国語文法は日本語文法であった、あったというのは、国語文法が学校文法であり教育用の文法であった、という時代が去りつつあるからである。まだこの議論は早いかもしれないが、早すぎるということはない、国語文法が規範文法として述べられることなく批判に、それも、今となっては正しい批判とは言えない。混乱を招いただけの文法理論に拠って、批判が新しい文法論を構築しているわけでもないからである。その状況を捉えてみるべきは見る、考えるべきは考えるとして、物言いをしていかなければならない。
文法論の学説に立場をもつこと。
主語廃止論に弊害のあること、デメリットを議論すること。
文の規定に主語必須論の定義を改めること。
文の構造に句の構文をあきらかにすること。
単位語を文法議論のもとにはじめること。