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正月特番

2021-01-02 | 日記

年末からテレビの特番が続き、新年に入ってどのテレビ局も長時間の特別番組を放送している。28日頃までの午前午後を席巻していた所謂ワイドショー、ニュース解説番組は全く消えてしまった。ニュース番組が縮小され過ぎて、一つのニュースを見逃すとその日何が起きたのかが分からないという錯覚に陥る。もちろん、ニュースはネットでもラジオでも手に入るし、何もテレビだけに頼る必要は無い。だが、それならそれで、普段の特に昼間のテレビ番組におけるニュース番組(ワイドショー的な)の占める割合は如何にも大きいと感じる。

 日本では「盆と正月の休み」という風習(伝統?)があり、特に年末年始には仕事も止めてゆっくりと一年を締めくくり、新しい一年の始まりを祝い、心の準備をするというリズムを続けて来た。したがってテレビ放送でも普段の放送枠を取り払い、さらにゆっくりと娯楽を楽しんでもらうという考えも嫌いではない。しかし、何処か1つくらい普段の平日と変わらぬペースのニュース・報道番組を流し続ける処があっても良さそうに思ってしまう。

 日本での株取引やビジネス、その他多くの公共機関が一斉に休止してしまう4・5日間、世界は決して止まって無いことを思う時、そろそろ日本人もその事実を頭の片隅において年末年始を過ごすようにする必要があるのではないか。かつてのバブル崩壊は、この日本の株式市場の空白期間に仕掛けられたと自分は思っている。日本の庶民を株式市場に引き込み、株取引が世界市場になっているにも関わらず、その日本の庶民株主には確実に何も反応できない数日間を甘んじて受け入れなければならない不条理が、日本の世論では未だ大きな議論になっていない。

 短期間のアメリカ生活で年を越す機会があった。アメリカでは「新年おめでとう」とは言うものの普段と何も変わらずにほとんどの人が仕事をしていた。クリスマス休暇や新年の休暇を取る人は確かに居るが、普段から一年に一回くらいの1ヶ月程度の休暇は珍しくなく、たまたまそれをクリスマスや新年を挟んで取っているという感じだ。何も、日本をアメリカと同じにする必要は無いが、世界が動いている以上、海外の市場や情報・流通を扱う部門くらいは、日本からも常にアクセスできるようにしておく必要があるのではと思う。

 海外の問題でなくとも、2日前まで新型コロナ問題を取り上げ活発な議論を行っていたテレビメディアが、東京で一気に千数百人の新規感染者を生み出した翌日、単に数字を報道する以外全く沈黙しているだけというのも、危機感・危機管理を強調してきた報道メディアの振る舞いとして奇異に感じられた。政府・自治体の危機感の無さを槍玉に上げて来たテレビから、少なくともこの年末年始の間に感染拡大が一段と加速しつつあるかも知れないという危機感は伝わってこない。

 おそらく4日辺りから平常のワイドショー番組が復活し、そこで今更のように年末年始のコロナ感染者の増大ぶりを驚く議論を展開するのだろう。正月に娯楽番組や年始を祝う番組を無くす必要は全くないと思うが、時間のほとんどを娯楽や祝い事に費やす必然性も無い。普段のテレビ報道のワイドショー化とその拡大ぶりもどうかと感じるが、打って変わっての年末年始のテレビ報道の突然の変容(雲隠れ?)もまた、如何なものかと感じてしまう。