戦争放棄は国家の政策の手段である、
人民がこれを宣言する、パリ不戦条約でうたわれている。
国民の宣言として不戦を誓うことは例を見ることができる。
不戦条約はその主唱者であったフランス外相ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの名をとって、ブリアン・ケロッグ条約と言われる。
70数年前のフランス外相ブリアン、1920年代は国際協調の進んだ時代で、国際政治において平和外交と国際協調の中心的役割を果たした。
ブリアン時代は1925年ロカルノ条約、1926年ドイツの国際連盟加盟、1928年不戦条約、ブリアン・ケロッグ条約の成立、対ドイツ協調を軸とした平和外交をおこなった。
ドイツとフランスはプロイセン・フランス戦争(1870-71)、第1次世界大戦(1914-18)と戦争で敵同士として戦い、ブリアン外交は独仏協調を実現する。
http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms/d3renunciation.html による。
戦争ノ抛棄ニ関スル条約(不戦条約) ●
http://www.geocities.jp/kk_nanking/sougou/ko_hou/husen.html
署 名:1928年 8月27日(パリ)
効力発生:1929年 7月24日
日 本:1929年 7月24日
1929年 6月27日批准、 7月24日批准書寄託、 7月25日公布、条約1号
当事国数:59か国(含:中華民国〔台湾〕)
独逸国大統領、亜米利加合衆国大統領、白耳義国皇帝陛下、仏蘭西共和国大統領、「グレート、ブリテン」、「アイルランド」及「グレート、ブリテン」海外領土皇帝印度皇帝陛下、伊太利国皇帝陛下、日本国皇帝陛下、波蘭共和国大統領、「チェッコスロヴァキア」共和国大統領ハ、人類ノ福祉ヲ増進スヘキ其ノ厳粛ナル責務ヲ深ク感銘シ、其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ関係ヲ永久ナラシメンカ為、国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ卒直ニ抛棄スヘキ時機ノ到来セルコトヲ確信シ、其ノ相互関係ニ於ケル一切ノ変更ハ、平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムヘク、又平和的ニシテ秩序アル手続ノ結果 タルヘキコト、及今後戦争ニ訴ヘテ国家ノ利益ヲ増進セントスル署名国ハ、本条約ノ供与スル利益ヲ拒否セラルヘキモノナルコトヲ確信シ、其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ国カ此ノ人道的努力ニ参加シ且本条約ノ実施後速ニ之ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本条約ノ規定スル恩沢ニ浴セシメ、以テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ノ共同抛棄ニ世界ノ文明諸国ヲ結合センコトヲ希望シ、茲ニ条約ヲ締結スルコトニ決シ、之カ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ。
(全権委員名略)
因テ各全権委員ハ、互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ、之カ良好妥当ナルヲ認メタル後、左ノ諸条ヲ協定セリ。
【第1条】(戦争放棄)
締約国ハ、国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。
日本国政府宣言書 (昭和4年6月27日)
帝国政府ハ、1928年8月27日巴里ニ於テ署名セラレタル戦争抛棄ニ関スル条約第1条中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ、帝国憲法ノ条章ヨリ観テ、日本国ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス。
戦争
武力の行使を伴った国家間の争い。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(日本国憲法第9条)
日本国憲法の条文の一つで、憲法前文とともに平和主義を規定
憲法 第2章 戦争の放棄
憲法第9条第1項 戦争の放棄
憲法第9条第2項 戦力の不保持
憲法第9条第2項 交戦権の否認
「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、宣戦布告又は最後通牒という形で明示的に、あるいは武力行使による国交断絶という形で黙示的に戦争の意思表示が表明されることを要件とし、戦時国際法規が適用される国の主権の発動として行われる武力(兵力)による国家間の闘争(形式的意味の戦争)をいう
「武力の行使」とは、宣戦布告等の手続がとられず「戦争」の意思表示を示さないで行われる戦時国際法の適用を受けない武力(兵力)による国家間の闘争(実質的意味の戦争)をいう
1928年 昭和3年に締結された、戦争放棄二関スル条約、パリ不戦条約の第1条と第9条第1項は文言が類似している。
不戦条約
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
― 戰爭抛棄ニ關スル條約 ‐
ポツダム宣言
第七條 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
第九條 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
第十一條 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ
― ポツダム宣言
