3月31日(火)
今日は、藤井知事候補と終日行動を共にしました。
午前と午後あわせて街頭宣伝は12カ所。
夜は演説会。
帰宅後、そのまま眠ってしまい、慌てて起きる始末
です。
3月31日(火)
今日は、藤井知事候補と終日行動を共にしました。
午前と午後あわせて街頭宣伝は12カ所。
夜は演説会。
帰宅後、そのまま眠ってしまい、慌てて起きる始末
です。
3月30日(月)
今日はとても良い天気。
午後から候補者カーで藤井知事候補とともに
旧一志郡内を訴える。
5日前の告示日に候補者カーに乗りましたが、反
応がずいぶん良くなってきているように思いました。
3月29日(日)
母は自宅でご近所の方に来ていただいて
皆さんにお別れをした。出棺は自宅から。
でも、通夜と葬儀は家族で相談して葬儀場をかりて
家族葬にした。
お香典も、一切いただかなかった。
地域の若い人が減って、なにかと大変だから
そうしたが、今までの地域のつながりや、風習は
どうのと言われる古老の方もあった。
さみしい気持ちには違いない。
お坊さんは「葬儀」は、これから生きる人が
幸せに生きるようにするものだと言われた。
3月28日(土)
今日の午前、母が旅立ちました。
戦争の時代を生きぬき、3人の女の子を
育てた女性の最後は、枯れるように静かで
した。老衰。88歳でした。
3月27日(金)
昨日の昼すぎ妹から連絡があった。母の体温が
はかれなくなった。息をしていない時間が長くなって
いる。
朝見舞ったときは、それほど悪くなっているとは
思わなかったが、全身がむくんでいるのは気になった。
母は闘っている。
私は、今日「やさしい会」の宣伝カーに乗る。
母は、母は大正15年9月7日生まれ。常日頃
から「勉強もせずに、三瀬谷神社と三瀬谷駅へ
行って、出征兵士を送った。あんなつまらんこ
とをなあ。」と言って、戦争を批判していた。
戦争を知らない世代が増え、戦争そのものが
わからないまま、政治家がえらそうに「戦争
する国」にしようと意気込む。
国民は「政治家は自分達は戦争に直接
行かないではないか。」と、憤る。
私は、少なくても戦争について少しは知って
いる世代だ。ましてや、戦争反対を貫いた
唯一の政党、日本共産党員だ。憲法9条は
日本のたからだ。国民みんなが生み出した
ものだ。
だから、私は社会を進歩させるために頑張る
真の政治家になるのだ。