文学は何をおこなってきたか。文学作品を眺めることになるが、それは文学の歴史とともに現代文学の活動を見ても膨大なことである。その文学の表層を眺め渡して、やはり文学ということばに行き当たらざるを得ない。
文学が何を意味するのか。文学の分野でどのように何を表してきたのかを見ることになる。文学をふみまなびとする例がある。古くは、ぶんかく と言ったと辞書にあるが、これは表記上のことらしく、発音をどうしていたか、わからない。また文章学にあるとする。後世の文法学に宛てた訳のようだ。
この語を、文学するというふうにいいわけて、そこには文学の活動を説明するようである。文学するというのは、学問することとあって、これが原義だとする説明もある。そこには学芸というものもあって、これは言うところの文学作品のことのようだ。すると、文学という語に、何を行ってきたか、その意味するものは、学問と学芸、学術また芸術のことになる。
この場合の芸術は文芸であり、言語芸術である、詩歌、物語、連歌俳諧、小説、戯曲、随筆、評論などをさす。
ここに文学が学問を行ってきたことも知る。これは大学の学部のことで、その名称に由来すること、自然科学、政治学、法律学、経済学等以外の学問と説明があるが、伝統的に史学、社会学、哲学、心理学、宗教学などの諸分科を含めた称となるのは、その部があるからで、政治学、法律学、ひいては経済についても文学が覆うところがあったと思われる。
ここには人文科学という対比をおくようになるが、これも大学の学問の称である。さらには社会科学という言い方もある。大学は自然、人文、社会とそれぞれを科学とする分類が教科の分類で行われるので、そこで文学からさきの分野が変わるようなことである。取り方によっては、自然と社会の2分野で、人文をさらに社会に入れるようなこともある。
文学をする、文学そのものをもうすこし見分けなければならないことがあるようである。
日本大百科全書(ニッポニカ)
文学
ぶんがく
literature 英語
litterature フランス語 ( eに、´)
Literatur ドイツ語
文学についてのもっとも簡単な説明は、言語による芸術、「言語芸術」(ドイツの美学者たちの、いわゆるWortkunst)ということである。芸術とは、これももっとも簡単な定義では、形象的表現による作品、である。形象は、もともと形(けい)(かたち)と象(しよう)(すがた)を組み合わせてなったことばだが、個別的・具体的なすがたかたちのイメージとして表現されたものをいう。このような形象的表現を言語によって行うのが文学である。
[小田切秀雄]
文学ということばの意味
ただし、文学ということばは、中国および日本の古典ではかなり違った意味で用いられていて、たとえば大槻文彦(おおつきふみひこ)の『大言海』は文学の語義の(1)~(4)をそれらの説明にあてている。(1)『論語』等での、「書ヲ読ミテ講究スル学芸。」「即チ、経史、詩文等ノ学。」(2)自然科学や政治、経済、法律等の諸学以外の、「語学、修辞学、論理学、史学、等ノ一類ノ学」(現在、大学の文学部という場合の「文学」はこの意味)。(3)大宝令(たいほうりょう)で有品(うほん)親王の家に置き、「経ヲ講ゼシメシ職。」(4)「徳川時代、諸藩儒員ノ称。」(5)に至って初めて、「[英語、Literatureノ訳語]人ノ思想、感情ヲ、文章ニヨリテ表現シ、人ノ感情ニ訴フルヲ主トセル美的作品。即チ、詩歌、小説、戯曲、又、文学批評、歴史ナドノ類ナリ。」という説明が出てくる。
文学ということばが、この(5)のような意味で用いられるようになったのは、1887年(明治20)前後からである。これを逆にいえば、現在用いられるような意味での文学ということばはその時期まではなかったのであり、このことは、それまでの日本にはそういう概念そのもの(文学概念。和歌、俳諧(はいかい)、戯作(げさく)等の個別の概念でなく、それらをひっくるめての文学という概念)が存在しなかったことに対応している。これはヨーロッパでも長くliteratureが、「広義においては文書の形式に固定されたすべての言語的所産を包括」(竹内敏雄編『美学事典』の杉野正による「文学」の項の説明)し、やがて「狭義においてはこのうち特に美的品質をそなえたものに適用される」(同上)ようになっているのと、比較検討されるに値する。