自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらない組織とされている]。
人民がこれを宣言する、パリ不戦条約でうたわれている。
国民の宣言として不戦を誓うことは例を見ることができる。
不戦条約はその主唱者であったフランス外相ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの名をとって、ブリアン・ケロッグ条約と言われる。
70数年前のフランス外相ブリアン、1920年代は国際協調の進んだ時代で、国際政治において平和外交と国際協調の中心的役割を果たした。
ブリアン時代は1925年ロカルノ条約、1926年ドイツの国際連盟加盟、1928年不戦条約、ブリアン・ケロッグ条約の成立、対ドイツ協調を軸とした平和外交をおこなった。
ドイツとフランスはプロイセン・フランス戦争(1870-71)、第1次世界大戦(1914-18)と戦争で敵同士として戦い、ブリアン外交は独仏協調を実現する。
http://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms/d3renunciation.html による。
戦争ノ抛棄ニ関スル条約(不戦条約) ●
http://www.geocities.jp/kk_nanking/sougou/ko_hou/husen.html
署 名:1928年 8月27日(パリ)
効力発生:1929年 7月24日
日 本:1929年 7月24日
1929年 6月27日批准、 7月24日批准書寄託、 7月25日公布、条約1号
当事国数:59か国(含:中華民国〔台湾〕)
独逸国大統領、亜米利加合衆国大統領、白耳義国皇帝陛下、仏蘭西共和国大統領、「グレート、ブリテン」、「アイルランド」及「グレート、ブリテン」海外領土皇帝印度皇帝陛下、伊太利国皇帝陛下、日本国皇帝陛下、波蘭共和国大統領、「チェッコスロヴァキア」共和国大統領ハ、人類ノ福祉ヲ増進スヘキ其ノ厳粛ナル責務ヲ深ク感銘シ、其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ関係ヲ永久ナラシメンカ為、国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ卒直ニ抛棄スヘキ時機ノ到来セルコトヲ確信シ、其ノ相互関係ニ於ケル一切ノ変更ハ、平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムヘク、又平和的ニシテ秩序アル手続ノ結果 タルヘキコト、及今後戦争ニ訴ヘテ国家ノ利益ヲ増進セントスル署名国ハ、本条約ノ供与スル利益ヲ拒否セラルヘキモノナルコトヲ確信シ、其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ国カ此ノ人道的努力ニ参加シ且本条約ノ実施後速ニ之ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本条約ノ規定スル恩沢ニ浴セシメ、以テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ノ共同抛棄ニ世界ノ文明諸国ヲ結合センコトヲ希望シ、茲ニ条約ヲ締結スルコトニ決シ、之カ為左ノ如ク其ノ全権委員ヲ任命セリ。
(全権委員名略)
因テ各全権委員ハ、互ニ其ノ全権委任状ヲ示シ、之カ良好妥当ナルヲ認メタル後、左ノ諸条ヲ協定セリ。
【第1条】(戦争放棄)
締約国ハ、国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。
日本国政府宣言書 (昭和4年6月27日)
帝国政府ハ、1928年8月27日巴里ニ於テ署名セラレタル戦争抛棄ニ関スル条約第1条中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ、帝国憲法ノ条章ヨリ観テ、日本国ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス。
戦争
武力の行使を伴った国家間の争い。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(日本国憲法第9条)
日本国憲法の条文の一つで、憲法前文とともに平和主義を規定
憲法 第2章 戦争の放棄
憲法第9条第1項 戦争の放棄
憲法第9条第2項 戦力の不保持
憲法第9条第2項 交戦権の否認
「国権の発動たる戦争」とは、国際法上、宣戦布告又は最後通牒という形で明示的に、あるいは武力行使による国交断絶という形で黙示的に戦争の意思表示が表明されることを要件とし、戦時国際法規が適用される国の主権の発動として行われる武力(兵力)による国家間の闘争(形式的意味の戦争)をいう
「武力の行使」とは、宣戦布告等の手続がとられず「戦争」の意思表示を示さないで行われる戦時国際法の適用を受けない武力(兵力)による国家間の闘争(実質的意味の戦争)をいう
1928年 昭和3年に締結された、戦争放棄二関スル条約、パリ不戦条約の第1条と第9条第1項は文言が類似している。
不戦条約
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
― 戰爭抛棄ニ關スル條約 ‐
ポツダム宣言
第七條 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ
第九條 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
第十一條 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ
― ポツダム宣言
自衛隊は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらない組織とされている]。