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新型コロナとワクチン

2021-01-24 | 日記

近頃、新型コロナ感染・第3波のニュースと共にワクチンの話題が賑やかだ。実際いつになれば自分達の身近で具体的な話になるのか分からないが、街頭インタビューの相手に若者や比較的若い人達が多いことが少々気になる。彼らの意見を聞きたくないわけでは無いが、順番的には先に接種が予定されている高齢者にまず聞くべきではないか。ワクチン接種に不安を持つ人達の「少し様子を見る」と返答する場面をよく見るが、彼らより前に多くの医療従事者・高齢者の接種が予定されている。伝えられる順番通りなら、その人々は接種を受ける前に数百万・数千万人の前例を見て考えることができるわけだ。順番が来るまでにそのデータを見て参考にできる世代に現時点での不安を尋ね、「日本人でのデータが少ない」「安全性評価には一千万人を超えるデータが欲しい」との不安要素を聞き出すことに大した意義を感じられない。

 それよりも、予定通りならその先例となるだろう人々が持っている現時点での不安要素を取り上げることが重要ではないか。中でも、職業柄ワクチンへの理解が比較的進んでいると考えられる医療従事者に比べて、一般高齢者はワクチンへ接種に対してより強い不安を抱いているはずである。しかし高齢者に対するインタビューの場面を見ること、その意見を聞くことはあまり無い。そんなインタビューを見ていると、「街を歩く人々に、とにかく話が多く集まればよい」だけという、どこかおざなりのレポートと感じてしまう。ウイルス変異とワクチンの有効性についても、大げさに取り上げる割には、ほとんどの番組は「一般的可能性への推論を繰り返し放送するだけ」という程度でしかない。

 ワクチンと言っても、今のところ接種が予測されるのは3社が製造するもので、それぞれにワクチンの内容も仕組みも異なる。誰がどのワクチンを受けるか?すら分かってない時点で、漠然とした一般的可能性を論じられても大きな関心を持てない。それくらいなら、まだ、「誰にどのワクチンを接種するか」を、いつ・誰が・どのように決めるのか?ということの方が知りたい。例えば自分に接種されるのがB社のワクチンであれば、先行して数百万人に接種されるA社ワクチンのデータがあろうとも、それは自分にとって有意義なデータと言えないのだから。報道関係者は、報道のテーマ・内容をもう少し吟味して欲しいものだ。