枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

心身を癒す・・・

2020年04月21日 | Weblog
 昨日一日、自宅で過していて疲れが溜まっていたことに気づく。気温も上がらずであったから、室内に居ると肌寒い。春爛漫の時期でもあるのが、コロナでの自粛で出かけられないからだ。予定では、リエさんに逢っている筈で、浅草や蒟蒻閻魔さまにお参りをしているのが、人が少なくても行けない状況だから仕方ない。その分を山菜を送っている。

 辞職願も無事に書け、明日は持って行く段取りである。下書きを何回かして清書した。万年筆で書くのは久々で、字画の取り方に苦労した。尤も、これが何時もあっては堪らない。長年と言っても10年ばかりだが慣れには限度も感じる。介護の仕事は二度としたくない。低賃金の上に、事業所に依っては無理を承知で、職員の労働を強いることも有。

 今朝は曇り空である。何だか気分が低下するが、勤務なので行かねばならない。自分の気の持ちようでもあるので、辞めてからの今後に期待したい。365日自宅で過すとなると、読書三昧にはいかず、庭での仕事が増えるだろう。遣っておくことに衣類の整理もあって、押し入れを片付けよう。自分の軌跡を残しても、誰も喜びはしないがブログのみ。

 勤務に清掃が付いているので、少し早めに行く。辞表も提出するべく事務所に寄るが、日付が間違っているとの指摘に、書き直す羽目になる。図書館で借りた本には、そうは書いていなかったが、勤務先の主旨なので止む得ず。昨夜、転倒していた方が、骨折と分かり入院になる。こうなることを予感して、注意していたのを聴かないからですな。

 何時までも若いつもりでいるのは好いが、転倒すれば骨折のリスクは大きい。自分ではこけないと思い、ふらつくのを歩く。今後は、施設には帰れない。年齢的なこともあって、無理な相談でしょう。高齢者の我儘にも多々あるがこういう思い込みが怖い。家族でさえ見放しているのを、辛抱して介護してます。そういうのって分かってないでしょう。

 明日は早出勤務で、翌日が朔日となる。卯月になり、わたぬきとも言う。四月朔日と書きます。これが転じてきて、綿貫となったようですが、この日を境に、綿入れを仕舞うところから、気温が高まってくる初夏へと転じる。古の方々は、実に妙意な言い回しで、季節を現わしていたものだと感心する。昨今は、温暖化で季節感は薄れてきてはいるが。

 枇杷葉の花は、初冬から咲き始めて、寒さに凛として香っている。この頃になると、親指大に青い実が。

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