7月10日に構造的非中山秀征化に気づいて以来そのケアを考え動き、下るエスカレーターを少し駆け上がる程度に必要な量の臆面のなさを発動することで現状維持プラスアルファできたということで、ヒデちゃんレベル3にレベルアップした。武器はまだひのきのぼう。くさりかたびらにひのきのぼう、カツレツキッカにフラウボウ(©電気グルーヴ)。
そもそも中山秀征は素のままでドラマに二枚目役で出られるようなルックスがあった。だからその時点で私が中山秀征を目指すのは間違っており、字面どおりヒデちゃんを目指すのではなく中山秀征的な在り方を目指すと言っている。
中山秀征は二枚目のルックス要素が基底状態で、ABブラザースのお笑い要素は不安定に励起された状態だった。中山秀征のすごいところは初期の段階で「自分は面白くない」という事実を明確に自覚して臭みがないところ。沖締めで面白さの自覚を殺した観がある。かつては泉ピン子、最近ではムロツヨシだろうか、私はお笑いがわかるのよという臭みが中山秀征には一切ない。
私は会社員で職業はエンジニアだが、いわゆるエンジニア仕事、論文を読んで難しい計算を紐解き図面を書いたり制御プログラムを作ったりということをやっていない。そしてそこを自分でやることを積極的に諦めている。中山秀征が沖締めで面白さの自覚を殺したほど鮮やかではないが。そこを積極的に諦めたことで開けた地平があり、仕事はとてもうまくいっている。中山秀征が松本明子と飯島直子とDAISUKIをやっていたように。
DAISUKIや夜もヒッパレのようなゆるいバラエティーをかつて私は唾棄すべき存在として嫌っていたが、今の私の仕事って業界の中ではそーいう位置にある。いわゆる伝統的な技術力という土俵において私が歌い踊るDAISUKIはまさに亜流。周囲から見ると私は夢がモリモリでキックベースをしている森脇健司のように映っていることだろう。キックベースだってこれはこれで30分番組成り立たせるのは結構大変なんだぜと2019年の私は言う。
私は自分と対極にある中山秀征的な価値観にジャンプしようと思っているが、ジャスト仕事の見方では既にがっちり中山秀征的なことをやっているんだ。そんなことはそもそもわかっていたつもりだったが、中山秀征分析をすることで明確に気づくことができた。コペルニクス的転回と言っていい。
天動説が地動説になろうとも中山秀征的価値観を目指すことには変わりがない。地動説の今、私が仕事上キックベースをしている森脇健司であるのなら、その後20年仕事を切らさず中山秀征のように続けるにはどうしたらいいか浮かれずに考えて行動することだ。ただその時の社長MAXってのはどうなる?ここはこの後もう少し時間をかけて分析しよう。事務所移籍って結論がクリアに出てくる予感はするが。