「お元気ですか」岡野恵美です

岡野恵美の日常の活動や生活を紹介します。

「福島で今起こっていること」 原発なくせ三重県民会議での記念講演(その2)

2012年07月31日 | 日記

7月31日(火)

 党を大きくする大運動の最終日、あちこちにお誘いにまわる。

 

                    ☆ ☆  ☆

 合間を利用して原発なくせ三重県民会議での記念講演について

書いています。

              ☆ ☆ ☆    

 その2は、「福島で今起こっていること」と題して早川篤雄さんの講演です。

 早川さんは、1939年生れで現在72歳だそうです。原発問題全国連絡センタ

ーの代表委員のお1人で原発問題福島県民連絡会代表委員をしておられます。

福島県楢葉町の何百年も続いた由緒あるお寺の住職さんだそうですが、住め

なくなったため、今いわき市に避難しておられるとのことです。

 避難後間もなくしてガイガーカウンターを持って入ってこられた安斎育郎先生

(放射線防護学)が被ばく線量を測定しておられる写真や、その後立ち入れなくなっ

たため、数カ月たってお寺に戻ったときの草ぼうぼうの写真など多くの写真を

みせてくれました。地域の人に楽しんでもらおうと思って、植えてこられた春の桜

、秋の紅葉の写真をかざし、残念な思いを語ってくれました。

 「三重県は原発をつくらせなかったが、福島はつくらせてしまった。復興を見て死

ぬことはないだろう。今までも反対運動をしてきたが、孫のためにも、これまでにも

倍して運動する」と語られました。

 

         

  

         

以下、早川さんのレジュメをもとに書きます。

1、原発震災

 ・福島第一原発事故は世界で3番目の過酷事故。

 ・地震、津波が引き金になって起きた世界初の過酷事故。

 ・石橋克彦神戸大学教授が1997年から警告されていた『原発震災』

2、被害の深刻さ

 ・被害の全体はつかみきれない。『福島県復興計画(昨年11月)』で

  「人類史上経験がない災害」と表現

 ・農畜産物が汚染で重大問題になった地域は、岩手県南部の牧草汚染から

  静岡県のお茶まで500キロに及んだ。関東地方にもホットスポットが観測

  され、数千万の人々に健康不安をもたらした。ある財務省幹部は、全ての損害

  を対象にするなら「百兆円あっても足りない」と言った。風評実害は東北6県・

  関東圏にも及んだ。

 ・県内の全産業・教育、医療、福祉などあらゆる部門に打撃を与えている。

 ・福島県沿岸160キロは全く漁ができない。最近一部で出漁。

 ・県民にさまざまな分断と対立がもたらされている。

 ・自主を含む県内外への避難者16万数千人。

3、避難指示等が出された12市町村

 ・21万人が居住し、約八千の企業・個人事業者が存在し、約6万人が働いていた。

  (従業者数30人未満の小規模な事業所の割合94.6% 県全体では約8万の

  企業・個人事業者が存在し、69万人が働いている) (中小企業庁)

 ・双葉郡8町村(30キロ圏内)と飯館村、南相馬市の一部(旧小高町)の住民

  約14万人が散り散りばらばらに避難。30キロ圏内での津波などによる不明者は

  探すこともできず、遺体は数カ月も置き去りにされた。家畜農家の牛、豚、鶏、犬

  猫も大方置き去り、おおかた殺処分に。

 ・各町村 独自判断で住民を避難指示、仮役場を設け機能も大混乱。20キロ圏内の

  小学校12校、中学校7校、高校4校消滅。

4、今後・今

 第一、第二原発立地4町と隣接町村の復興(現状回復)はあり得ない。

 ・事故は収束していない。余震・収束過程で大事故が起きない保障はない。

  完全な除染は不可能。汚染土などの仮置き場・中間貯蔵地・最終処分地は立地町

  以外ない。

 ・10基の原発は溶け落ちた核燃料・大量の放射性廃棄物などまとめてその場を墓場

  にするしかない。

 ・福島大学災害復興研究所の調査(昨年12月15日)で、「戻る気はない」と答えた人が

  34歳以下で46%、35~49歳で32%…「帰還まで待てる年数」は全体で2年以内が

  36%で最多、3年以内が23%、高齢の方が待てる年数が短い…「戻らない理由」で

  は除染が困難83% その他では双葉地域に将来発展が見込めない・除染しても

  原発がある限り不安・子どものことを考えると戻れない…などとなっている。

 

