていけません。

数十年、自分の素顔を、鏡で確認したことがない。
鼻、目、口、というパーツだけは、間近に寄ることで確認できるんだが、
全体像は、写真でしか確認したことがない按配。
身元不明で確認を求められても、
多分、眼鏡が無い自分を、自分でも確認できないんじゃないかと、
笑えない寂しさを感じてもいる。

さて、映画ではバブルを描いたものが上映とのことだが、
なんだか、「住まい」も、じわじわ価格をあげてきて、
不動産も、バブル、カンバックを旗印に、強気の営業を始めている。

神奈川県の川崎市。
西口が、大規模な再開発が進み、ラゾーナをシンボルに約30万ヘクタール、
生まれ変わろうとしている。
雨後の筍のように、高層マンションが林立するらしく、
週末の新聞に入ってくる「チラシ」は、丸めると、結構な打撃能力を
持つほどだ。

最近のマンションのモデルルームは、
もちろん、バブル当時は、図面で「完売」といった凄さで、
モデルルームなんて、実は、最近盛んになっているとの事なんだが、
結構、凄いことになっている。

何が凄いかって言うと、
モデルルームに入ってから、出るまで、
ええ、完全にスケジュールが組まれていて、
建物の説明から、素材の説明、最先端の技術、もちろん周辺環境のコーナー、
そしてモデルルームが2部屋、さらに、オーダーメイドのバリエーションを
説明するコーナー.......。
商談の部屋に行くまでに、おおよそ、1時間は平気でかかる。

まずは、受付で登録を済ませると、
シアタールームに導かれる。
非常に凝った創りの映像を、約20分くらい。
CGフルで作成された「映画」によって、
あたかも「住人」になって、マンションライフを満喫する自分が
まざまざとイメージできる、そんな「完成度」。

フィルムが終了し、室内がまだ、暗く、余韻が漂い、
ぽわーと、そんな感じに「客」が浸っている
その瞬間、
ぐわーっとスクリーンが上に引き上げられ、
なんと、その奥に、サラウンドな音楽とともに、
周辺のジオラマをバックにし、ライトアップされた、
マンションの30分の1の模型が、
突如、我々を「圧倒」しながら出現する。

「おおおおおお」
多分、全員、心の中で、叫んだに違いない。

もう、こんなのを見せられると、
手には、全員、「実印」を、持って無くても、握り締めるに違いない。

完全に計算されたスポットライトと音楽にあわせて、
控えめなコーディネーターが、さらに詳細に、説明を加えていく。
もはや、客は溜息だけで、
一切の言葉を失っている。

もう、その後は、連れて行かれるままに、
あれやこれやの説明など、もう、夢心地の体で、
用意されたモデルルームは、
完璧にコーディネートされた家具、デザインに、
庶民である我々は、「...いいねぇ....」なんて、
腑抜けたあえぎ声をあげるのが、精一杯だ。

恐ろしい。
とんでもなく、恐ろしいことになっている。
「冷やかし」だと、そういう気持ちで入った自分でさえも、
わが身の金融ステイタスが、ぼろぼろだと、知っていながらも、
貼り出された各部屋の「成約」状況を見るにつけ、
残されたわずかな部屋に、慌て始めた自分を自覚し始めている。

ええ、3つも、見てしまいました。
その都度、「おおおおお」と感動しながら、
馬鹿みたいに「いいねぇ」なんて、あえぎながら、
3つも見てしまいました。

相変わらず、帰りには、一体幾らするんだ、という豪華なパンフレットを
紙袋でいただき、
見送る営業マンが「ゲットだぜ」を、抱かせるような、
そんなキラキラとした顔を、見せながら、
3件も、見てまいりました。

でもね、モリモトさんのモデルルーム。
ゴージャスで、よそと同じようなシステムなんだけど、
海外のトップモデルを、使うわ、映像に俳優をつかって、気取った内容に
しているはで、
実は、一番、「痛々しかった」です。

ええ、まさに、客を舐めている映像でした。
多分、頭ン中が、バブルに侵されていると、こういうプローモーションを
作りたくなるんだろうな、
そういう雰囲気が、すけすけに見えて、
かなり、気持ちが悪かった、です。
まさか、3時間も、ここで費やすと、思ってなかったんで、
ちょっと、恨みがましい事を、言いますが......。


