枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

暦の暮らし・・・

2020年04月25日 | Weblog
 落語家の、志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ という新書本を読んでいたら、暦での暮らしには、身体が四季に因って対応していることが書かれていた。そうなんですねぇ。新暦だと実に気忙しいもので、機械と秒刻みの生活に喘ぐばかりです。旧暦に還れば、殆どが一月遅れで、のんびりと暮らせますし身体もついていく。免疫や抗体も作れるのです。

 コロナが蔓延していることにも、無関係ではなさそう。お金さえあれば贅沢な物が手に入り、世界中の何処でも行けます。テレビも様変わりして、電話も変化が著しい。それはそれでいい事なのでしょうが、そういったことについていけない者もいます。視えないものが見えたり、第六感が働いたりする。特異体質かも知れないが、元々備わっていた能力なのかも。

 今朝も気温が低くストーブを点ける。魚も焼けるので便利。枇杷葉茶は、ガス焜炉でもいいが沸騰するので、始終気になってしまう。洗濯機も回せば朝から動くばかりで、油断していると噴き凍れる。その点、ストーブだとじわじわなので融通が利く。勤務先に持って行くのと、家に置いておくのと分け注ぐ。珈琲も挽いて淹れたのを、保温水筒に容れて持参する。

 弁当も作れたし、洗濯物も干したのでブログに係る。すばるは出窓に居るらしく、呼んでも来ない。そろそろ奈良興福寺の御薪能が始まるが、夜半の開催にしても、雨天での能楽堂にしても中止かな。宝生流 金春流 観世流 金剛流に狂言が加わって演じる。室町幕府での足利氏の間者・密偵が、地方に放したとあるが、大衆の集まる野外で舞っていたらしいが。

 何にせよ、夜の帳が降りてきて、かがり火が焚かれる中に、悠然と浮かぶ様には圧倒される。この世にこれ程の美しい物があるのか、とも思えるのに面を付け絢爛たる衣装に身を包んで、静かで迫力ある舞いである。そこには物語があり、人間の業も含まれていて、観る者を幽玄の世界へと誘う。歳を重ねて来ると日本文化への想いが強まる。奈良は訪れたい場所。

 人間の心を豊かにするのは、お金だけではない。ないからこそ言えることも、贈収賄で貰っていれば口を噤む。でも、悪い事はしてはいけない。自分の物も他人の物も一緒ではない。判らないようにしていても天は知っている。然し、本人は平気なのだ。良心の呵責も無ければ、人を思い遣る気持ちも欠ける。国会議員とはそういう職種なのだろう。乳母日傘です。

 枇杷葉の花に気づいたのは、孫が産まれてからだった。何とも言われぬ匂いに、驚いたものだ。天からの恵に感謝。
コメント
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