この狭義のほうをsch〓ne Literatur, belles lettresつまり美文学として区別する場合があるのは、なお広義の用法がまったくなくなったわけではないことに関連している。また、この「美的品質をそなえた」ものが、大きくいって二つに分かれる。一つは、本来、文学以外の領域に属するもので美的な効果ないし具体的な人間の表現のおもしろさを備えたもの、すなわち哲学的ないし歴史的な著作、経典(聖書などの)、演説、講演、説教、また伝記、日記、書簡、紀行、ルポルタージュ、エッセイ、アフォリズム等々をいう。もう一つのほうが本来の文学作品で、創造的文学sch〓pferische Literatur, creative literatureといわれている。叙情詩、叙事詩、小説、戯曲、文芸評論等のことである。
[小田切秀雄]
文学の表現
文学は「言語による」形象的表現で、「文字による」形象的表現に限られていない。表現の手段として文字が用いられるようになったのはずっと下った時代、ようやく文字が広く使われ始めてからのことである。
文学の起源は、人類があるときから言語を表現的に(形象的に。たとえば、神に祈るときに、その神の心を動かすように具体的に表現する)使うようになった遠い原始の時代にさかのぼる。以来、文学は実に長い期間にわたって口誦(こうしょう)・口承の文学であり、文字による文学表現が行われるようになったのは、たかだかシュメールの『ギルガメシュ物語』以来の5000年ほどにすぎない。日本では千二百数十年前の『古事記』以来である。
ところで、文字による文学表現は、近代の印刷術の普及によって画期的な発展・大衆化をつくりだし、いまでは文学というと印刷された形のものが普通になっている。最近ではまた、ラジオ、テレビの普及に伴って朗読詩や放送劇やテレビ小説やドキュメンタリーなど――もはや直接には文字に頼らずに、音声と映像とで語りかけてくる新たな言語芸術が成立してきており、電子工学の技術的な発展はさらに新たな表現手段の可能性を開くかもしれない。しかし現在のところでは、印刷による文字の文学が支配的な形になっている。
[小田切秀雄]
文学の内容
文学は、人間と状況との関係を人間の側から描くが、つねに個別的・具体的な人間の側から、個別的・具体的な状況との緊張した関係においてとらえまたは描き、固執されたその個別の形象を通して人間性の深い普遍的な真実と状況の本質を表現する。つねに固定に向かい安定しようとする社会の枠組み、種々の秩序、総じて状況に対して、あるときからそれを息苦しく感じる、耐えがたくつらく思う、という形で矛盾として鋭敏に受け止めて苦しみまたは抵抗する生身の人間個人が、文学的表現を促し、または活気づける。文学が個別の形象に執しながら、それを通して普遍をとらえ、表現のために固執される個人の具体性において普遍的な人間性の開示を実現しようとする、ということは、それぞれに違った個性と状況とをもった人間が、ともにこの世界で生きていくという生活条件そのものに発した根源的な要求にかかわり、他人のこととその状況を立ち入って知るという人間認識上の有用性と喜びとともに、状況との葛藤(かっとう)において現れる人間性の深い真実に触れて心が洗われ高められる(アリストテレスのいわゆるカタルシス=浄化)ということがある。
文学は、歴史的・社会的存在である人間が、歴史や現代においての人間を素材にして、何事かを表現しようとしたものだという意味では、まさに特定の時代・階級のイデオロギーの一つであるが、それと同時に、言語の場合といくらか相似て、歴史や階級を超えて生命を保ち続けるということがある。状況はそれぞれに違ってもつねに生身の個人の側から描くということを通して、人間性の普遍のつねに新たな局面が表現されるためで、優れた文学の永遠性はこのようにして可能になる。
[小田切秀雄]
ぶん‐がく 【文学】
《6が原義》
1 思想や感情を、言語で表現した芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。「日記―」「外国―」
2 詩歌・小説・戯曲など文学作品を研究する学問。
3 自然科学・社会科学以外の学問。文芸学・哲学・史学・言語学など。「―部」
4 律令制で、有品の親王に経書を講授した官吏の職名。
5 江戸時代の諸藩の儒官。
6 学芸。学問。
日本国語大辞典
ぶん‐がく 【文学】
〔名〕
(1)(古くは「ぶんかく」とも)(─する)学芸。学問。また、学問をすること。
*懐風藻〔751〕序「旋招文学之士、時開置醴之遊」
*神皇正統記〔1339~43〕下・後宇多「文学の方も後三条の後にはかほどの御才きこえさせ給はざりしにや」
*集義和書〔1676頃〕一「生付仁厚なる人は、文学せざれ共、孝行忠節なるものなり」