きっと、異常気象なんて、関心ないんだろうなという国。

2007年02月08日 | 雑感(日記)
地球温暖化をアピールするには絶好の異常気象。
今週末、関東地方では、ぐずついた雨模様という気配だが、
本来ならば、気圧配置から、雪になってもおかしくない。

というより、観測史上、2月10日を下ったことがない、初雪。
ひょっとすると、雪が降らない、初めての冬になりそうだ。
さらに、テレビのニュースでは、
この週末の気圧配置で、もし、低気圧が、関東に張り出すことなく、
日本海側に位置すれば、

なんと、1ヶ月以上も早い、「春一番」が吹く可能性もあるということ。
それは、身をもって、温暖化を、認識できる、シーズンになりそう。

とうはいっても、昨年は、ご記憶されていると思うが、
大変な「豪雪」で、死者が100人を超えた。
あの八丈島でも、61年ぶりに積雪があった。
寒かったですね。

科学者が指摘するのは、こういう「局地的」で「極端」な
気象が起こる。
地球温暖化の、起こりうる現象として、警告を鳴らしている。

華僑も?「嫦娥プロジェクト」月での資源獲得が目的

  6日付の中国共産党機関紙、人民日報(海外版)によると、中国の月面探査計
  画「嫦娥プロジェクト」の責任者、欧陽自遠氏はこのほど「月には資源が豊富
  にある。(探査などを)行わないと国益を損なう」と述べ、同計画は資源獲得
  を目的としていることを明らかにした。

  欧陽氏は(1)カリウム、ウランなど豊富な資源の存在(2)太陽発電の開発
  (3)環境観測や軍事戦略的な要地―などと月開発の意義を列挙。

京都議定書から脱退したのは、アメリカと中国。
その中国は、例の、ミサイル発射実験で、自国の衛星を「破壊」せしめて
公共の場である宇宙空間に、「デブリ(破片)」を撒き散らしたことで、
世界の宇宙科学者を、大パニックに陥らせたことは、超有名な話。

日本の気象衛星も、じきに、その中国の撒き散らしたデブリの「輪」に
突入する可能性が指摘されている。
わずか10センチの破片が、衝突しただけでも、
被害は甚大になり、深刻な場合は、それも破壊される。
そんで、また、デブリがまき散らかされる。

その「お騒がせ」で、済まないぞ!と考えられている中国は、
月に関して、どうやら本気。
そもそも、「軍事戦略的な」と、世界を挑発する言葉を、
臆面もなく言ってしまうその神経には驚かされる。

 「月探査は国の総合力を体現しており、国際社会での威信発揚や民族の団結力強
  化に意義がある」

と言い切ってしまう、俺の国さえよければ、他がどうなろうとも、
みたいな、呆れるばかりの国際感覚のバランスの悪さ。
北京オリンピックを間近に控え、
世界平和と協調をというコンセプトを、
やっぱり、全然、理解していないということが、
今回のこの報道で、皆が、また、再認識してしまったということでしょうか?

日本では、「ホトトギス 鳴かぬなら .......」という、あの3名を表現した
文章が有名ですが、
中国では、そもそも論として、
鳴くホトトギスを丸ごと集めてこよう、みたいな感じなんでしょうか。
発想が、根底から違っているという国なんだなぁと。

エジプト ミイラを3Dで見ました。

2007年01月28日 | 雑感(日記)
昨日、思い立って「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」に行ってきた。
東京、上野の国立科学博物館。
子供の頃から、ここだけは一押しの「箱物」で、
一日中、いようと思えばいれる、大好きな所。

新年の番組で、エジプトの特番を見たこともあって、
なんだか、3000年近くも歴史がある、途方もない時代。
その長きに渡るスケールに。我々の紀元でさえも追いついていない。
どれくらいの数の人間が、生きては絶え、そして繰り返し、
様々な陰影をかたどって行ったか。
あきれるほど想像も出来ないのである。

