今井美樹の「雨にキッスの花束を」何回も聴いている。サビの真ん中あたりの「嘘でしょう♪(ここのコードはAmだそうです)」がすごーくいい。作曲したKANはすごいなあ。
昨晩の「麒麟がくる」の最後モッくんが緑茶で毒殺を図ったシーン。翌日ヤフーの記事を読んで初めて気が付いたが、モッくんは伊右衛門のCMをやっているのにも関わらず緑茶で毒殺しちゃったのね。
で、それを受けてサントリーが「昨晩は、主人が熱演のあまり・・」と宮沢りえの画像付きでフォローすると。さらにハッシュタグが「サントリーがくる」で、キリンビバレッジともひっかけている。
風間杜夫と平田満と松坂慶子をそろえてみたり小柳ルミ子にお久しぶりと言わせてみたりした2年前の西郷どんに比べ、ずいぶんと企みが洗練されているなあ。タイトルバック製作で多田琢がクレジットされているのでタグボートが一枚噛んでいるのかな。
キリンジを思い出して最近聴いている。
明日でWindows7のサポートが終了とのこと。アップデートしないとついていけなくなる。
必要なものが行き渡った社会でさらに経済を回すためにムリムリでも需要をつくらないといけないが、最近はこれを「アップデート」でやってるのがとても多い。いま流行りのサブスクもその一つだろう。
いま私が使っているimacがいまだにOS10.6.8なのは、OSアップデートしちゃうと持っている音楽ソフトが使えなくなってしまうため。アップデートしつづけないと世の中の流れについていけないのは大変不便だ。WindowなんてXPでほぼ完成してたじゃないか。これ以上必要ないのにアップデートさせられてしまう。
資本主義は90年代後半、花王が「毛先が球と先細」を発売した時点で高みに到達した。その後も無理やり経済を回すためにあくせく(たいして必要ないものを作ったり買ったり)した挙句、いまのアップデート社会に到達した。需要を作りたいならアップデートに金払わないとにっちもさっちもいかなくなる仕組みにすりゃいいじゃんという。
そんなに簡単に主導権を渡してしまってよいのか。下駄を預けちゃったら相手のやりたいようにやられてしまう、大げさに言えば人権を徐々に削られているのと同じ。水道の民営化も同様。アップデート社会では基準が変化し続ける。
そんな中、日本中央競馬会(JRA)は変化せずギチギチに固い。契約でギチギチに固められている。かつて狂牛病問題で吉野家が牛丼を出せないときも競馬場内の吉野家だけは牛丼を出していた。天候不良で開催中止になっても必ず代替開催する。よっぽどのことが無い限り土日のTV競馬中継はつぶれない。変化を拒む固さがすごい。
昨日ブログに書いた鳥千も私が十代のころからいままで変わらずにある。今後30年、年はじめのブログで鳥千くいてーと毎年書いても変わらないだろう安心感がある。30年後は私の方が変化して、胸やけして食べられないだろう。
2020年になってからまだブログを一度も更新していない。何かうまいことを言おうという意識が働いた結果ハードルが上がって何も書いてないのだと思う。まあシゴトしんどぃからというのもある。そんなハードルはくだらないので鳥千のことを書く。府中競馬場内にある鳥千のフライドチキンが食べたい。中山にもある。馬券買わないで鳥千だけ食って帰ってきてもいいくらいだ。みんな食べたほうがいい。