枇杷葉のことを繰り返し記載しているが、その日の気分も左右されることが間々ある。それでも症状への不手際があってはいけないと、気を付けている。訪問者の方にも個性豊かな方々が多く、こちらの知らない情報であったりするので愉しめる。訪問先でも同じように思っているが、わたくしの姿勢が、無理や無茶をしない能天気で頑張らない。
誰しもが病には罹りたくはないし、手術して元気になりたく思うのは至極当たり前のことでもある。この時点で、わたくしは自然に委ねる気持ちになるので違って来る。それが良いとか悪いとかではなく、身体の一部を切ったり取ったりが厭なの。それよりも命がある限りは、仲良くして生きられたら佳としている。それを誰かに強制は出来ない。
価値観が違うのも無論あってのことで、多様な生き方であるからこそ共存できるのだとも思えるが。星が美しく観えるのも、花が綺麗に咲くのも其々の個性・種類である。野に咲く花にこそ。様々な花々が品種改良され店頭を賑やかせていても、元を正せば儲けが絡む。人間の都合勝手で咲いているのを見ると、科学の力を曲げているようにも思え。
人間優先で来ているから、コロナ禍で曝け出された気も否めない。人命を無視してのオリンピック開催は赦せないが選手の方に責任があるのでもないだろう。今になってワクチン接種をしますからと言い出したが、計画も杜撰なら対策にも漏れが見える。そういう問題じゃなくて自国の安全も安心さえ守れなくて、何がアンダーコントロールかな。
個々の考えも区々であり、賛成も反対にもあるのだがこの状況で開催しようという意味が理解できない。何がおもてなしかと勘繰れば、明らかに裏の事情ばかりが噴出していることで納得。庶民には我慢を強いり、閣僚等はどんちゃん騒ぎでも咎めはなくあっても罰金。飲食店始め中小企業の倒産は相次ぎ、路頭に迷う人はほったらかしなのも現実。
枇杷がやっと熟し始め、今朝はAさんに田中を少し届ける。長崎茂木が早く熟れるのだが、袋の中を確認しないと見えないので慎重になる。リエさんや贈りたい方は限られており、心は急くがこればかりは待つしかない。連絡済の人には良いが、突然送られてもと連絡したが何れも15日過ぎとなる。はり灸さんに今年は送れそうなので今晩連絡だ。
それにしても、夕方の暮れ行く空に野鳥の泣き声が凄まじい。狙っているのが良く分かる。隙を見て袋を突いて破るのもいるが、待っている様子が気の毒に見える。鳴き交わしての連絡網に、つい101や102を思い出すがそのプレーには驚かされる。ブルーベリーにも齧った痕が残っている。自然に囲まれてというよりも、そのものが我が家かも。
今あることを感謝して、生きていることに祈り、それらのあらゆる恩恵が等しく与えられることが有難い。森羅万象の凡てには適わぬまでも、枇杷葉に援けて貰えることは何よりもうれしい。一人でも多くの方が、その効力に目覚め知ってされることを祈る。わたくしは何も持たずであり、支えられ援けられ繋がりがあることでいかされるといる。
誰しもが病には罹りたくはないし、手術して元気になりたく思うのは至極当たり前のことでもある。この時点で、わたくしは自然に委ねる気持ちになるので違って来る。それが良いとか悪いとかではなく、身体の一部を切ったり取ったりが厭なの。それよりも命がある限りは、仲良くして生きられたら佳としている。それを誰かに強制は出来ない。
価値観が違うのも無論あってのことで、多様な生き方であるからこそ共存できるのだとも思えるが。星が美しく観えるのも、花が綺麗に咲くのも其々の個性・種類である。野に咲く花にこそ。様々な花々が品種改良され店頭を賑やかせていても、元を正せば儲けが絡む。人間の都合勝手で咲いているのを見ると、科学の力を曲げているようにも思え。
人間優先で来ているから、コロナ禍で曝け出された気も否めない。人命を無視してのオリンピック開催は赦せないが選手の方に責任があるのでもないだろう。今になってワクチン接種をしますからと言い出したが、計画も杜撰なら対策にも漏れが見える。そういう問題じゃなくて自国の安全も安心さえ守れなくて、何がアンダーコントロールかな。
個々の考えも区々であり、賛成も反対にもあるのだがこの状況で開催しようという意味が理解できない。何がおもてなしかと勘繰れば、明らかに裏の事情ばかりが噴出していることで納得。庶民には我慢を強いり、閣僚等はどんちゃん騒ぎでも咎めはなくあっても罰金。飲食店始め中小企業の倒産は相次ぎ、路頭に迷う人はほったらかしなのも現実。
枇杷がやっと熟し始め、今朝はAさんに田中を少し届ける。長崎茂木が早く熟れるのだが、袋の中を確認しないと見えないので慎重になる。リエさんや贈りたい方は限られており、心は急くがこればかりは待つしかない。連絡済の人には良いが、突然送られてもと連絡したが何れも15日過ぎとなる。はり灸さんに今年は送れそうなので今晩連絡だ。
それにしても、夕方の暮れ行く空に野鳥の泣き声が凄まじい。狙っているのが良く分かる。隙を見て袋を突いて破るのもいるが、待っている様子が気の毒に見える。鳴き交わしての連絡網に、つい101や102を思い出すがそのプレーには驚かされる。ブルーベリーにも齧った痕が残っている。自然に囲まれてというよりも、そのものが我が家かも。
今あることを感謝して、生きていることに祈り、それらのあらゆる恩恵が等しく与えられることが有難い。森羅万象の凡てには適わぬまでも、枇杷葉に援けて貰えることは何よりもうれしい。一人でも多くの方が、その効力に目覚め知ってされることを祈る。わたくしは何も持たずであり、支えられ援けられ繋がりがあることでいかされるといる。






