人は育った環境や周辺状況に徹底的に影響されて、考えたり話したりすることの多くが決まると思う。
例えば先日このブログでマイカーのサスペンションメンバーとエンマンを交換して調子が良いと書いたが、それってその数日前に兄が新車を購入した事に対する「俺も新車買いてぇ」という心理の裏返しだったのだと思う。卑近な例だがこういうのも構造主義で説明できる部類の話だろうか。
職場での発言もきっと何かの裏返しということが多いのではないかと、なるべく自分の発言を振り返るようにしている。また相手が話したことについてもその背景や周辺状況に思いを巡らすようにしている。
先日みたEテレの番組内で226事件の首謀者の一人である磯部浅一が貧しい農家の出身だったことや、北一輝も大川周明も幕末の賊軍側の国出身だったことも、考えが環境に影響を受ける一例と思う。「徹底的に影響を受ける」とあえて書いたほうがいいかもしれない。
人の脳は所詮信号交換機でしかなく、ワタクシが話す言葉や身振り手振りは周辺状況に徹底的に影響を受けるのだと自覚する。すると我執がはがれ無意識や直感の比率が高まる気がする。自分のオリジナルの考えなどある訳無いじゃん、環境が言わせてるんだよとわきまえてのほほんとしてるときに作動する直感でいろいろ駆動すると、割と打率が良いと自分用に書いておく。