GOSEO BLOG

2-0が怖いのではない、お前達の勘違いが怖い

日記

2021-08-12 11:55:25 | 日記

音楽を聴きながらユリイカのレイハラカミ特集読了。

 

うらやましいと思いながら、友人・知人たちが語るハラカミさんとのエピソードを読んでいた。よろすずという方が執筆した文章が”「不在」が呼び込むもの”というタイトルだったが、それは歌が存在しないハラカミの音楽を示すのと同時に、本人が不在だからこそこうして本が特集され、そこで新たに生まれる感情もあるということを示しているように思った。二度と戻れない過去のある時点、京都でこんな空間と時間があったんだなと思いを馳せながら読んだ。この味わいも含めてレイハラカミの作品と思う。


日記

2021-08-12 09:33:39 | 日記

千葉県稲毛付近の散歩動画を無音で流しSBSラジオで鉄崎幹人WASABIを聴きながら2件サギョウを実施し9:27に完了。夏季休暇中の月曜~金曜は軽めのサギョウをちりばめているので早朝に終える事ができ、その後の1日をもうサギョウしないと割り切って迷い無く過ごせるのがよい。アイドリング状態が維持できるので休み明けのダメージも少なくて済む。この後はSBSラジオをこのまま聴き続けて本を読むか、キンシオの残りを見るか、TVKでU字工事の旅番組でも見て過ごす。


本当にあった話というわけじゃない、しかしそこには本当があるかもしれない

2021-08-12 00:48:00 | 日記

宮台真司と重松清の対談で重松清が「真に受けなくて本気で聞いて欲しい」、「もちろんノンフィクションの凄味っていうのもわかるんだけれど、でも僕はフィクションの中で・・だから、「本当にあった」話と言うわけじゃない、しかしそこには「本当がある」かもしれないっていうのを信じながらやっているんですよね」と述べている。

 

これは昨日ブログに書いた空手の形の話と似ている。一見フルコンタクト空手のほうが強そうだが、目潰し等の禁じ手を織り込んだ形の空手のほうが真剣勝負の場では強いのではないかという論考と同様、ノンフィクションでは超えられない壁をフィクションは超えるのかもしれない。土門拳が写真は肉眼を超えると言ったのもこれと同じか。

 

私はいままでノンフィクションの書物(時評など)が好みだったが、フィクションの小説もあなどれないと思った。思い出してみると三島由紀夫の最後の小説「豊饒の海」で、三島は小説の中に「阿頼耶識」という大乗仏教の概念を持ち出しているが、これって脳科学が解明しようとする「意識」の問題に近いものだったと思い出した。作り物の小説という形はしているものの、むしろノンフィクションや脳科学よりもぐいぐいと人間の本質に迫っていたのではなかろうか。

 

本当にあった話というわけじゃない、しかしそこには本当があるかもしれない