にしても大英博物館。
100体?200体?よくも「ミイラ」を集めたものだ。
よくは存じ上げないが、世界各国から、よくもあれだけのものを.....。
確かに、この存在がなければ、
歴史も、何も、散逸し、朽ち果てたであろう「代物」。

立派な偉業でもあり、歴史への貢献だが、
学術などという言葉を語っての、立派な「どろうぼう」さんなのは間違いない。
積み上げられた、ミイラの数をフィルムで見て、
不謹慎にも、そう思ってしまった。

今回の目玉は、飛び出す、3D映像。
ミイラの「包帯」を剥がすことなく、CTスキャンで撮影した画像を処理して、
内部を探っていく。

昔は、発掘してきたミイラを、ワイングラス片手に見守る「出資者」の
目の前で、解体していたそうで、
剥がせば、それっきり、まさに包帯とともに、ばらばらの解体ショー。
なんの学術的な成果もあがっていず、
よくある過去の惜しまれる「事象」だ。

今もって、どういう方のミイラなのか、ははは、存じ上げていないんだが、
棺が、2重のマトリョーシカになっていて、
ツタンカーメンは、4重のマトリョーシカ状態。
それが、なんでか、とっても気になる。

とはいえ、科学的なメスを入れられたそのミイラ。
歯の部分に膿瘍が確認でき、歯茎の骨がきれいに「溶けて」いたり、
背骨が湾曲していたり、なんだかんだと、痛々しい人生をも透けて見通せるんだが
変わらないよね、人間って、という感慨。

それにしても、神と共存している世界。
死後、魂を「ある」ものとして、完全に成立している世界。
死者の文書にしても、恐るべき魂の完全なる消滅を防ぐ手立てとして、
こう問われたら、こう言いなさい、なんてことを呪文にしたてた「作業書」。

スカラベも、糞転がしで、今は有名な昆虫だが、
あれも、死者の国で、生前の行いを問われたとき、思わず心臓がどきどきしたとき
それを防いでくれる。
そんな、細かな「グッズ」もてんこもり。

そりゃ、3000年もの歴史。
異民族、異文化の交流も、戦闘もあったであろうが、
この世界をまとめあげていた、幾多の神々。
頭に「太陽」をいつも携えている、ラー神。他。
残る様々な偶像。

灌漑設備も、排水溝も、風呂も、劇場も、結構取り揃えてあったエジプト文明。
ミイラの造りも、仕様も、手続きも、
外科の手術も、手当ても含めて、
神の所在の変遷の中で、
遠い昔の出来事になってしまったことが、
なんだか、いつも、個人的に、気になること。

にしても、今回の展示会。
3D以外、すいません、ちょっと物足りませんでしたが、
面白かったです。




ゆらゆら揺れるだけでいい、マシーン。

2007年01月24日 | 雑感(日記)
先日、NASAの研究者が書いた本で知ったんだが、
宇宙から帰還した飛行士に、「リハビリ」が必要とのこと。
それだけ、無重力という環境は、人間の体に「負荷」ではなく、
変容を強いるものらしい。

骨量も筋肉の量も、何十パーセントも「減る」という事実。
三半規管、つまり平衡感覚も、帰還した後、元に戻るまで、
随分時間がかかるという。

で、なんですか、テレホンショッピングなんかで紹介されていた、
中周波のEMS?
ベルトを、お腹に巻いて、電気のパッドがピリッとくる、例のやつ。
これを巻くだけで、「痩せます」。
腹筋をしたと同じ効果!

なんて文句が踊りますが、
ちゃんと、NASAで、使われているんだそうですね。
飛行士のリハビリで。

さらに今、筋力をカバーするための器具として、
立った状態で、ただ、足元がゆらゆら動くだけの機械。
これ、手すり上のバーがついているものらしいんですが、
骨量の「回復」に最適なんだそうです。

ご老人、または、病後、寝ていた状態が長かった人に、
同じ意味で、これに、1日数分乗っているだけで、
「重力」効果で、筋肉量も骨量も、存分に回復する。
ええ、ゆらゆら揺れているだけで、です。

