現代日本語文法文章論 題材は、タイトルが、弔いの心 ムカサリ絵馬 とあり、副題に、亡き未婚者の架空婚礼描く、山形県村山地方の風習 とある。日本経済新聞の文化面、20140930付けである。執筆者は 小田島建己氏である。なお、有料会員サイトであり、著作の全文をこのように言語分析に資料としているので、そのことをお断りするとともに、ここにお礼を申したい。
冒頭の文は、次である。
> ここに載せた絵を見てほしい。
末尾の文は、つぎである。
>ムカサリ絵馬はそんなことを私たちに教えてくれるような気がしている。
書き出しの文段は、次のようである
> ここに載せた絵を見てほしい。新郎新婦が杯を酌み交わす三三九度の様子が描かれている。いずれかの両親とおぼしき男女が奥に、手前には仲人と、華やかな着物をきてお酌をしている少女がいる。昔の婚礼を描いた絵だが、これは死者を弔うための絵馬で、山形県上山市の久昌寺に奉納されたものだ。
末尾の文段は、次のようである。
>東北には3年半前の大震災で家族を亡くした人がたくさんいる。死について考えるとき、残された家族や近親者の心の問題を忘れてはならない。そのときに、「死者は今も私たちのかたわらに存在している」という思いを持つことにひとつの救いがあるのではないか。ムカサリ絵馬はそんなことを私たちに教えてくれるような気がしている。
段落は、見出しのもと、次のようである。
> お寺を訪ねて研究
山形県村山地方には、未婚で亡くなった人の架空の婚礼を絵馬に描くという風習が今も残っている。「ムカサリ絵馬」という。ムカサリとは「向こうに去る」「迎え去る」から転じ、結婚や花嫁を意味するこの地方の方言だ。私は村山民俗学会の会員として、この風習の研究に取り組んできた。謎の多いテーマだが、お寺を訪ね、絵馬を実際に見ているうちに、死者との向き合い方について考えるところもあった。
>戦死者供養でも奉納
この地方には最上三十三観音という霊場がある。巡礼を描いた絵馬なども多く残っており、願いや祈りを絵馬に託す習慣が根づいていた。そこから、独身のまま早世した者の冥福を祈って、婚礼図を絵馬にするならわしが生まれたのではないかと推測している。
>家族の悲嘆いやす?
ムカサリ絵馬は死者の弔いではあるが、本当は家族の悲嘆を和らげるためのものではないだろうかと私は考える。死者と生者が同じ画面に描かれることで、死者とともに生きるという感覚が生まれる。その死生観は仏教のものではない。人々が自分たちの意志で培ってきた、悲しみをいやす知恵なのである。
2014/9/30付
日本経済新聞
ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山の向こう……。1989年5月27日。中国の民主化を訴えていた学生らを応援するため、香港で開かれたチャリティー・コンサートでのことだ。
周知の通り、このときの民主化運動を共産党政権は武力で制圧した。香港のコンサートから間もない6月4日に起きた、いわゆる天安門事件だ。衝撃を受けたテレサ・テンさんはアジアを離れ、パリで暮らすようになった。42歳の若さで亡くなったのは、6年後。そして今、香港は民主化をめぐって再び大きく揺れている。
今回は香港の政治が焦点だ。香港のトップを決める選挙が3年後に予定されているのだが、民主派の候補を事前に排除する名ばかりの「普通選挙」を共産党政権が打ち出したことに、学生たちが反発している。デモ隊と警官隊の衝突も起きた。この四半世紀、中国の経済は目覚ましく発展したが、政治の歩みは何とも鈍い。
ひるがえって日本はどうか。25年前にピークを迎えたバブルが崩壊したあと経済は停滞してきた印象が強いけれど、政治の面では政権交代が何度かあった。序幕となったのが、89年7月の参院選だろう。土井たか子委員長ひきいる社会党が、自民党を第2党に後退させた。土井さんが逝って、改めて民主主義をかみしめる。
冒頭の文は、次である。
> ここに載せた絵を見てほしい。
末尾の文は、つぎである。
>ムカサリ絵馬はそんなことを私たちに教えてくれるような気がしている。
書き出しの文段は、次のようである
> ここに載せた絵を見てほしい。新郎新婦が杯を酌み交わす三三九度の様子が描かれている。いずれかの両親とおぼしき男女が奥に、手前には仲人と、華やかな着物をきてお酌をしている少女がいる。昔の婚礼を描いた絵だが、これは死者を弔うための絵馬で、山形県上山市の久昌寺に奉納されたものだ。
末尾の文段は、次のようである。
>東北には3年半前の大震災で家族を亡くした人がたくさんいる。死について考えるとき、残された家族や近親者の心の問題を忘れてはならない。そのときに、「死者は今も私たちのかたわらに存在している」という思いを持つことにひとつの救いがあるのではないか。ムカサリ絵馬はそんなことを私たちに教えてくれるような気がしている。
段落は、見出しのもと、次のようである。
> お寺を訪ねて研究
山形県村山地方には、未婚で亡くなった人の架空の婚礼を絵馬に描くという風習が今も残っている。「ムカサリ絵馬」という。ムカサリとは「向こうに去る」「迎え去る」から転じ、結婚や花嫁を意味するこの地方の方言だ。私は村山民俗学会の会員として、この風習の研究に取り組んできた。謎の多いテーマだが、お寺を訪ね、絵馬を実際に見ているうちに、死者との向き合い方について考えるところもあった。
>戦死者供養でも奉納
この地方には最上三十三観音という霊場がある。巡礼を描いた絵馬なども多く残っており、願いや祈りを絵馬に託す習慣が根づいていた。そこから、独身のまま早世した者の冥福を祈って、婚礼図を絵馬にするならわしが生まれたのではないかと推測している。
>家族の悲嘆いやす?
ムカサリ絵馬は死者の弔いではあるが、本当は家族の悲嘆を和らげるためのものではないだろうかと私は考える。死者と生者が同じ画面に描かれることで、死者とともに生きるという感覚が生まれる。その死生観は仏教のものではない。人々が自分たちの意志で培ってきた、悲しみをいやす知恵なのである。
2014/9/30付
日本経済新聞
ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山の向こう……。1989年5月27日。中国の民主化を訴えていた学生らを応援するため、香港で開かれたチャリティー・コンサートでのことだ。
周知の通り、このときの民主化運動を共産党政権は武力で制圧した。香港のコンサートから間もない6月4日に起きた、いわゆる天安門事件だ。衝撃を受けたテレサ・テンさんはアジアを離れ、パリで暮らすようになった。42歳の若さで亡くなったのは、6年後。そして今、香港は民主化をめぐって再び大きく揺れている。
今回は香港の政治が焦点だ。香港のトップを決める選挙が3年後に予定されているのだが、民主派の候補を事前に排除する名ばかりの「普通選挙」を共産党政権が打ち出したことに、学生たちが反発している。デモ隊と警官隊の衝突も起きた。この四半世紀、中国の経済は目覚ましく発展したが、政治の歩みは何とも鈍い。
ひるがえって日本はどうか。25年前にピークを迎えたバブルが崩壊したあと経済は停滞してきた印象が強いけれど、政治の面では政権交代が何度かあった。序幕となったのが、89年7月の参院選だろう。土井たか子委員長ひきいる社会党が、自民党を第2党に後退させた。土井さんが逝って、改めて民主主義をかみしめる。