愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

観天望気

2020-09-25 | 日記

天気予報は当たらないと言われて来たが、最近の気象観測網の充実・データ解析の進歩によって随分当たるようになった・・と思っていた。しかし、雨が予想された今日は朝からほぼ晴天。今日の鷹観察は無いと決め込んで遅く目覚めたら、やけに明るい窓の外には青い空が広がっていた。

 「ああ、これは遅刻だな!」と朝飯は牛乳一杯にして、意気消沈して山に駆け付けた。朝日も明るい山頂には、既に数人の観察者あり。一人が、「私の予想通りの天気でしょ!」と言う。局所的な天気予想にはやはり観天望気が重要だ、と思い出す。若い頃の山登りでは観天望気の重要性を仲間に説き、もっと雲や風を見ていたのに、と。いつでもパソコンで簡単に気象情報を見ることができるので、広域のデータに関心が向く一方、いつしか自分の観天望気能力が衰えていたことに気付かされた。生き物として、やはり人間には自らの感覚と勘を研ぎ澄ます努力が肝心なのだ。

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ITは何処に?

2020-09-24 | 日記

最近、ニュースなどでIT、IT化という言葉を聞かなくなった気がする。変わって増えたのはデジタル化。たしか時代はデジタル化の次にIT化(Infomation Technorogy)へと移ったと思っていたのに、此処へ来て突然の「デジタル化」流行り。

 情報をアナログ方式からデジタル方式に変えたのがデジタル化、デジタル化され保存・送信による情報の劣化が減少した。さらにコンピューターによるデジタル情報の大量保存・大量分析技術の時代が、保存・分析・共有などの情報処理技術の進歩へとつながってIT化時代を迎えた・・はずだった。そこに「デジタル化」時代の再登場? 「デジタル化」はデジタル情報を扱う技術全ての発展を意味するようになったのか?

 つまり、いつの間にか「デジタル化=デジタル情報の共有化・管理の一元化・情報処理の改良」と定義が変わったような気がする。たかが言葉の定義の問題、と言われるかもしれない。しかし言葉の意味の曖昧さは、意思疎通の曖昧さに、結局、判断や行動の曖昧さに通じる。情報処理や分析・共有技術の革新はIT化の問題で、会話で「デジタル化」という言葉が使われる度に一々頭の中で「IT化の意味だ」と変換するのは面倒だし、誤解を生む。日本の情報処理産業はいつか再び「IT化」という言葉を取り戻せるのだろうか?

 

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鷹渡る

2020-09-23 | 日記

今日は今季初めての「鷹の当たりの日だった。日中800羽くらいの鷹が東から西へと渡っていった。今朝7時に家を出て、鷹見を打ち切るまで8時間、鷹さ250mの山頂で空を見上げていた。観察を打ち切って下山する途中で初めて、8時間に一度もトイレに行かなかったことに気付く。「まったく、よくやるよ!」と自分でも思う。

 しかし、自分だけでなく、それはそこに集った多くの鷹好きに共通しているのだ。もちろん水分補給は行うので、我に返って考えると「みなさん一体どうなってるの?」と聞きたいくらいだ。何か魔法にかかった集団のように、日がな一日、東の空を見上げて過ごす。時折り散歩で上がって来る地元の人が、予期せぬ山頂の賑わいと、揃って双眼鏡を空に向けて並ぶ光景にたじろぐ。ともあれ、今日はやっと本格的な鷹の渡りに出会えて満足。渡りを見始めて十余年、いつしか自分もこちら側の人間になってしまった。

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秋の風

2020-09-22 | 日記

このところ心地良い秋の風が吹いている。「秋の風」という言葉が浮かぶと、いつも、ねぶた祭りで跳ねた帰り道のことを思い出す。

 その頃は、毎年3日か4日くらいは跳ねていたと思う。祭りが始まる頃はまだ夏の昼間の暑さが残っていて、少し動くと汗ばむような感じだが、2・3kmの距離を「ねぶた」の後に着いて跳ね、走る。最後はびっしょり汗をかき、衣装も帯も濡れている。疲れ果てて街角で仲間と座り込み、一休みしてから、また3kmほど歩いて帰るのだが、その帰り道はもうかなり涼しくて、浜風で体が冷たくなっていくのが分かる。そして「ああ、もう秋だなぁ!」と感じていた。

 まだ8月3日だったり5日だったりするのだが、「青森はねぶたが終わるも、もう秋だな!」と感じる。祭りの後半は毎晩、跳ねた帰り道に秋を感じながら歩いた記憶がある。そして「でも、まだ2日あるとか、あと1日ある、とか思いながら、残りの祭りを楽しみに帰り着く。青森じゃ、ねぶたが終わるとすぐに来年のねぶたを思う。そして、その間にどうしても在って避けられない冬(11月・12月・1月前半)、さらに厳冬期(勝手にそれを第5の季節と名付けた1月後半・2月・3月前半)に備えて「秋の間に少しずつ、その心持ちさ作っていかねばまぃね!」と、風に教えられた気がする。

 

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デジタル庁?

