GOSEO BLOG

2-0が怖いのではない、お前達の勘違いが怖い

色眼鏡

2019-02-07 23:42:49 | 日記
昨日のブログでテクノは意味なくつまみちょんちょんやってるのを見るのがいい、と書いて思ったのが、そういうのって信心みたいなものかなということ。

例えばケンイシイのわけのわからない初期の作品も、「テクノゴッドだ」「ベルギーのR&Sレーベルが認めた才能だ」という色眼鏡をかけて聴くことで、いいように聴こえてくる。R&Sがどんなものだか知らんのに。

ジェフミルズが意味なくつまみちょんちょんしてるのも「あの有名なジェフミルズなんだ」という色眼鏡をかけて聴くと、いいもんだと思えてくる。

司馬遼太郎がよく用いるレトリックもこれに近い。

例えば大村益次郎(村田蔵六)を単に天才だと表現するより、幕長戦争で敵方(幕府側)である勝海舟に「長州に村田蔵六が居る限り幕府は勝てないだろう」と言わせることで、大村益次郎のすごさをより感じることができる。

他の例でいうと、戊辰戦争で反撃を具申する家臣に対し徳川慶喜が「我が方に薩摩の西郷、大久保のような者がいるか」と一喝して江戸に逃げた、という話も西郷大久保を大きく見せるのに有効な表現。私はこういう修辞に弱いんだな。

かつて隣国韓国のメディアが「日本に磯貝がいる限り我々のワールドカップへの道は険しい」と言ったという話を聞いて以来磯貝すげーという固定観念が出来上がってしまい、インターコンチネンタルカップでアルゼンチンに5点取られて大敗した試合での地蔵プレーを見てもまだ磯貝すげーと思い続けているので、こういうレトリックで表現されるのに非常に弱いのだと思う。

だからわざわざ自分から色眼鏡をかけて物事を見たがってしまうのだろう、ケンイシイすごいとかジェフミルズすごいとか。で、自ら苦労?して作り上げた色眼鏡で見る景色はなかなか色あせない。私は○○が売れる前から応援してたのよ、というのも似た心理だろう。

でもこれって悪い面に出るとまずいと思う。レッテルってことだよねえ。

今も毎日テクノ聴いているけども、大して深く考えられてもいないビートやノイズの反復を有難がって気に入る心情(色眼鏡をかけて物事を見た結果)があるということを自覚しておいた方がいいと書いておく。

以前ブログに、おっさんになってますます予断と思い込みが激しくなってきたと書いたが色眼鏡もそうだろう。色眼鏡をかけて周りを見るということは、自分も周囲から同様に見られるということなので、ほんとのおれをだれも評価してくれないなどとほざくのは自分がまず色眼鏡を外さないといかんだろうな。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