もしもピアノが弾けたならと歌う西田敏行をつかまえて「おい弾けるようになったのか?いつ練習すんだ。こうしたらうまく弾けると思うぞ。いいスクールを知っているから来週の水曜日に一緒に行こう」と具体的に追い込みをかけるようなマネジメントをしている。敏行がそんなつもりじゃないのは知ったうえで、安全地帯でふわふわとできもしない願望を評論家的にのたまってないで現実見てイニシアチブをとって動こうと言い続けている。
コロナ禍の前は47回ほど小さなミーティングをして上記をソフトにやってきていたが、コロナ禍においてはデイリーで業務進捗を共有する場がまんまと持てたのでもしもピアノが弾けたならマネジメントがやりやすくなっている。
それを1年近く続けたおかげもあって、先週すごい有事が発生した際も我がチームのフィールドプレーヤーは破綻せず動けたと思う。このマネジメント手法をパワハラ感無くやるには率先垂範しかないと考え自らの実務を矢面に立ちゴリゴリやってきた。
有事の際は普段涵養している実力が露わになる。取り繕うにもごまかしがきかない。
あの歌はアドラー心理学的にはだめだめだ。サビが「だけど~僕にはピアノが無い~♪」「君に~聴かせる腕も無い~♪」。全て言い訳と甘え。お客さん気分で嘆いているだけ。まずは自分の現在地(実力)を情け容赦なく客観的に認識・腹落ちし、中古の電子ピアノでいいから買うためにバイトを始めろ。腕はスクール通って基礎から磨け。
ああ。あんたが本気でピアノを弾きたいと思っていないことはわかっている。でもやっているうちにその気になるもんだ。