読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

ペリー提督

2008-04-15 10:54:11 | Weblog

黒船の司令長官で海軍提督のマシュー・C・ペリーは華麗なキャリアの持ち主である。1833年海軍工廠に配属されるとすぐにアメリカ海軍史上初の蒸気機関による軍艦を建造し、その艦長となった。間もなく提督に昇進、工廠長官、アフリカ艦隊司令長官、メキシコ湾艦隊司令長官とスピード出世を遂げ、「蒸気艦の父」と称された。それ以前はアメリカ海軍でも帆船しかなかった。日本にアメリカの補給基地を必要としていたアメリカ大統領フィルモアはペリーを東インド艦隊司令長官兼遣日特使に任命し外交官の権限も与えた。ペリーの艦隊は補給基地がないため大西洋を回って香港に入り、そこで補給し上海経由で琉球に上陸し、父島にも上陸し勝手に湾岸施設を建設した。そして江戸湾に入った。江戸幕府は鎖国の原則を貫き、浦賀奉行所の与力、中島三郎助に交渉させた。彼は後に桂小五郎に海軍術を教え、函館戦争で土方歳三と共に戦死した人物である。幕府はこの年にペリーが来る事を知っていたが浦賀奉行所には何も報せていなかった為、浦賀は大混乱に陥った。結局、一年後、再訪したペリーにより日米和親条約、日米修好条約、さらに他のヨーロッパ列強国とも不平等な通商条約を結び、後維新政府は不平等条約改正に苦しむ事になるのである。その不平等条約改正が成るのは1911年、明治と言う時代が終る一年前であった。