でも、これ、日本でも販売されているんですね。
振動フィットネスマシーンという商品名で。
ちゃんと、骨密度増加の効果もうたっていました。

1式、100万円近い感じですが、本当に、ご老人にも、病後のリハビリにも
効果があるらしいんですが、
なんでか、テレビショッピングなんかで見ると、
「怪しい」なんて思ってしまう。

でも、こういうのって、NASAとか、そういう最先端の「科学」「技術」
そういうものから、出現する。
有酸素マシーンで、足踏みの器具、買ったことがありますが、
これ、つらい。

ゆらゆら揺れているだけの機械、実は、ほしいなって、思ってしまったんで、
すいません、ちょっと、回らない頭で、書いてしまいました。
本日は、すいません。
こんなんで。



ちょっと振り回された一日

2007年01月15日 | 雑感(日記)
いつのまにか、冬が本腰を入れてきた。
寒い。東京、今日一日、最高気温が2桁いかないらしい。
暖冬と言えないかもしれないが、昨年までの「タミフル」大需要とは
打って変わって、穏やかな様相をみせていたが、
そろそろ、本番かもしれない。

昨年末。初めてディズニーシーのカウントダウンに行って来たが、
開園同時に、大掛かりなお出迎え。
コーラス隊やらマーチィングバンド。
照明が温かいせいもあるのか、活気がそうさせているのか、
寒さを感じる事はなかった。

開場まで列をつくる人々。
手際よくコースを作って並ばせているが、
前列を占める、早くから並んでいる「集団」は、手馴れたもので、
完全防備、完全仕様。集団で座り込む者、寝ている者。
なんだか、それぞれ3畳一間の生活空間が、出現していて、
片付けも、あっという間で、これはもう、スペシャリストさん達だ。

一気になだれ込む園内。
カウントダウンイベントの場所取りが、最初に訪れる「戦場」だが、
我々は、のん気に、空いているレストランにGO。
11時をまわって、そろそろという頃に、
なんとかポジションをとって、イベントの観賞。

花火が、これでもかと、打ち上げられる中、最高の盛り上がりの中、
最後はミーシャがスペシャルゲストで歌い上げ、
まさしくカウントダウン。
あけましておめでとう、という感じであった。

新年からディズニーは「閑散期」に入る。
終了時間も、夜の7時とか8時とか、うっかりしていると、閉園していることも。
そのくせ、ピンやバッジをプレゼントするイベントが目白押し。
「常連」さんの囲い込み期間となる。

そういえば、ディズニーシーのショップで、ビームスとコラボしている店。
今回の目玉は「ライトブルーのマッキーマウス」!だ。
2500円以上の商品1点につき、1本プレゼント。

そもそも破壊的な金額の店。
ティーシャツ1枚が、平均5000円。
2500円以下のものが、基本的に無い、そういう店だ。
当たり前だが、売れるわけが無い。
ところが、このマッキーマウス。
目当てに大集団が押し寄せる。

狙いの商品は、男性「トランクス」。
お値段、2570円也。
全くの普通の「木綿生地」に、笑うミッキーがでかでかとプリント。
買わねえよ、こんなもの、なんて商品が、飛ぶように売れる。
あっという間にM、Lサイズが「完売」。

さらに、在庫一掃なのかスペシャルプライスと値をうったティーシャツから、
ダウンジャケットが、「赤札」で登場。
一気に3000円台。ダウンジャケットは1万円の値引き。

どうなんだか、どういうつもりか、新作ティーシャツが3000円ちょっとで
登場。
下々の人間である自分にとって、ユニクロの素材に慣れている自分にとって、
なんだか、毛玉が最初っからついているかのような「これが」、
3000円でも高い。

当然、何かしらの商品をゲットして「マッキーマウス」を手に入れるわけだが、
この1万円も値引きがしてあるダウンジャケット。
てかてか調の最近またカンバックしてきたかのような素材。
裏生地にはもちろん、ミッキーが大集合。色合いもいい。

買ったわけだ。清水(きよみず)だ。気分は。
そこにマッキーマウスのマジック目当てなど、微塵の欠片も無い、
単なる「商品購入」者として、下々と一線を画した訳なんだが、