2020-09-21 | 日記

新内閣が発足し、政策の目玉の一つがデジタル化・デジタル庁の新設らしい。デジタルかアナログかという話は、40年前のレコードかCDか?という話を思い出させる。もう少し近くではフィルムカメラかデジカメか?というところ。デジタルかアナログかというのは信号・情報形態の問題で、それなら今時ファックス送信もデジタル信号での送信だろうと思う。「デジタル庁」が目玉と言われても、そのテーマは情報のデジタル化なのか?と感じてしまう。

 「保健所のデータをファックスで送っていた」事実が孕む問題は果たして「アナログかデジタルか?」で考える対象なのか?。何年も前からファックスはパソコンで受け取ることが可能、そのまま「デジタル情報」としてコンピューターに保存も可能。システムを設計していれば、ファックスのファイルを自治体や政府機関に自動転送することも出来る。仮に、ファックス送信をオンライン入力に変えても、人間が入力する作業を俗にいう「アナログ」。それを市役所・県庁職員が読み取り、また別のオンラインシステムに入力するような連携に欠けたシステムなら、同じ遅れが生じる。要はデジタル情報の連携システムの良否だ。

 ある番組では「経営のデジタル化」という言葉も出た。何を意味するのだろう?。既にほとんどの会社・営業所で各種帳簿関係はコンピューターに保存され「デジタル情報」となっているだろう。言葉の意味からして、デジタルな判断やデジタルな方針などというものが有り得るだろうか。番組で扱われている内容は、要するに「情報の処理・必要な情報の抽出・有用な情報の関連付け」の技術進歩が必要だということで、つまりIT技術の進歩をいかに実業に応用するかという(IT化の)問題なのだ。

 日本での問題は過去20~30年間デジタル化されてきた情報をどう使うかということで、それはIT(information technology) の問題じゃないのか? デジタル庁ではなくIT庁つまり情報技術革新庁として欲しかった。マスコミも何となくデジタル化=情報技術の進歩・情報共有化の促進という意味で使いたいようだが、言葉はやはり元の意味を重視して使って欲しい。ITでもデジタルでも、言葉なんかどうでも良い? 否、なんとなく雰囲気で言葉を使われると、具体的に何を指すのか分からないままで過ぎて、最後には曖昧な結末で誤魔化されそう、それが心配。

情報のデジタル化技術で言うなら、アナログの手書き文章をコンピューターが読取りデジタル信号化できる時代がとっくに来ている。手書きファックスだって送信されるのはデジタル信号で、そこからコンピューターが必要部分を自動で読み取り、共有化するシステムが設計されていれば保健所のファックスデータを自治体・政府も共有ができたはず。どういうシステムが必要かを考えるのは、コンピュータープログラムを自作する能力を持たなくてもできる。問われたのは「情報をデジタル化した後で、必要とする各機関や自治体・政府で共有するにはどんなプログラム、今は何を実現するプログラムが必要か?」を考える能力で、というより、それを考える人がこれまで居なかった(権限を持てなかった)ことなのだろう。

 皆の尻を叩いて皆に情報のデジタル化を強いてきたのに、そのデジタル情報の使い方についてほとんど考えられて来なかったのか?と愕然とする。そこに今度は「IT化を進めるデジタル庁」と言われてもピンと来ないし、何をするのだろうと思う。今更「情報デジタル化が時代の課題でもあるまい?」と感じてしまう。「デジタル化推進の鍵はマイナンバーカード」という理屈も、全くよく分からない。もう既に、ほとんどの情報のやり取りはデジタル化され、デジタル情報が飛び交う現代日本で、アナログ情報のデジタル変換は問題とならない(写真はスキャナーに掛け、手書き文書も読み取ってデジタル文字情報に変換)。とにかく「デジタル化した後、その情報をどう使うか」という技術「IT: Information technology」を何とか先進国にしてくれ、と思う。

 

 

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