枇杷葉の症状に応じての用い方には、民間療法としてだったり、それを元にしての、個々に工夫してのやり方がある。わたくしの場合には、祖母のしていたことの記憶が重なり、自分で試してみての結果が加わる。焼酎は、怪我をした時の応急処置だが、これに枇杷葉のエキスがあれば、大事に至らない。
傷口が損傷しての場合にも、それで覆っての処置をしていれば、化膿することも少なく済む。火傷もケロイドが残らない。少しばかり荒療治になるのは否めない。それには普段からの食生活にも由るが、自分の身体の異変を瞬時に感じなければ、医者に罹ることになる。辛抱と言うか、信じる気持ちも有。
世の中には、宣伝の多少は違っても、安くて簡単に手に入る商品が溢れている。然しながら、効き目が速効なのは、個人差に由るものだし、数人にしか当て嵌まらない。枇杷葉も然りで、それには相当な持続力と、諦めない心構えも必要となる。まあ多くを望まない。祈り感謝の気持ちを持つことかな。
上にも下にも値せず、程々のところで生きることにも通じる。ブランド品を買って集めても、同時に使うことは不可能だし、それに似合う品格や、常識の程度にも因ろう。ダイアモンドが無くても生きていけるのだ。それよりも、地球の危機を憂い、小さくとも何か出来ることはないか?価値観の相違か。
枇杷葉には、あらゆる症状に対する免疫も、抗体もあるが、それを身体に取り込んで、増やしていくのは己でもある。癌への治療にも、自分の細胞の一部を切らない、つまりは共存することで、生きて行くことが可能になる。手術をすれば、失った細胞を元にしようと、身体は活発に動くから命を縮める。
自分の身体じゃない。天からの警告でしょうから、素直になればいいんです。良いことも悪いことも、己の責任です。甘んじて受け入れることで、生かされているのに気づけば、それがこそ幸せではありません?死ぬのは誰しも怖いですが、使命があればこそ、終わりはくるものです。森羅万象に還る…
一斉に咲き出すと、夢の国に迷い込んだようです。爽やかであり、芳しくもあり、心を満たしていく。