このダウンジャケット。
冬の斜めに当たる光の加減もあるのかどうか、
やたらに「ほこり」の付着が目に付く。
黒の生地なんだが、まさに、うっすらと白色に染まってくる。
後に並んだおばさんも、「白くなってますよ」と声をかけるくらいだ。

問い合わせだ。
ディズニー側も、それ担当の部署があって、直接店舗と話すわけではないが、
とにかく静電気のせいであると一点張り。
「こちらも、もちろんそれはわかっているんだが、すれ違う方々から、
 白くなっていますよと。
 長い人生の中で、ダウンを色々着用したが、こんなのは初めてなんだが」

そうすると、一度店舗にお持ち下さいとのこと。
行くわけだが、出荷時の汚れだとか、梱包の際の付着だとか、
店舗は、それなりの言い訳をしているが、
すでに「返品」が、同じ理由で、過去にあったことを証言。

一応、新しい製品を受け取り、しばらく様子を見るということで決着。
しかし、解決するはずも無い。
じゃんじゃん、そこいらの粉塵から、よそ様のダウンが、ピタ ピタと吸着。
なんだかなぁ、せっかく清水(きよみず)状態で買ったのに、返品です。

再度、店に行くと。
「マッキーマウス」を同時に返却いただかないと、返品はできないとの宣言。
ええ、久しぶりに、久しぶりに、切れ掛かりました。
値段からしても、商品からしても、そのマジック目当てで買ったもんじゃない!
過去に返品もあって、そちらも応じた「実績」のある商品。
ということは、結果的に、不良品、一歩手前と言っていい。

なのに、マッキーマウスを返せが、なんと、一番最初に出たトーク。
驚きました。
当たり前ですが、コートとともに、ロッカーに預けております。
手元にありません。

ちょっとすったもんだの上、マジックはロッカー近くのフロントに預けることで、
返品処理を済ませることにさせました。
にしても、3種類近くあるダウンジャケット。
そのうち、今回、騒動のあった「これ」だけ、値引きしておりました。
ちょっと、勘ぐる人間であれば、不良品を値引いて「売り切る」と
言われてもいたしかたがない。

それとも、さすがビームスで、こういう「感度がよすぎる」素材は、
ほこりが舞う雑踏で着こなすこと事態、想定外の使用法なのであろうか?
わからん。
1時間おきに、湿った布で拭く、そういう手間自体を惜しまない人間用の
商品なのだろうか?
わからん。

ディズニーはともかく、個人的に親しみのあるブランドではないので、
ビームスって、そんなに「いいものなの」?って
思ってしまう、庶民が増大することは、間違いないと思うよ。
多分。

意外にも富士山は、怖い山なんです。

2007年01月04日 | 雑感(日記)
どうでもいいことなんですが、
ベトナムの干支。
「鼠、水牛、虎、猫、龍、蛇、馬、山羊、猿、鶏、犬、豚」
牛ではなく、水牛です。
さらに、ウサギではなく、猫。完璧です。
羊がヤギなのは、いいとして、最後が、豚です。

本年も、よろしくお願いいたします。
謹賀新年。 豚年です。

ランダムな話題で申し訳ございません。
富士山の滑落事故。
初日の出の参拝登山ということですが、あの山は、思ったより危険です。

当日、天候の悪化が急で、防ぎようも無い「事故」の可能性がありますが、
自分も、過去、高校1年生のとき、滑落しかけました。
今回の事故とは、程遠い、参考にもならない話しですが。

夏の富士。
8合目でリタイアすると、目に留まったのは「砂走り」。
下山用の砂や瓦礫交じりの「道」です。
7合目当たりから、下山用の階段とは別に用意されているものですが、
足を、深く、砂にめり込ませるように進んでいけて、
階段よりは、とってもスピーディーに降りることができる。

ところが、ちょっと、いい気になって、加速をつけたら、これが、全く止まらない。
その歩幅が、2Mから3Mへと、全てが走り幅跳び状態。
自力では止まれない事態に陥る。

最初、笑いながらの絶叫が、悲鳴になるのも数分もかかりませんでした。
最後、駆け抜けた4人は、揺れ、流れる風景の中で、
一人一人がもんどりうつように、投げ出され、
自分も、なぜか「右」に登りがあるように錯覚し、
ダイブしました。

