朝、ロイズのアイスクリームを、持って行ってあげたのが間違いだった。一日、汗だくになって、部屋の掃除や、お八つ作り、雑巾かけに、湯冷ましとフル回転で仕事をして、帰宅して愕然となった。冷凍庫のドアが開いていたのだ!!銀河の歓んだことは言うまでもないが、食品が全滅でした。あきゃあぁ~!!!閉めたはずだったんだが、きちんとできていなかったらしい。しかしいいこともあった。掃除ができた。
天災、というのは、忘れた頃に来るから、記憶に留めておけるのである。天才も何人も居る訳ではない。少ないから覚えてもらえるのだ。猫も杓子もでは、ああ、またか。となる。面白みに欠ける。1年の中には、こういったアクシデントもなければ、冷凍庫の意味も、役割も認識してもらえない。これはひょっとして、冷凍庫の氷河期への警告であろうか。それとも何か、大イベント的な催しを開催したのであろうか?私の留守に!?
某サイトの編集長さんは、すたすた坊主とか、おにのののがみ、とか呼ばれておられますが、何でも甚く枇杷葉茶をお気に入りで、飲んでくださっているようです。そのすたすた坊主さんが、枇杷葉茶のお礼にと絵本を送ってくれました。水木しげるバージョンです。孫たちのよろこぶ顔が見えます。特に、下の孫はこういったのが好きです。我が家の枇杷葉を飲んでくださるのは、とてもありがたいことです。
某作家さんは、私の手に触れるから、効果が違うようにも言われました。そうかもしれませんね。手あてというのは、元気を送り込んで、病気を吸い出しますが、どうも私の手は、そういった摩訶不思議なことができるらしい。それだけに誤魔化しが利かない。枇杷葉はいろんな効果と手あてがある。自分の手あてを見つけて、繰り返すことが大切です。
我が家の猫の額ほどの庭には、所狭しと緑を並べている。帰宅すれば先ず、水遣り。そうしなければ、どうにも落ち着かない。けれどもこの水遣りには、とても大切な意味がある。我が家だけは、冷房を物ともせず、暑いには違いないが、我慢することができる。午前0時を回ると、一気に寒いくらいになり、布団を引寄せる。
毎年、例年の如くである。今後、温暖化していくのか、反対に氷河期が訪れるのかは、真っ二つに意見が割れているが、自分の体の基礎をしっかりと創るのは、至極当然のことであるような・・・。日本列島もそうなってしまうと、電力が足りませんから、今の内に暑さに慣れておくのもいいかも。と一人悠々自適な生活を愉しんでいます。
梅雨の一時、晴々と咲いた薔薇です。
天災、というのは、忘れた頃に来るから、記憶に留めておけるのである。天才も何人も居る訳ではない。少ないから覚えてもらえるのだ。猫も杓子もでは、ああ、またか。となる。面白みに欠ける。1年の中には、こういったアクシデントもなければ、冷凍庫の意味も、役割も認識してもらえない。これはひょっとして、冷凍庫の氷河期への警告であろうか。それとも何か、大イベント的な催しを開催したのであろうか?私の留守に!?
某サイトの編集長さんは、すたすた坊主とか、おにのののがみ、とか呼ばれておられますが、何でも甚く枇杷葉茶をお気に入りで、飲んでくださっているようです。そのすたすた坊主さんが、枇杷葉茶のお礼にと絵本を送ってくれました。水木しげるバージョンです。孫たちのよろこぶ顔が見えます。特に、下の孫はこういったのが好きです。我が家の枇杷葉を飲んでくださるのは、とてもありがたいことです。
某作家さんは、私の手に触れるから、効果が違うようにも言われました。そうかもしれませんね。手あてというのは、元気を送り込んで、病気を吸い出しますが、どうも私の手は、そういった摩訶不思議なことができるらしい。それだけに誤魔化しが利かない。枇杷葉はいろんな効果と手あてがある。自分の手あてを見つけて、繰り返すことが大切です。
我が家の猫の額ほどの庭には、所狭しと緑を並べている。帰宅すれば先ず、水遣り。そうしなければ、どうにも落ち着かない。けれどもこの水遣りには、とても大切な意味がある。我が家だけは、冷房を物ともせず、暑いには違いないが、我慢することができる。午前0時を回ると、一気に寒いくらいになり、布団を引寄せる。
毎年、例年の如くである。今後、温暖化していくのか、反対に氷河期が訪れるのかは、真っ二つに意見が割れているが、自分の体の基礎をしっかりと創るのは、至極当然のことであるような・・・。日本列島もそうなってしまうと、電力が足りませんから、今の内に暑さに慣れておくのもいいかも。と一人悠々自適な生活を愉しんでいます。
梅雨の一時、晴々と咲いた薔薇です。