4月6日(金)
今日は、休日。職場の責任者が、私の好きな経済評論家・内橋克人さんの
NHK100年インタビューの録画を貸してくれたので、見た。
彼の生い立ちから、今に至るまでの、日本社会の問題点をご自分の生き方と
重ねあわせて語る1時間半もの長い番組だった。
内橋さんは、幼い頃に母親を亡くし、慕っていたおばさんも、空襲で亡くしたこと。
おばさんは、たまたま内橋さんが虫垂炎で入院中に、内橋さんの自宅の防空壕で、
内橋さんがいつも座っていたところに座っていて、まるで身代わりになったように亡
くなられたことを、涙をこらえながら語った。また、神戸の実家が阪神大震災で被災
したこと、そして昨年の東日本大震災・原発事故がおきたこと。「震災で社会がかか
えている基本的問題がふきだしてくる。人権、生存権、きちんと守ろうとしているか
否か、さらけ出される」と述べた。神戸の現状は、復興のシンボルは幽霊ビルに。
神戸空港も採算がとれない。そして東北もショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)
にねらわれていると、巨大マネー、とりわけ外資がねらっていると話した。
彼の経済学は怒りの経済学。市場主語から人間主語に。生業や人々の営みこそ
大切で、そして誰かがやらなければならないと語って、マネー資本主義を痛烈に批判
した。アメリカの支配による平和を批判した。原発安全神話とそれを許す風土から克服
できるかどうかためされている、として日本が今変わらなければならないと、戦前から
日本人が持つ、頂点同調主義や熱狂的な等質化現象の間違いと克服を訴えた。
私は、日本共産党の姿と重ねて、彼の主張を聞いていた。日本共産党綱領の中
に克服する道があると思った。
また、彼のいう、新基幹産業として、Food(食料自給)、Enargy(再生可能エネル
ギー自給)、Care(介護の社会化)のFEC自給圏の考え方に同感した。
最後に内橋さんが、涙をこらえながら語った、「戦前と戦後は違うと思いこんでいる。
頂点にお上のいる頂点同調主義は変わっていない。(今のままだと)100年後も
変わらない。リスクはきびしい。再び私たちが見舞われたような悲劇を。紙くずのよう
にすてられていく社会を変えなければならない。一人一人が考え、自立する日本人
になってほしい。人の意見に自分をあわせている日本人から抜け出してほしい。」
の言葉は重いと思った。
日本共産党を多数派にしなければならないと思った。