五十四冊あっって巻の名前を数えて五十四で一致している、となるが、実はそうならない。
巻の名を眺めたら気づくのだが、多く活字化されて見られることのできるものは、上・下に分けた一つの名前が二冊で立てられていることがわかる。
それで五十四冊となるが、よくみると、たいてい巻の名には雲隠れがない。
つまり冊数は五十四に分けられているが、巻の名前は若菜上下を一冊とすると、五十三であり、巻名を数えると五十三しかない、読んでいくと巻名だけがあったと解説される。
巻に名前は五十四、帖数は五十四、しかし読んでいくと、雲隠れの一帖がない。
五十余帖と呼ぶゆえんである、と、がてんするが、ことがらはそう単純ではない。
これは源氏物語は最初に何冊で、つぎに何冊になって、しまいには何冊だったのか、となる。
光る君には輝く日の宮物語があった、といわれ、さらにはまだほかに十冊もあった、とかいわれて、これはさすがに偽作だとされている。
そしてもう少し壮大な巻数にするみかたもある。
その中でも輝く日の宮物語は謎である。
テクスト論がこの謎を明らかにすることができる。
源氏の物語を読むと物語の時間が前後するのに気づく。
物語の巻が次から次へと縦に並ぶところが、横並びになるにのである。
巻の名を眺めたら気づくのだが、多く活字化されて見られることのできるものは、上・下に分けた一つの名前が二冊で立てられていることがわかる。
それで五十四冊となるが、よくみると、たいてい巻の名には雲隠れがない。
つまり冊数は五十四に分けられているが、巻の名前は若菜上下を一冊とすると、五十三であり、巻名を数えると五十三しかない、読んでいくと巻名だけがあったと解説される。
巻に名前は五十四、帖数は五十四、しかし読んでいくと、雲隠れの一帖がない。
五十余帖と呼ぶゆえんである、と、がてんするが、ことがらはそう単純ではない。
これは源氏物語は最初に何冊で、つぎに何冊になって、しまいには何冊だったのか、となる。
光る君には輝く日の宮物語があった、といわれ、さらにはまだほかに十冊もあった、とかいわれて、これはさすがに偽作だとされている。
そしてもう少し壮大な巻数にするみかたもある。
その中でも輝く日の宮物語は謎である。
テクスト論がこの謎を明らかにすることができる。
源氏の物語を読むと物語の時間が前後するのに気づく。
物語の巻が次から次へと縦に並ぶところが、横並びになるにのである。