*談義本・艷道通鑑〔1715〕一・八「一生文学(ブンカク)して志を遂ず」
*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉二・二「エリザベスは文学に心を用ひ諸都府に大学校を設けて一国の文化次第に隆盛に赴けり」
*論語‐先進「文学、子游子夏」
(2)「ぶんしょうがく(文章学)」に同じ。
*百学連環〔1870~71頃〕〈西周〉一「此文学なるものは如何なることより始り、如何なることに止るといふを論ぜんには、即ちGrammar なるものあり」
(3)(─する)芸術体系の一様式で、言語を媒材にしたもの。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。また、それを作り出すこと。文芸。
*後世への最大遺物〔1897〕〈内村鑑三〉二「文学といふものは我々の心に常に抱いて居るところの思想を後世に伝へる道具に相違ない」
*わかれ〔1898〕〈国木田独歩〉「渠は文学と画とを併せ学び」
*一年有半〔1901〕〈中江兆民〉二「今や我邦の文学は、殆ど戦国の時英雄割拠の有様に似たる有り」
*近代自我の日本的形成〔1943〕〈矢崎弾〉自我の発展における日本的性格「文学は、かれらによって人生のためのものであり、文学することは人間修業に通じてゐたのである」
*魏志‐王粲伝「始文帝為五官将、及平原侯植、皆好文学」
(4)詩歌・戯曲・小説など文学作品を研究する学問。
(5)自然科学・政治学・法律学・経済学等以外の学問、すなわち、(3)や史学・社会学・哲学・心理学・宗教学などの諸分科を含めた称。
*風俗画報‐二四四号〔1902〕慶応義塾「新に大学部を置き、先づ文学、法律、理財の三科を教授し、以て学科の程度を高め」
(6)令制で、内親王を除く有品親王に一人ずつ付けられ、経書を講授した官人の職名。主人の親王の品位により、相当位は従七位上より正八位下までの差がある。
*令義解〔718〕家令職員・一品条「文学一人。〈掌執経講授〉」
*性霊集‐四〔835頃〕為藤大夫啓「故中務卿親王之文学、正六位上浄村宿禰浄豊者〈略〉晉卿之第九男也」
(7)江戸時代、諸藩の儒者。
*日本詩史〔1771〕凡例「加之文学之職、賓客之盛」
*邀翠館集‐序「国初已来、藩国必置文学、其職講経、任授簡著作事」
*北条霞亭〔1917~20〕〈森鴎外〉三「霞亭が福山藩の文学(ブンガク)となって江戸に客死した時」
文学が何を意味するのか。文学の分野でどのように何を表してきたのかを見ることになる。文学をふみまなびとする例がある。古くは、ぶんかく と言ったと辞書にあるが、これは表記上のことらしく、発音をどうしていたか、わからない。また文章学にあるとする。後世の文法学に宛てた訳のようだ。
この語を、文学するというふうにいいわけて、そこには文学の活動を説明するようである。文学するというのは、学問することとあって、これが原義だとする説明もある。そこには学芸というものもあって、これは言うところの文学作品のことのようだ。すると、文学という語に、何を行ってきたか、その意味するものは、学問と学芸、学術また芸術のことになる。
この場合の芸術は文芸であり、言語芸術である、詩歌、物語、連歌俳諧、小説、戯曲、随筆、評論などをさす。
ここに文学が学問を行ってきたことも知る。これは大学の学部のことで、その名称に由来すること、自然科学、政治学、法律学、経済学等以外の学問と説明があるが、伝統的に史学、社会学、哲学、心理学、宗教学などの諸分科を含めた称となるのは、その部があるからで、政治学、法律学、ひいては経済についても文学が覆うところがあったと思われる。
ここには人文科学という対比をおくようになるが、これも大学の学問の称である。さらには社会科学という言い方もある。大学は自然、人文、社会とそれぞれを科学とする分類が教科の分類で行われるので、そこで文学からさきの分野が変わるようなことである。取り方によっては、自然と社会の2分野で、人文をさらに社会に入れるようなこともある。
文学をする、文学そのものをもうすこし見分けなければならないことがあるようである。
日本大百科全書(ニッポニカ)
文学
ぶんがく
literature 英語
litterature フランス語 ( eに、´)
Literatur ドイツ語
文学についてのもっとも簡単な説明は、言語による芸術、「言語芸術」(ドイツの美学者たちの、いわゆるWortkunst)ということである。芸術とは、これももっとも簡単な定義では、形象的表現による作品、である。形象は、もともと形(けい)(かたち)と象(しよう)(すがた)を組み合わせてなったことばだが、個別的・具体的なすがたかたちのイメージとして表現されたものをいう。このような形象的表現を言語によって行うのが文学である。
