枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

花も色々

2020年04月03日 | Weblog
 花の言い回し。花冷え 花腐し 花茣蓙 花筏 花衣 花曇り 花遍路は小説 花ぼうろはお菓子 花吹雪は遠山金四郎である。花の言い方も様々で、かな文字の頃には、もっとたくさんの呼び方があったものと思われる。わたくしの知っている限りではこれ位の物。意味も含めてのことだが綺麗な響きがある。こじつけをすればもっとある筈。

 気温は20℃を割っている。寒さもぶり返したようで、今年の雛祭り、お風邪を召されたのではないか。家屋の中でなら寒さも感じないであろうが、施設の玄関先では、床も寒々としていたであろう。人間の楽しみのためになら、何時出しても、何処に飾ろうが平気なのだ。物言わぬ、見えない物への配慮に欠ける。これでコロナを怖がるとは。

 政府の対策が、全家庭へのマスク2枚の配布である。支援する立場を悪用していないか。コロナ以外での、諸外国には手厚い対策をしても、自国への問題を先送りにして、これぽっちの施策はない。自分の身の危険ばかりに気を取られ、部下への想いは欠片もなく、調査される立場でありながらしなくていいとは。長期政権に賛成した者は国民。

 個人的な見解は別として、賛成はしなくても黙認してきたのだ。国会議員の資格も資質にも、呆れる問題がありながら、知っていてこその配置である。今、何をすべきかは、沖縄の辺野古への埋め立て中止と、福島の汚染水や復興の支援と、コロナでの中小企業や、お百姓さんへの対応でしょう。米が野菜が作れなくては庶民は経ちいかず。

 オリンピック処の騒ぎでない事にも分からず、緊急事態であるにも関わらず、対策を何一つ出せない。自分さえ良ければの思考しかなく、身内びいきを続ける愚策。こういうことになるのも、伏線はあった筈だし、誰かの助言もなかったとは思えず。聞くばかりで聴くことをしてこなかったつけである。でも責任は取らない。呆れた人事である。

 国が真っ先にすることもせず、虐めのお手本とばかりのことばかり。これで政治が可能なら子どもでも出来る。してはいけないことを正す立場で、平気で嘘をつき塗り固める。教育の現場にも、隠して蓋をさせてしまう。正しい事を教える立場でありながら、誤魔化せ暴露するまでは知らぬ顔である。これが日本の現状であり、情けない政府だ。

 月の姿には、何かしら神秘的な想いが宿る。まるで宙で奏でているようで、不思議な気持ちになる。

 
コメント
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