GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「篤姫」(慶喜救出)

2008年11月17日 | Weblog
坂本龍馬の「大政奉還」の策は、
日本を内戦から守とうとするとんでもないビッグアイデアだった。

慶喜がこの案を受け入れながらも180万石という財力と
今までの将軍職をかさに、薩長の思い通りににはならんぞと威嚇した。
これでは今までと何も変わらないと見た西郷、大久保、木戸、
そして岩倉具視は、武力によって徳川家を倒すことを決心する。

これに小松帯刀が反対するが、
家臣である西郷・大久保の勢い(封建制崩壊という時代の流れ)を
制することができなかった。

「内戦は、人材を失うことなって国力を低下させ、
 迫ってくる英・仏・露・米に付け入る隙を与えるだけだ」

勝・龍馬のこの思いは、小松が引き継いではいたが、
西郷・大久保は、
「封建制打破という革命は、武力ですべてを破壊して初めて達成できる」
というスタンスを家老の小松が納得できるはずがないと分析していた。

小松は有力大名による議会制による政府を夢見ていたのだろうか、
革命のための倒幕など思いもよらぬことだった。
龍馬もまたこのスタンス違いで暗殺されたと言えよう。

さて、今回の「慶喜救出」では、慶喜が船で江戸に逃げ帰ってくるが、
勝に諫められ天璋院と会って将軍家の総領としての重責を慰められ、
朝敵になることを潔しとはしなかった慶喜を最後は暖かく迎えた。

憎々しい島津藩分家出身の天璋院を侮っていた自分を恥じ、
謹慎蟄居を素直に受け入れた。

いつもながらの天璋院も天璋院なら、将軍だった慶喜も慶喜だと思う。
鳥羽伏見の初戦敗退という不甲斐なさ、
部下を置き去りに、しかもお忍びで帰ってきた行いに対して
将軍家を守る名目とはいえ、謹慎蟄居を受け入れたことの賢明さに涙する思いだった。

<謹慎蟄居>は、決して妥協ではない。
妥協というスタンスでは、直参旗本連中がいづれ慶喜を担ぎ出し、
江戸の町を主戦場とした大戦が発生するだろう。

<生き恥をさらす>ことこそ、
武家の総領として封建制破壊を自ら認めたことを意味する。
武家社会では「恥は切腹」とう絶対的な不文律があった。

総領の恥を謹慎蟄居で終わらせることは、封建制の崩壊を意味し、
西郷らが唱える武家(武官)や帝によるものでない
「文民よる政治」を受け入れたことを意味する。
(しかし、維新後、貴族という階級が残ってしまったが…)


天璋院は、徳川家の行く末を勝海舟に委ねた。
この潔さも常人では真似しがたいものがある。

「お前の骨は拾ってやる、思い存分やってみろ!」

そんなことを云ってくれた上司が今まで何人いただろうか?
私の場合、30年の組織人人生ですが二人しかいない。
(今もその方々とは年賀状だけは交わしています。)

勝海舟は、身が引き締まる想いだったに違いありません。
いよいよ「篤姫」のクライマックス、
<江戸城無血開城>が近づいてきました。