GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「龍馬暗殺とその後の日本」

2008年11月07日 | Weblog
龍馬が暗殺された後、日本の流れはどうなったか。

 忍び寄る列強の国々から日本を守ろうとした龍馬が考えていた平和的政権交代(大政奉還)は、薩長武闘派による幕府討伐へと移行した。岩倉も西郷も大久保もそうでなければ真の政権交代はできないと考えていた(それ故、江戸城無血開城はまさに奇跡的なことでだと思う)。その後、明治政府は多くの政策を打ち出していく。明治4年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の徴兵令、そして明治9年(1876年)の廃刀令。ここに来て、ついに旧士族を中心とした若者たちの不満が爆発した(徴兵令で代々の武人であることを奪われ、帯刀と知行地という士族最後の特権をも奪われたことへの不満)。西南の役(戦争)という維新後、最大の内戦の経て日本は近代国家への道を突き進む。

では、近代国家とは? 言葉を変えると資本主義経済を導入した国家と云えないだろうか?

 264年続いた江戸幕府の封建制度は士農工商という身分制度の中でしか存在できなかった。龍馬が夢想した議会制民主主義国家は、封建制度の打破が必要だった。しかし、倒幕後の明治政府は藩閥政治であり、その後の殖産興業・富国強兵を旗印に進められた明治政府の舵取りは、資本主義経済の積極的導入だった。明治13年(1880年)に軍関係を除く官営事業は三井、三菱など民間に払下げられ(財閥の誕生)、明治15年(1882年)には大阪貿易会社が設立されて紡績業が確立し、日清戦争、日露戦争を経て日本の産業革命が進んでいった。

この急激な変化はどこかの国の変化と似てはいないか?

南北戦争後のアメリカの歴史だ。
南北戦争(1861年~1865年)は、アメリカ合衆国に起こった内戦である。奴隷制存続を主張するアメリカ南部(11州)が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部(23州)との間で戦争となった。

 イギリスの産業革命によって綿工場が機械化され、大量の綿花が必要となった。これに応えたのがアメリカ南部の貴族によるプランテーションであった。この大規模農園経営には奴隷の労働力が不可欠となった。これによって、アメリカの奴隷人口は1800年の89万人から、1860年には400万人に膨れ上がった。一方、北部ではイギリスから機械技術を輸入し、自国での生産を目指し、輸入品に関税をかけることや国内産業を保護育成することを国に求めたのである。ここに南部と北部の対立(経済戦争)が始まった。

北部=資本主義社会、保護貿易、中央集権、奴隷制反対、共和党
南部=奴隷制社会、自由貿易、各州自治、奴隷制維持、民主党

「(南北戦争は)北部と西部の資本家・労働者・農民が、南部のプランター貴族を権力の座から追放した社会的大改革であった」というアメリカの歴史・政治学者のスチュアート・オースチンの言葉がある。 戦争の結果、北部側の勝利となり、リンカーンは奴隷制廃止を実現させた。
しかし、リンカーンが当初目指していたのは、「白人と黒人を分離し、別々の場所で暮らす」ことであったという。南北戦争後も、戦前に黒人奴隷を合法としていた南部諸州では依然として黒人に対する蔑視が続き、19世紀末から20世紀初頭にはこれら南部諸州で人種分離政策が合法的に進められた。

 黒人をはじめとする有色人種がアメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的とした公民権運動。この運動に比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々に成立させたのがジョン・F・ケネディ大統領だ。1963年ケネディが凶弾に倒れた後、リンドン・ジョンソン大統領が1964年、公民権法を成立させる。この法律はベトナム戦争への有色人種の積極的な参加意識を後押ししなかっただろうか? 国家は肌の色を問わず兵隊を必要としていたに違いない。奴隷解放を目的した(?)南北戦争後、約100年してキング氏をはじめとする多くの尊い血を流しながらも公民権法が成立し、リンカーン(共和党初代大統領)の死から143年たった2008年11月4日(現地時間)、黒人の大統領が初めて誕生した。1776年からの<アメリカの約束>がようやく陽の目をみたのだ。

 アメリカの近代史は、南北戦争後から資本主義経済の発展と共に始まり、日本の近代史もまた西南戦争後の資本主義経済導入から始まっている。そう考えるとリンカーンの暗殺と龍馬の暗殺は同じような意味に思えてくる。リンカーンが理想とした共和党国家、龍馬が夢想した議会制民主主義国家とは違っていたかもしれないが、二人の出現と暗殺が新たな近代国家への扉を押し開けたことは確かなようだ。新たな近代国家とは経済力と武力優先の国家だ。アメリカと日本は、その後同じ国家戦略のもとにNO.1、NO.2を目指しながら市場経済主導の資本主義国家を確立する。

さて、今後、同じ道を辿ってきた2国の行く末は?

オバマは<アメリカの約束>を実現できるのか。
黒船の到来以来、否応なしにアメリカに導かれてきた日本。

 一度は勝海舟が唱えた『日本・朝鮮・支那三国合縦連衝の思想』を実行に移し、その構想は五族協和(大和・朝鮮・漢・満州・蒙古)政策となって太平洋戦争を招いた。しかし、アメリカの強硬な姿勢(米国にとって日本はアジア戦略の最優先軍事拠点)によって、昭和26年(1951年)9月7日、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の締結という結果を迎える。その条約の意味するものは、龍馬、海舟、そして昭和初期の構想が完全に消滅したということだ。しかし、その後、日本はアメリカも目を見張る驚異的な繁栄を手にしてきたが、失ってきたものは決して少なくはない。独立した民主国家である日本からアメリカは軍備を撤廃することはない。それは日本が中国・朝鮮、そしてロシアに向けた軍事拠点であるというスタンスに変わりないことを意味する。

坂本龍馬が目指した理想国家からどんなに離れてきたか、
私たちはもう一度心の中でかみ締めたい。
彼の死を無駄にしないためにも。