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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

災害は人災

2019年10月19日 | Weblog

 河が氾濫したり、堤防が決壊するのは、長い年月にそこで暮らして来た者の、排水や環境にも由ろう。昭和も既に遠いが、その頃には総出で川を掃除していた。幾ら川幅ばかりを広げても汚れは取れない。人間は、自分達の生活第一に考え、明るく清潔で快適なことを望むが、では垂れ流しの川はどうなる。

 自然に逆らう遣り方で、幾ら国民の生活が豊かに見えても、根底には膿がたまるばかりだ。原発も、鉱山も同じで、人体への影響は甚大なものになる。チッソがそうであるように、人間の一生をずたずたにする。被爆された方々は、何等罪咎のないかたも多いのだ。然し、選ばせない。無念の想いが籠るよ。

 沖縄が、一向に戦後から程遠い所で、今尚強いられているが、同じ人間として恥ずかしい。人の気持ちを踏み躙り、何が何でもアメリカの言うとおりに、粛々と遣るとは。戦争に突っ走る発言を繰り返し、膨大な防衛費を弾き出す。今、その金があれば、国民の生活は安定し、消費税の繰り上げにはならず。

 年金も減ることはないし、少ない中でも遣り繰りで済む。国家の中枢が懐を改めれば済むのを、庶民へのつけで増やしていく。一体、幾らの税金を払っているのか。地方税に住民税と、燃料を容れれば、二重の税金を課す。ガンジーが居た頃には、衣類不買運動で、糸を自ら紡ぎ織っていた。それも好しだ。

 快適で便利な生活には、誰かが犠牲になっていることを忘れない。物を買うにはお金が必要で不必要な物も買い込み、物々交換なら必要な物だけで済む。不便でも、贅沢をせず、労を厭わねば、災害が起きても生き抜ける。山を守るためには、皆の知恵と野生の物との共存をしないと。人間が山を荒らした。

 援け合うこと。おもてなしと言うのも、皆が平等でなければできない。加えて心が無ければ、下心が生じて金銭の要求や、上げ底を作り出す。国民の暮しも守れず、憲法改憲等愚弄であろう。オリンピックを真夏の東京でするなど、狂気の沙汰である。全てがアメリカ寄りの施策にうんざり。日本は沈没だ。

 地球の破滅の日も近い。灼熱の中を誰も生き残れない。ダイアモンドも、万札も水泡に帰す。死ぬ時には皆同じだ。地球を脱出して、宇宙を彷徨っても、生きていける星は、直ぐには見つかるまい。人間の寿命にも永遠と言うのはない。そろそろ覚悟をしなければ。と暗雲たる天を観上げて想う。雨になるか。

 月には兎が棲んでいる。と信じているが、都の居心地にも諸問題が出てきた。人間が狙っている。

 

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