運がよかったのか、大岩が混じるその道で、大怪我はでなかったんですが、
一人は、病院に収納されました。
5合目にいて、その我々の姿を目にしていた登山客は、
全員総立ちで、「あっつ、跳んだ!」「連絡連絡!」など、
騒然としていたそうです。

本当に、あの山は、急勾配なんですが、
この件は、自業自得ということで、それ以上に、迷惑をかけなかったことが
幸いでした。
この時期、富士は雪で覆われております。
滑落したら、一気だと思います。
しかも、岩が露出しておりますし、危険極まりない山だという事です。

以前にも、少し、このネタを書きましたが、
再録ということで。

今の世の中は、道であふれている。

2007年01月03日 | 雑感(日記)
車を運転していると、標識に「小田原60Km」とか、
「名古屋200Km」など、予定にもしていなかった地名が現れる。
ほんの少し先までの買いものなのに、
この、今走っている道が、そのまま、切れることなく
日本中を、四方に、八方に、つながっている。

案外、不思議で、当惑含みなそれを、同乗者に投げかけてしまうことがある。
「このまま走ると、小田原だって」
という気持ちは、普通、同乗者に、万分の一も伝わらない。
「蒲鉾かぁ、季節だねぇ」
普通、その程度の反応である。

道は、随分昔から、集落から、個々の家をつなぐものとして、
歩く人の足によって、踏み固められてきた。
あるいは、何かの目的のために、「そこ」へ通じる道として、
長い年月、それが出来た、というのもあろう。

言ってみれば、道なるものは、そもそも、この地上には「存在」しなかった。
確かに「獣道」なるものがあるかもしれないが、
多分、こうして、我々が、何の疑問も抱かずに、歩いている地面は、
今や、ほとんど、「道」として、様々なものを結んでいる。

思うに、昔の方々、それも結構昔。
こんなに「道」というものが、この世にあったとは、到底思えない。

今や、コンクリートで、がちっと固められ、
穴ぼこだらけの土の道など、どうも、本来の「道」と呼んでもらえそうにない、
それくらい、当たり前の、強固なものとして、そこらじゅうにある。

昔は、多分、不断の努力、そして、日常的な人の往来がなければ、
あっという間に、地面に逆戻りしてしまう、
そういう、存在のものではなかったか。

だとすれば、今、我々が、平気で使っている、道に関する「ことわざ」や、
言い伝え、それから、書物に記されているもの含めて、
その頃の「用法」というか「感覚」は、決して同じではないだろう。

道を踏み外す、というのを取り上げても、
やくざな世界に身を投じる、なんて感じに使うことが多いが、
そもそもは、人の世界と、あっちの世界、それくらい、重さが違う。
細いかもしれないが、道があると言うことは、
はかなくも、人がつながっている。
営々とした、人の生業としての歴史をも語るものとして、
そこにあるわけで、

それを「はずれる」ということは、
人を守る、「結界」をはずれることをも意味して、
てんこ盛りの「危険」が待ち受けており、何かが起こったとしても、
全く、文句が言えない。
そういう感覚。


時として、昔の人は、どのように日々を送っていたのだろうと、
考えてしまうことがある。
何も、無い。そういう世界。
我々よりも、はるかに、些細な物音や、風の流れに、
多くの意味や気配を感じることが出来たであろう。

見渡す風景も、「道」以外は、そもそも野原や林であったり、
一面の草むらだったかもしれない。

今では、広がる光景に、道以外のものを探すほうが難しい。
これだけの、こんなにも多くの「道」が、この世にあるのに、
なんだか、途方も無いくらい、
人の結びつきが「はかなく」なっているような気がする。

そして、何かの気配も意味も、
感じ取れる「感覚」をも、当の昔に退化させてしまった気がする。

もはや我々は、
シルクロードといったものや、ローマの道、なんて言葉も、
何の感慨も無く、当たり前の「道」としてしか、
見ることが出来なくなっているのだろう。

人として、コンビニエンスとセイフティーを「究極」に作り上げた
その傍らで、我々は、五感以上の何かを、
どうやら、確実に失ってしまった気がしてならない。
それは、どういうことなんだろうか....。