GOSEO BLOG

2-0が怖いのではない、お前達の勘違いが怖い

ああでもなくこうでもなく

2019-02-03 21:56:56 | 日記
TBSラジオのデイキャッチをラジコのタイムフリー機能を使って聴いた。宮台真司が橋本治のことを語っていた金曜日の回。これまで宮台真司が橋本治に言及したことはなかったと思うが、今回初めて聞けた。

印象に残った話が二つ。一つ目は、橋本治が過去の文学に焦点を当てていたことについて。日本はかつて母系社会だったという話を用いて、今の安倍首相が言う家父長制なんて明治維新後につくられたでっちあげだと言ったところ。

二つ目は、橋本治は思想は嫌い、本が好き、ということ。思想は人をある型にはめてしまう、みたいなことを言っていたが要は自分の頭で考えるということだろう。


ここからはラジオの話でなく、ああでもなくこうでもなく自分で考えた話。

養老孟司は日本には思想がない、自我がないと言ってて、私はそれに納得している。だから日本では自分の頭でものを考える人間は少ないように思う。自分の頭で考えなくてもよいというか、そっちのほうが幸せというか。

うっかり自分の頭でものを考えなくてはならなくなってしまう人ってのは、なにかしらのマイノリティ、ハンディキャップを持っている人だろう。橋本治はおそらく性的マイノリティだったろうから、それもあって自分の頭でものを考えざるを得ない人だったのだと思う。

私は、私自身を野球で例えるところのパリーグだと思って学生時代を過ごしていた。マイノリティ意識、被害者意識、劣等感をけっこう持っていたため、橋本治の「自分の頭でものを考えろ」という著作群にかなり影響を受けた。助けられた。助けられただけでなく、勉強になったのは経済の考え方について。

「貧乏は正しい」から「乱世を生きる、市場原理は嘘かもしれない」で、橋本治は資本主義の限界を述べた。自分の頭でものを考えざるを得なかった人が書いた経済論はとても腹落ちできる内容だった。しかしながら「じゃあこうしろ」と正解が書いているわけではなく、正解もそれぞれが自分の頭で考えろでしかないので、私は資本主義の前線で日々微細な差分(トレンド、傾斜)を無理無理に作りながら過ごしている。その日々の折り合いのつけ方の参考がチョウ監督だったり司馬遼太郎の小説だったりするが、その上位概念、戦術でなく戦略、の大きな掴み方、つまり経済とはなんぞやは橋本治に教わった。うっかりこの大づかみの視点で話をしてしまうと無思想の現場で大変浮いてしまうので滅多に話さないが。


橋本治って、めちゃくちゃ頭の切れるおばちゃんだったと思っている。一番印象に残っているのが「青空人生相談所」の中での相談に対する回答。「僕の両親は、僕がテストの点が悪いとすごく怒る」という相談に対し、「あなたのご両親は、あなたの姿に、忘れたかった過去の自分を見させられてイライラしてるんです」と回答したもの。鋭い。


ここ10年くらいは、資本主義って限界だぜーの路線は内田樹にバトンタッチし、自身のパリーグ意識のほうはアドラー心理学でほぼ完治したので、あまり橋本治に頼ることがなかった。ものを考えるってのは脳みそだけではなく体全体で考えるんだと養老孟司だけでなく橋本治も言ってたと思うが、難病を患ってからの橋本治の言説は以前に比べて鋭さが欠けたように私は感じていた。それにしても、10代から20代は橋本治の著作がなかったら結構やばかったろうなと思うので、感謝の気持ちが強い。

今は司馬遼太郎祭りの最中なので、祭り終了後に再度橋本治を読み直そう。

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