 ◎原発事故の完全賠償をさせる

  原発事故は、儲け本位に走り安全対策を十分にしてこなかった東京電力による過去に

  例をみない公害である。そのような東京電力を許してきた国の責任でもある。

  東電は一応謝罪し、加害責任は認めるが人災とは認めない。認めさせる。

  事故がなかったら、ついやすことのなかった経費・時間・精神的苦痛への賠償と汚された

  土地・家屋・空間などすべて元通りにさせ、廃炉にさせる。

  そのために、必要対策を講じさせ、その経費を出させる。

 

 ☆以下は、原発事故の完全賠償をさせる会のパンフレットからです。

 私たちは次のような要求を持っています。

  子どもたちが安心して生活できる福島に

  あやまれ つぐなえ なくせ原発・放射能汚染

 ①東京電力は、原発事故被害の完全賠償をすること。

 ②被災者の生活保持、健康、人権の確保を総合した

  「福島原発事故被害補償法」を制定すること。

 ③放射線量を1ミリシーベルト未満にすること。

 ④放射線核種ごとの汚染地図を作成し、公表すること。

 ⑤福島県民は、年齢にかかわらず無料で健康診断・医療

  を受けられるようにすること。

 ⑥内部被爆の健診を求める全ての人のために、必要量の

  ホールボディカウンターを設置すること。

 ⑦食料の放射線量を測る機器を小学校区単位に設置すること。

  また、そのための必要な職員を配置すること。

 ⑧米の作付け制限をやめ、国が全量買い上げ、管理すること。

 ⑨原発事故により支払われた賠償金には課税しないこと。

 ⑩将来発生が予測される病気や被害についても全て賠償すること。

  以上の施策を達成するために「福島県原発被害保障基金」を

  創設し、「基金センター」を設置すること。基金への拠出は、国・

  東電。東電原発メーカー・東電建設関連のゼネコン・商社・金融

  機関など、東電原発に関連する法人及び個人とする。期間は廃炉

  になり、すべての「被害者」が存在しなくなるまでとする。

 以上を前提にして、私たちは次の賠償額を請求します。

  ①避難に要した実費、

  ②避難中または非常事態中の精神的慰謝料として、一人25万円

  ③平常に戻った後の損害賠償として、子ども・妊婦には月8万円、

   大人には月3万円を、廃炉完了まで支給すること。

  *低線量下でない地域の人は、個別・集団請求をします。

 

  原発事故の完全賠償をさせる会

   浜通り復興共同センター内   電話27-3322

 

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「原発なくせ三重県民会議」での記念講演の紹介(その1)

2012年07月30日 | 日記

7月30日(月)

 ◎昨日「原発なくせ三重県民会議」に発展的改組を決めた同総会

で2つの記念講演がありました。その1を紹介します。

 

 最初に、中部電力人権裁判元争議団長の三枝豊明さんが、

「こうして中電は原発を推進した」と題して講演しました。

 三枝さんは、まず中電の人権裁判に勝利するまでの道のりと

原発立地を許さないたたかいは同じだったと語り、「原発反対の

大漁旗に励まされた。」と語りました。

 また最近、中電のOB会で「浜岡原発を廃炉に」と、交渉したら、

会社側は「国の言っていることが信用できなかったら日本に住め

ない」と言ったが、そういう扱いなんだと、くやしさをにじませて

話しました。

 そして、中部電力の浜岡原発立地の経過について語り、特に

25億円ものお金を住民に配ったとその内容を詳しく紹介しました。

お金を配っても、電気料金は、総括原価方式で、かけたお金の

3%の利潤を上乗せするなど、会社は何も困らないとも。

 南島町の漁民は、激しいたたかいで、中曽根氏等の調査団を

上陸させなかったが、浜岡は調査をさせてしまった。この違い

が立地につながったと述懐し、原発なくせ三重県民会議発足

は意義があると歓迎。最後に、電力会社は行政の関連機関

など、いろんなところに職員を派遣して利益誘導を行っている。

国の在り方を変えていかないと、と結びました。

 私は、中電の浜岡原発を再稼働させてはならないという思い

を強くするとともに、政治が人間のためのにならず、大企業の

利益追求のために使われ、人間の尊厳がふみにじられること

への怒りを共有しました。あらためて、人間の幸せのために

政治を変えていかなければならないと思いました。

 