[小田切秀雄]
文学ということばの意味
ただし、文学ということばは、中国および日本の古典ではかなり違った意味で用いられていて、たとえば大槻文彦(おおつきふみひこ)の『大言海』は文学の語義の(1)~(4)をそれらの説明にあてている。(1)『論語』等での、「書ヲ読ミテ講究スル学芸。」「即チ、経史、詩文等ノ学。」(2)自然科学や政治、経済、法律等の諸学以外の、「語学、修辞学、論理学、史学、等ノ一類ノ学」(現在、大学の文学部という場合の「文学」はこの意味)。(3)大宝令(たいほうりょう)で有品(うほん)親王の家に置き、「経ヲ講ゼシメシ職。」(4)「徳川時代、諸藩儒員ノ称。」(5)に至って初めて、「[英語、Literatureノ訳語]人ノ思想、感情ヲ、文章ニヨリテ表現シ、人ノ感情ニ訴フルヲ主トセル美的作品。即チ、詩歌、小説、戯曲、又、文学批評、歴史ナドノ類ナリ。」という説明が出てくる。
文学ということばが、この(5)のような意味で用いられるようになったのは、1887年(明治20)前後からである。これを逆にいえば、現在用いられるような意味での文学ということばはその時期まではなかったのであり、このことは、それまでの日本にはそういう概念そのもの(文学概念。和歌、俳諧(はいかい)、戯作(げさく)等の個別の概念でなく、それらをひっくるめての文学という概念)が存在しなかったことに対応している。これはヨーロッパでも長くliteratureが、「広義においては文書の形式に固定されたすべての言語的所産を包括」(竹内敏雄編『美学事典』の杉野正による「文学」の項の説明)し、やがて「狭義においてはこのうち特に美的品質をそなえたものに適用される」(同上)ようになっているのと、比較検討されるに値する。
この狭義のほうをsch〓ne Literatur, belles lettresつまり美文学として区別する場合があるのは、なお広義の用法がまったくなくなったわけではないことに関連している。また、この「美的品質をそなえた」ものが、大きくいって二つに分かれる。一つは、本来、文学以外の領域に属するもので美的な効果ないし具体的な人間の表現のおもしろさを備えたもの、すなわち哲学的ないし歴史的な著作、経典(聖書などの)、演説、講演、説教、また伝記、日記、書簡、紀行、ルポルタージュ、エッセイ、アフォリズム等々をいう。もう一つのほうが本来の文学作品で、創造的文学sch〓pferische Literatur, creative literatureといわれている。叙情詩、叙事詩、小説、戯曲、文芸評論等のことである。
[小田切秀雄]
文学の表現
文学は「言語による」形象的表現で、「文字による」形象的表現に限られていない。表現の手段として文字が用いられるようになったのはずっと下った時代、ようやく文字が広く使われ始めてからのことである。
文学の起源は、人類があるときから言語を表現的に(形象的に。たとえば、神に祈るときに、その神の心を動かすように具体的に表現する)使うようになった遠い原始の時代にさかのぼる。以来、文学は実に長い期間にわたって口誦(こうしょう)・口承の文学であり、文字による文学表現が行われるようになったのは、たかだかシュメールの『ギルガメシュ物語』以来の5000年ほどにすぎない。日本では千二百数十年前の『古事記』以来である。
ところで、文字による文学表現は、近代の印刷術の普及によって画期的な発展・大衆化をつくりだし、いまでは文学というと印刷された形のものが普通になっている。最近ではまた、ラジオ、テレビの普及に伴って朗読詩や放送劇やテレビ小説やドキュメンタリーなど――もはや直接には文字に頼らずに、音声と映像とで語りかけてくる新たな言語芸術が成立してきており、電子工学の技術的な発展はさらに新たな表現手段の可能性を開くかもしれない。しかし現在のところでは、印刷による文字の文学が支配的な形になっている。
[小田切秀雄]
文学の内容
