読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

永倉新八

2008-04-10 11:07:10 | Weblog

新撰組設立当初からのメンバーで最も長命だったのが永倉新八である。大正四年まで生きていた。徳川最期の将軍慶喜が同二年までであった。大正二年「小樽新聞」に「永倉新八」と言う新聞記者の本人からの聞き取り記事が連載された。これにより新撰組の実像が知られるようになった。松前藩士の家に生まれたが江戸育ちである。剣術好きが高じて脱藩し、近藤勇の試衛館に居候したと言う。彼は試衛館のメンバーでありながら立場はアウトサイダー的な位置にあったらしく新撰組に対しては比較的冷静な見方をしていた。元治元年(1864)あの「池田屋事件」が有った頃、永倉は他のメンバー斎藤一、原田左之助らと共に近藤勇の非行を弾劾する建白書を松平容保に出した事が有った。五箇条に亘って近藤の非行を挙げた果たし状に近いもので有ったらしい。この争いは結局、容保の仲介で和解したがその後もしこりは残ったらしく後、序列の低かった山武八郎が近藤に切腹させられた。理由は不明だが近藤の報復と井沢元彦氏は見ているそうである。甲陽鎮撫隊と名を変えた新撰組が甲州勝沼で官軍に負けた後、永倉は近藤と袂を分った。