 

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原発なくせ三重県民会議が発足しました

2012年07月29日 | 日記

7月29日(日)

 今日、「原発なくせ三重県民会議」の総会が開かれ、正式に発足しました。

 今までは「原発反対三重県民会議」で三重県に原発をつくらせない運動

をしてきましたが、総会で従来の会を発展的に改称し原発をなくす運動に

発展させることを確認しました。

 昨年知事選挙をたたかった私は、選挙の支持母体に「原発反対三重県民

会議」が入っていたため、昨年の今頃(もっと早い時期?)、鈴木知事に会っ

たとき、福島原発事故をうけ「これからも三重県に原発はつくるべきではない」

と要望したところ、知事から「原発をつくらせなかった先人に感謝する」との

言葉を引き出しました。そのことがあったので、会の発展は嬉しいことです。

 今、原発ゼロの運動は、全国的に広がっていますし、政治を変えて一日も

早く原発ゼロを実現させなければなりません。

 ※会場には、原発反対の大漁旗がかかげられていました。これは、当時の

古和浦漁協理事であった小倉さん所有のもので、原発反対のシンボル的な

旗で、その後の旧海山町の反対運動にひきつがれました。

   

 総会では、会則と世話人の方々を選びました。個人加入も

認められたので、私は早速加入しました。(年会費1000円)

 その後、「こうして中電は原発を推進した」と題して三枝豊明さん

(中部電力人権裁判元争議団長):写真 と、「福島で今起こって

いること」と題して、早川篤雄さん(原発問題全国連絡センター、

原発問題福島県民連絡会代表委員:福島県楢葉町在住で現在

いわき市に避難中)がお話くださいました。

          詳細は後日伝えます。 

 

 なお、大漁旗との関連で記載します。

1966(昭和41)年に衆議院科学技術振興対策特別委員会(メンバーの一人が

後の中曽根康弘総理大臣)が芦浜に原発を立地させるために視察を行いました。

視察団は紀伊長島の名倉港から尾鷲海上保安部の巡視船「もがみ」で芦浜沖に

出る予定でしたが、古和浦の漁船を中心に300隻をこえる船団が行動を行い、

視察船の尾鷲海上保安部の巡視船「もがみ」を取り囲み、漁船から「もがみ」に

のりこむ人もいました。船上での漁民側代表と代議士らの話しあいの結果、調査

団は視察を断念しました。

 この事件(長島事件)で、25人が起訴されました。

 

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津ボートで行われた「第4回東日本大震災復興支援チャリティーイベント」に行きました。

2012年07月29日 | 日記

7月29日(日)

 写真家の浅田政志さんたちが、津ボートで「東日本大震災復興支援チャリティーイベント」

HEART BOAT MIE(ハートボートみえ)開いているということを聞きましたので、行っ

てきました。 浅田さんやマネージャーさんに直接お話しを伺いましたら、4回目だということ

でしたが、復興を支援しながら、三重県の店も元気になるイベントに感心しました。

 ・カブトムシ獲り、メダカすくい、アマゴ焼き体験 ・地元名産品や食品、グッズなどの販売
 ・クラフト雑貨やアロマなどのワークショップの体験 ・各種団体等によるバザー など

 たくさんの店が出て、大変盛況でした。みえ医療福祉生協も健康チェックをしていました。

  

 浅田さんのお父さんに写真をとらせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

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パラリンピックのCMがグッドと娘。

2012年07月28日 | 日記

7月28日(土)

 今朝、ロンドンオリンピックの開会式の模様が伝えられ、

競技も始まった。

 朝食の時、娘が8月29日からのパラリンピックのTVーCMが評判になっている

と言っていた。イギリス公共テレビ局”チャンネル4”制作。車椅子の娘は泣いたそうだ。

私もUチューブの動画を見たが、すばらしかった。

 

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