読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

咸臨丸のこと

2011-04-30 09:23:03 | 歴史
咸臨丸はペリー来航三ヵ月後の1853年(嘉永6年)、江戸幕府がオランダに発注し、その4年後に長崎に到着した600t、蒸気機関つきの木造帆船でオランダ名をヤッパン号と言った。日米修好通商条約批准の正使一行がアメリカ船に乗って渡米するするとき、その護衛艦として随行した。咸臨丸は行きはブルック大尉とその部下が操船し、帰りは日本人のみの操船でサンフランシスコから品川まで帰った。帰国後、咸臨丸は小笠原諸島の測量などに使われたが、老朽化した後、しけで清水港に漂着したとき維新政府に没収された。後、北海道開拓使の船となったが1871年(明治4年)北海道渡島で座礁し全壊した。14年の命だった。