文学は、人間と状況との関係を人間の側から描くが、つねに個別的・具体的な人間の側から、個別的・具体的な状況との緊張した関係においてとらえまたは描き、固執されたその個別の形象を通して人間性の深い普遍的な真実と状況の本質を表現する。つねに固定に向かい安定しようとする社会の枠組み、種々の秩序、総じて状況に対して、あるときからそれを息苦しく感じる、耐えがたくつらく思う、という形で矛盾として鋭敏に受け止めて苦しみまたは抵抗する生身の人間個人が、文学的表現を促し、または活気づける。文学が個別の形象に執しながら、それを通して普遍をとらえ、表現のために固執される個人の具体性において普遍的な人間性の開示を実現しようとする、ということは、それぞれに違った個性と状況とをもった人間が、ともにこの世界で生きていくという生活条件そのものに発した根源的な要求にかかわり、他人のこととその状況を立ち入って知るという人間認識上の有用性と喜びとともに、状況との葛藤(かっとう)において現れる人間性の深い真実に触れて心が洗われ高められる(アリストテレスのいわゆるカタルシス=浄化)ということがある。
文学は、歴史的・社会的存在である人間が、歴史や現代においての人間を素材にして、何事かを表現しようとしたものだという意味では、まさに特定の時代・階級のイデオロギーの一つであるが、それと同時に、言語の場合といくらか相似て、歴史や階級を超えて生命を保ち続けるということがある。状況はそれぞれに違ってもつねに生身の個人の側から描くということを通して、人間性の普遍のつねに新たな局面が表現されるためで、優れた文学の永遠性はこのようにして可能になる。
[小田切秀雄]
ぶん‐がく 【文学】
《6が原義》
1 思想や感情を、言語で表現した芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。「日記―」「外国―」
2 詩歌・小説・戯曲など文学作品を研究する学問。
3 自然科学・社会科学以外の学問。文芸学・哲学・史学・言語学など。「―部」
4 律令制で、有品の親王に経書を講授した官吏の職名。
5 江戸時代の諸藩の儒官。
6 学芸。学問。
日本国語大辞典
ぶん‐がく 【文学】
〔名〕
(1)(古くは「ぶんかく」とも)(─する)学芸。学問。また、学問をすること。
*懐風藻〔751〕序「旋招文学之士、時開置醴之遊」
*神皇正統記〔1339~43〕下・後宇多「文学の方も後三条の後にはかほどの御才きこえさせ給はざりしにや」
*集義和書〔1676頃〕一「生付仁厚なる人は、文学せざれ共、孝行忠節なるものなり」
*談義本・艷道通鑑〔1715〕一・八「一生文学(ブンカク)して志を遂ず」
*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉二・二「エリザベスは文学に心を用ひ諸都府に大学校を設けて一国の文化次第に隆盛に赴けり」
*論語‐先進「文学、子游子夏」
(2)「ぶんしょうがく(文章学)」に同じ。
*百学連環〔1870~71頃〕〈西周〉一「此文学なるものは如何なることより始り、如何なることに止るといふを論ぜんには、即ちGrammar なるものあり」
(3)(─する)芸術体系の一様式で、言語を媒材にしたもの。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。また、それを作り出すこと。文芸。
*後世への最大遺物〔1897〕〈内村鑑三〉二「文学といふものは我々の心に常に抱いて居るところの思想を後世に伝へる道具に相違ない」
*わかれ〔1898〕〈国木田独歩〉「渠は文学と画とを併せ学び」
*一年有半〔1901〕〈中江兆民〉二「今や我邦の文学は、殆ど戦国の時英雄割拠の有様に似たる有り」
*近代自我の日本的形成〔1943〕〈矢崎弾〉自我の発展における日本的性格「文学は、かれらによって人生のためのものであり、文学することは人間修業に通じてゐたのである」
*魏志‐王粲伝「始文帝為五官将、及平原侯植、皆好文学」
(4)詩歌・戯曲・小説など文学作品を研究する学問。
(5)自然科学・政治学・法律学・経済学等以外の学問、すなわち、(3)や史学・社会学・哲学・心理学・宗教学などの諸分科を含めた称。
*風俗画報‐二四四号〔1902〕慶応義塾「新に大学部を置き、先づ文学、法律、理財の三科を教授し、以て学科の程度を高め」
(6)令制で、内親王を除く有品親王に一人ずつ付けられ、経書を講授した官人の職名。主人の親王の品位により、相当位は従七位上より正八位下までの差がある。
*令義解〔718〕家令職員・一品条「文学一人。〈掌執経講授〉」
*性霊集‐四〔835頃〕為藤大夫啓「故中務卿親王之文学、正六位上浄村宿禰浄豊者〈略〉晉卿之第九男也」
(7)江戸時代、諸藩の儒者。
*日本詩史〔1771〕凡例「加之文学之職、賓客之盛」
*邀翠館集‐序「国初已来、藩国必置文学、其職講経、任授簡著作事」
*北条霞亭〔1917~20〕〈森鴎外〉三「霞亭が福山藩の文学(ブンガク)となって江戸に客死した時」